斜めから見たマエストロ-ギュンター・ヴァント編
【注意書き】
筆者の完全な主観が多く含まれます。その点はお含みおき下さいませ。
斜めから見たマエストロ
著者:長谷恭男
出版:同成社(1990年)
今回は、長谷恭男「斜めから見たマエストロ」をレビューする。
はじめに
本作は、NHK交響楽団(以下、N響と記載)の常務理事を務めた筆者によるエッセイである。N響に在籍した15年間に海外から招聘した指揮者との思い出話、上司に当たる副理事長・有馬大五郎から受けた薫陶や逸話、NHKを退職後に入った東京フィルハーモニー交響楽団のプログラムに掲載していた小文などがまとめられている。
N響が招いた名指揮者たち
筆者はNHKで音楽プロデューサーを15年務めた後、NHKから出向という形でNHK交響楽団常務理事・事務長をこれまた15年務めた。本作を著した頃はN響から離れ、東京フィルハーモニー交響楽団の常務理事を務めている。
筆者がN響在籍時に約70人の指揮者を海外から招聘したが、本作の第1章《N響が招いた名指揮者たち》では、その中から特に筆者が優れた人物・親しかった人物に当たる9名をピックアップして、彼らとの会話や思い出話をまとめている。ピックアップした9名の指揮者は以下に当たる。
■ ロヴロ・フォン・マタチッチ(ユーゴ、1899-1985)
■ ウォルフガング・サヴァリッシュ(西独、1923-2013)
■ オトマール・スウィトナー(墺、1922-2010)
■ ホルスト・シュタイン(西独、1928-2008)
■ ハンス・スワロフスキー(洪、1899-1975)
■ ギュンター・ヴァント(西独、1912-2000)
■ ヘルベルト・ブロムシュテット(米、1927-)
■ フェルディナント・ライトナー(西独、1912-1996)
■ ヘルベルト・フォン・カラヤン(墺、1908-1989)※番外編
1980年代まではドイツ志向が伝統的に強かったN響らしいラインナップと言えるだろう。N響から「名誉指揮者」の称号を贈られた5名-マタチッチ、サヴァリッシュ、スウィトナー、シュタイン、ブロムシュテットに堅実な職人指揮者らしいスワロフスキー、ヴァント、ライトナーの3名。なお、カラヤンは筆者が招聘したわけではなく、1954年にN響が招聘した際の逸話を番外編としてまとめている。
今回は、ピックアップされた9名の指揮者の中からギュンター・ヴァントに焦点を当てていきたい。
厳格なるマエストロ
1990年代、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団への客演でドイツ・オーストリア音楽の巨匠として地位を確立した感のあるヴァントだが、1982年に北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者に就任する前まで、日本ではあまり有名ではなかった。筆者も西独の著名なマネージャーから熱心な推薦を受けたので、とりあえず招聘することにしたようである。
N響がヴァントを初めて招いたのは、1979年11月のことである。筆者はヴァントをN響に招聘するに当たり、その前年(1978年)に客演した読売日本交響楽団の事務局に「どんな人か」と聞いたところ、相手に「それは止めた方が良い。長谷さんが泣かされますよ」と言われてしまい、胸中に抱いた心象で「しまった」と思ってしまった。
出会いも最悪だった。筆者は成田空港で来日するヴァント夫妻を出迎えるはずが、なぜか「見逃し」してしまい、宿泊先のホテル・ニューオータニに出向いてみると、すでに到着していた指揮者から怒られてしまう。その後も部屋のベッドや椅子などにいろいろと注文され、筆者は作中で「本当に読響の人が云った通り、世話の焼ける人である」とボヤいている。
そして、N響とのリハーサルが始まる。曲目はベートーヴェン《レオノーレ序曲第3番》。この箇所では、自他に厳しい指揮者が音楽に一切の妥協を許さぬ姿勢を余すところなく伝えている。以下に少し長いが引用しよう。
筆者はヴァントを「どえらい難しい爺さん」だと思ったが、N響が忠実に指示に従うことが判ってきたらしいヴァントも次第に表情が柔和になった。両者が良好な関係を築けた点は、Altusから販売されたCDにも現れている。
N響が伝説に触れる瞬間
ブルックナー《交響曲第5番変ロ長調》
指揮:ギュンター・ヴァント
演奏:NHK交響楽団
録音:1979年11月14日、NHKホール(東京)※同一プロを同月16日も実施
レーベル:Altus
進化途上のマエストロと第5交響曲
客演指揮者として指揮台に立ったヴァントが最も得意としたブルックナーをN響で指揮した点は現在から思い返せば、大きな僥倖だったのではないだろうか。ブルックナーの権威として世界的に有名なヴァントだが、意外にも《第5番》を取り上げた時期は遅かった。
ヴァントに《第5番》を指揮するよう勧めたのは、友人の現代音楽家であるベルント・アイロス・ツィンマーマンだった。ツィンマーマンは指揮者に会う度に《第5番》のポケットスコアを示して、こう持ち掛けた。
「ギュンター、いったいいつ第5交響曲をやるんだい?君は絶対この作品を指揮するべきだ。君のための作品なんだ」
決心がつかなかったヴァントは断り続けていたが、1974年2月にケルンの西ドイツ放送(WDR)から放送用に《第5番》を録音してくれないかと依頼された。熟慮の末に、ヴァントはこの依頼を引き受けることにした。その後は他の作品を指揮することをやめ、ひたすら交響曲の研究に没頭し、オーケストラと綿密なリハーサルを重ね、7月に録音は行われた。ヴァントは御年62歳で《第5番》を初めて指揮したのである。出来上がったテープを聴いた放送局のプロデューサーは呆然とした様子で言った(※)。
「これはレコードにするべきだ!」
ブルックナーに感嘆する
ヴァントがN響のライブで示した解釈は、4年前にケルン放送交響楽団を振った録音と基本的に変わらない。聞き手を吃驚させるほど、金管や打楽器を強奏させる点は「神がお怒りになっているんだ」と言わんばかり。綿密な練習に基づいた正確な演奏は、聞き手を冷めさせるところがない。むしろ、あらゆる要素がピタリと合一した瞬間の震撼が身体に襲ってくる。
政治学者の片山杜秀は国内外のクラシック音楽に造詣が深く、著書「音楽放浪記 世界之巻」はベートーヴェンをはじめ西洋音楽がメインとしながら、内容の約3分の1は日本人作曲家に関する話を書いているあたりも筆者らしい。第14章《ヴァントと大聖堂》では、それまでブルックナーを苦手にしていた筆者がN響を指揮したヴァントに接し、ブルックナーに感嘆した旨を書いている。以下に少し長くなるが引用しよう。
(※) ケルン放送交響楽団を指揮したブルックナー《交響曲全集》に収録されている。
■ 参考文献
「音楽放浪記 世界之巻」
片山杜秀【著】 ちくま文庫(2019年)