I have a dream!
I have a dream!とは、1963年8月28日にキング牧師がリンカーン大統領の奴隷解放令から100年の日の演説です。100年経っても差別は無くならず黒人は苦しい生活を強いられている、これからは人種の壁をなくし、全ての人が自由で同じ舞台に立ち、全ての人種が仲良くこの国を作ろう!と演説しているわけですが、noteに始めて書かせて頂く最初のページとして、私の夢をこちらに記させて頂きます。
子供達に未来を繋げたい
私には子供が3人おります。幸い特に悪い所もなく順調に育っております。学校の成績は・・・イマイチですが。彼らがいてくれる事で私は心が穏やかに過ごせるのです。日々の生活は怒鳴ったり、怒ったりしていますが、とても素直な子供達です。私は母子家庭で育ったのでオヤジ像が全くわかりませんが、少なくとも子供達には普通の生活をさせて、日本に置ける「自由」を謳歌して貰いたいと思っています。
そして自分の人生はどうだったのか?
はっきり言って、本当に人に自慢できる人生ではありませんでした。長年勤めていた会社をその場の怒りにまかせて辞めてしまったり、納得いかない事を納得させられたり、矯正されたりする事が腑に落ちない。するともう、誰も信用出来なくなったり・・・そんな感じで悔やんでも悔やみきれない、反省ばかりの人生でした。夢ばかり追いかけて妻や家族に迷惑をかけっぱなしの人生でした。私の手にはなんの財産どころか現金すらない状態です。そんな50も過ぎる頃にイギリス留学の資格や、それまでのキャリアでヨーロッパのアイルランドという国で仕事のオファーを受けたのでとうとう自分にも運が回ってきた。と思い込みまして、順調に家族をヨーロッパに呼び寄せる段取りを為ていましたが、日本マーケット向けの仕事でしたので、日本国内にブランチを作るという話になり、日本で働く事になったので、現地で仕事を探してみましたがこれもタイムリミットにより断念。命からがら日本に戻ってきて、駆け込んだのが、東京都内にあるタクシー会社でした。転職サイトで検索した一番最初に出てきた会社です。とにかく働かなきゃと思いアイルランドからコンタクトを取りました。それがタクシー業界との出会いでした。
程なく採用になり、研修や地理試験、2種免許の取得などを取得させて頂きまして、晴れてタクシードライバーになりました。元々日本で働いているときは毎日のように車を運転していたので運転にはそれなりになれておりましたし、特に渋谷、港、新宿、目黒、世田谷は常にウロウロしておりましたので営業するのも特に問題ありませんでしたが千代田、中央区、そして、下町方面は本当に苦手でサッパリ解りませんでした。会社はどちらかというと城北方面にあるので下町が強いのですが地理試験に出てきた位置関係程度、そしてどこに何が走ってるかも解らない感じでしたが、こんな新人でもマジメに働いているといい事もあるもんで、デイリーの営収がトップになったり、月でもそれなりの成績だったりしました。それまで地方にいた家族を呼び寄せ東京で暮らせるようになったのはタクシードライバーになってあっという間でした。しかしながら、2019年〜始まった、新型コロナによるパンデミックで街から人が消えて、営収がガタ落ちになり、これからと言う時に暮らしていけないくらいになりました。これはこの当時ドライバーをやってた人はみなさんご存じだと思いますが、本当に辛かったです。出庫止めになったりして最低賃金を頂いたりしましたが、それでは喰えずにいたところに、前の仕事でお世話になった社長から「手伝ってくれ」というお声がかかり、会社には休職させてくれとお願いして、数ヶ月で戻る予定でしたが1年も空けてしまいました。そして、22年になった年から会社に戻ろうと思い連絡し、今は4月ですが、引き継ぎも終わったのでまたタクシードライバーに戻ろうと思い、現在手続きをしております。乗務員証は2年有効だという事でタクシーセンターの研修は1日で終わるそうですが、なるべく早く実車出来る様になるよう進めています。こんな自己主義で勝手な人間にまたチャンスをくれるという会社に感謝しかありません。どうぞよろしくお願いいたします。
もう迷わない。子供の将来だけ考えて生きていきます。
子供の状況は上記したとおりですが、子供はどんどん成長していきますし、自我も目覚めていきます。今年長女が中二になったのですが、小さい時から感情の起伏が激しかったり、ボーッとしていたりする、自閉スペクトラム症があり、絵を描いたり音楽を聴いたりする事で心が落ち着く傾向にあります。あ、といっても特別支援クラスとかには入っているのではなく、普通のクラスで普通に生活しています。ま、いわゆる、オタク気質があり、音楽、特に吹奏楽や、ボカロなどを愛する普通の中学生です。この娘が小学校の時からショパンが大好きでポーランドで勉強したい。と言う事で、日本の高校に行くよりポーランドの高校に行きたいと言っているので僕は彼女の夢をなるべく叶えてあげたいと思っています。実は私も中学生になったときから高校はアメリカの高校に行きたいと言っていましたが、うちは母子家庭でしかも人口2万人くらいのド田舎でしたのであまり裕福ではありませんでした。私の留学の夢が叶うのが社会人を経験し、27歳の時でしたので、15年位夢を見ていましたからできれば、娘の希望を叶えてあげたいと思っています。あと2年で到達できるか解りませんが、スカラシップとかそういうのを使ってなんとかならないものか?と考えています。娘のしたには6年生と3年生の息子がおりますが、彼らはなんだか今の所よく解らないのでそのうちなんか見つかるでしょうと思っています。今は、ウクライナの情勢が悪化しているので色々と考えていますが、戦争が終結したら必ず東ヨーロッパでたくさんの仕事が生まれると思っています。その時にかならず娘は役に立つのでは?と考えています。
私は、趣味を見つけて没頭しようかと
私はこれまで好きな事を仕事にしてきたので、休みも必要ありませんでしたし、ほぼ仕事をしてきました。なのでこれと言った趣味がありません。車の好きなドライバーはたくさんいますが、私はまったく興味がないのと、これから少なくとも近い将来に車を購入する事もないと思っています。ただその「趣味」がなんなんだろう?と、これから楽しみを見つけていきたいと思っています。幸いタクシーの仕事は月の半分以上はお休みなのでこの神様からもらったような時間を何かに充ててみようと思っています。
そして、これはこれからですが、小説を書いてみたいと思っています。人一倍ドラマチックな経験をしているのでその辺りから純文学を目指して頑張って行きたいと思います。小説はこのnoteに記していきたいと思っています。それが一番ですかね?お、ただ今、朝3時前。そろそろ床に就きたいと思っています。
また次回。それまで。
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