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アロマセラピーのある暮らし
振り返りました。
目次を先頭に置いておくので気になるところがありましたら、そこだけでも、あるいはそこからでも目にとめていただけると幸いです。訪問いただき、ありがとうございます。
アロマセラピーとの出会い
エッセンシャルオイル(精油)に初めてふれたのはリフレクソロジーを勉強しているという知人から施術を受けた時でした。そのとき使われた精油が定番のラベンダーです。
ところがラベンダーはそのときのわたしには合わなかったようで血の気が引いていく感触を覚えたのでした。
その後のアロマセラピーの学習で、ラベンダーは低血圧の人には使いすぎないようにするという内容がありました。血圧を下げる作用があるので、それが理由だったのかと長い間思っていました。でも最近では「高血圧の人には血圧を下げる作用が見られるが、低血圧の人には血圧がより下がることはない」との報告がウェブ上で見られました。
ラベンダーの香りで血の気が引いた感じがしたのは別の理由があったのでしょう。香りをじっくり感じ、心身にしみこんでいく体験に初めて触れたことからきた反応だったのかもしれませんね。鈍かった自律神経に非常に高い刺激を与えたのかもしれません。
しかし香りで体調を崩した経験から「精油は適切に選ぶ必要があるのではないか?」と疑問に思ったことが、アロマセラピーをきちんと学習しようと思い立ったきっかけになりました。
それが2008年頃のことでした。30代前半でした。当時、こどもたちは0歳児から7歳の子まで。絶賛、育児のさ中でしたね。専業主婦でしたと言ったら、当時の「24時間育児中です!」の情景を想像していただけるでしょうか。ご想像通りに「父親不在実質母子家庭」でした。のちに「実際に母子家庭」になるわけですが。
学習して協会に登録もして活動をしましたが、結論からいえば、現在は退会して会員ではありません。一度はその理由を書いて整理しておきたいと思っていましたのでそうしてみることにしましょう。
協会を退会した理由とは
協会に提出した表向きの理由は「経済的な理由から」でした。
それ以上追及されることはありませんでした。
でも本当は、やはり退会を決意するまでに積み重なったものがあるのですよね。
「アロマのある暮らし」。それは私が思い描いたアロマセラピーへの思いでした。そして偶然にも協会もまた同じフレーズでサポートをする方針を決定していましたので、同じ気持ちで同じ方向を目指していると感じて心強く思ったものです。
しかし後に、協会は方向を変更することを決定しました。
「アロマセラピーを学び、資格(民間資格)を取得し、活動を広げる人をサポートすることに集中する。教室やサロン運営のイベントやセールの告知を積極的にシェアすることで活動をより広めることができるように応援する。」というものでした。
それ以降、私が実質、その協会からサポートを得る機会は失われました。
アロマのある暮らしをしたかっただけ
協会の認定を受け、教室を開くことは可能でした。
「できる」から「やってみた」のです。
でもそれは「やりたかったこと」ではなかったのですね。それがようやくわかりました。
わたしはアロマのある暮らしを続けたかったし、それは”おばあちゃんの知恵”のようにこどもや孫にごく自然に伝えていきたいものです。
協会の会員になったのは、協会がアロマセラピーを広く伝えていくことを応援したかったからです。
受講中の学習レポートが滞っていた時のこと
アロマの香りで癒されることが「つらい」と感じるときがあるのです。
セラピストのためのレッスンで「笑顔をつくる」段階的な表現がありますが、そのレポートを完成させるまでにわたしは2年かかりました。「笑顔を作る」ことがかなわないこともあるのです。心の底から笑うことを長い間、自分に禁じていた私にとって、それはとても難しい課題だったのです。「難しい」と自覚したことが、大きな学びでした。
さてさらに上の段階への学習を進めようと受講していた講座がありました。その頃は、まさしく人生の転換期でした。
自分に嘘をついて、表面だけは波風を起こさない暮らしを続けるか。
自分に正直になるか。
そう。その将来は別居と離婚が起こりました。つまり後者を選んだわけです。大変、つらい時期でした。
そんな時ですね。
レポートが出されていないので催促のお電話をいただくのですが、その一言が私を失望させました。
「せっかくここまで学んできたのに、アロマを使わないでいるなんてもったいない」。
わたしはレポートを提出していないだけで、アロマセラピーを使わなくなったわけではありません。レポートを提出していないだけです。
そこから見えてきたのは「指導者」の目線なんですね。
「やらせないとやらない」。「結果が見えないのはやっていないのと同じ」。そういう価値観はなじみがありますよね。それです。
たまたま交代した(新人の?)担当者がそうであっただけです。
それまでは、私のアロマセラピーへの学問的な姿勢を褒めていただくことのほうが多く、アロマセラピーが大好きで、アロマに関することならなんでも吸収したいという気持ちが互いに重なっていると感じることができて、とてもありがたい対応をしていただいていました。ですからなおさらそれが嘘に見えてしまうほどに失望してしまったんです。それが退会を考えるきっかけでした。
協会からの退会を考え始めてから
退会するまでに数年を要しました。
方針の方向転換をずっと待っていましたが、これまで元のように戻ることはありませんでした。(それは退会後に適いました(笑)。現在の協会の方針には賛同しています。)
アロマセラピーのある暮らしを手放す気はまったくありませんが、精油や資材の購入先を変更する可能性はありました。教室運営するほど頻繁に精油を消費しないため、会員特典の割引はさほど有効ではありませんでした。
満足のできる条件をかねそなえた精油を扱うウェブサイトを探すことは可能でした。
わたしは退会する理由、退会しない理由を探し始めていました。
結局、教室を経営したいわけではないのだと自覚したことで、であるならば、協会から得るサポートはないし、逆に、私が協会を応援する手立てもないことから、「退会する」気持ちが決定しました。
実際のところまだ受講生ではある
退会する前に、それを決断する時点なわけですが、インストラクター資格や教室認定も返還していました。状況がそれをゆるさなかったというのが大きな理由でしたが、実のところ、やはり経営したい気持ちもなければその才もないので、直感的に続ける理由を見出せなかったのでしょう。
ただ自分でもそれが言語化できていなかったので「状況が許さないため」という理由で落ち着かせてたのでした。
会員ではないが受講生です。受講中の講座は今後レポート提出は可能であることを確認して退会手続きを取りました。そしてさきほどまで受講生だと認識しておりましたが、詳細を再度確認しますと、今後この講座は受講可能かもしれませんが…レポートを提出したとして採点や課題はもらえるかもしれませんが…そのあとは「無い」んですね、おそらく。退会してそれまでの資格も返却しているわけですから。ん~。独学で使うだけのテキストになりました。
ま、それもいいか。あきらめがつきました。たった今。
さらに上級の学びへ
その意思はなんどもありました。
でもそのたびに心にストップがかかるのです。
なんのために?
どんな理由があって?
それまで理由がなくともただ知りたいという気持ちだけでまなびを進んできた私が、理由を必要としていました。
やりかけたことを最後までやらないのはもったいない
やりとげてはじめて見えること気付くことわかることはあるはずだ
あぁ…そうですね。こう書いてみてはじめて気づきました。これは古い固定観念です。植え付けられた価値観です。私のものじゃない。学生のころにさんざん指導された結果もたらされた「そうあるべき」論に染まった判断と判定ですね。
まぁ、こんな言葉が頭に浮かべて、奮起せねばと思ったことも何度かあったのですが、無理でした。
学びたい理由がみつからない 学びたい気持ちを待つしかない
自分のなかに「学びたい!」という気持ちがわきおこるのを待つしかありません。
エッセンシャルオイル(精油)は日本では雑貨扱いです。そのためアロマセラピーに関する専門書を日本語で読める機会はなかなかありません。
最近、本当に、最近のことですが、図書館で専門書といえる翻訳された文献を見つけました。メディカルアロマの分野になるのでしょう。大変興味がそそられる内容で、実はメディカルアロマの分野を初めて知った時にはよほどそこから学び直そうとおもったくらいでした。さすがにかける費用が増えすぎるし、医療関係者でもない私には無用の長物になってしまうので思いとどまりました。
しかし、メディカルアロマを実践する人の考えにふれると、私の興味関心の方向とはすこし違うと感じるのでした。
まぁ、そうですよね。
そもそも「薬で治す」思考と似通ってしまうので、相容れないものがあります。
”おばあちゃんの知恵”的アロマセラピーのある暮らし
あぁ、そうなんですね。
ほんっと。
私の求めているところってここなんですね。
家族がもっとごくあたりまえの生活の知恵としてアロマセラピーを身に着けていけるか。
それは、わたしがごくごくあたりまえに生活の一部にアロマセラピーをもちいることで叶うだろうと考えていました。実際、こどもたちは小さなころからそれがあたりまえでしたので大抵のケアはアロマとクレイを受け入れました。それで充分だということもよく知っていますし、不要なケアはなにかということもよく理解しています。
けれども難しいと感じていることがあります。
精油知識を得ること
適切なケアの手段を選ぶこと
セラピーの本質
わたしはこれらを、まだこどもたちに十分に満足に伝えることができていません。15年以上をアロマセラピーが身近にある暮らしをしていながら、まだそれは伝えられていないのです。
障壁は「学校教育的な学びかた」
これは最大の障壁です。なかなか打ち破ることが難しいと感じます。
なぜなら世の中には、学校教育的に「学習して学び、知識や技術を身につける」方法にあふれていて、それに伴った価値観念があたりまえになっているからです。
《教える⇔教わる》の二項対立もそうです。
「勉強する(机上で学習する姿)、試験を受ける、合格する、認定される」といった一連の学習と成果、結果を客観的に明確にしなければならないといった価値の判断基準もそうです。
アンスクーリングに暮らしてきた神髄は徹底的に学校教育的な要素から脱するものでした。ですから、言語化するのは大変難しいのですが、知識や技術を「意図して学習することで獲得する」以外の方法を望むのです。従来の方法は心が、魂が拒否するのです。
「染み込むように」「吸い取るように」知識と技術が「馴染んでいく」道筋で、人が人となっていく過程をたどることが重要なのです。
人が人となっていく
書くことって素晴らしいですね。
長いこと、「書く」ことが難しくなっていて、それでnoteの更新も滞りがちなのです。ときどき書くことができると安心しました。
ここ最近なのです。
再び、「書きたい」と思うことが次々と出てきて下書きが集まってくるようなことは。
さて、書きながら、答えが生まれてきました。
人が人となっていく
これがアンスクーリングの本質です。
これまで言葉にすることが非常に難しかった。
見つけました。
クレイセラピーのお話も書いておく
アロマセラピーの学習をすすめていくなかで「クレイ」を初めて触れました。実はこのときからアロマセラピーのインストラクターになる前に「クレイのインストラクターになりたい」と思っていました。
クレイセラピーを学ぶ協会は新たに設置され、好機を得て、クレイセラピーもほどなくして学びはじめることとなりました。
これからクレイセラピーをまなびたいと考えるかたにお伝えしたいのですが、”協会の会員になって得るサポートが必要かどうかを検討する”選択肢もひとつ加えてることが可能であればそうしてみてほしいのです。
クレイセラピーのファーストステップは、市販されている本の内容と同一です。教室開講の「認定」とは、いわゆる社会的信用のステッカーです。どのようなかたちで展開していくかで必要かどうかを決定づけるでしょう。
クレイセラピーのレッスンは、最初から最後まで「感性を育てる」ことにあり、「クレイ体験」に終始します。アカデミックな学習はいまのところ日本では大きく期待できません。その理由はあくまで「リラクゼーション」を目的としているからです。
医療として開拓されている海外であれば深い探求ができるのではと思います。
どのように活用するのか。
その目的地があれば、かける費用も無駄にはなりません。
休会を経ての今
アロマセラピーの協会では退会手続きに直結でしたが、クレイセラピーのほうは「休会手続き」になりました。わたしの心の奥がそれを望んだのでしょう。会員レベルの変更でクレイ資材を購入するウェブサイトの不案内があるなど不便が少々ありましたが、偶然、更新されたウェブサイトに辿り着けました。
一度、一般の購入者になったあとの購入で、うっかり前の割引特典のまま処理されたことがありました。
「ラッキーですね」って言われました。
まったく意味がわかりませんでした。
一般の購入者枠で購入するべきところを前の段階のままの割引特典で処理された事態を私は「ラッキーだ」とは思いません。処理ミスを気の毒だと思いますし、正当な手続きで堂々と購入したいです。
またここでも受講中のレポートの提出が滞っていると「クレイをしていない」とジャッジされました。「またか。おまえもか」って正直思いましたけど、なぜか、退会はおもいとどまって今に至ります。
今のところ、購入先のショップの都合でしょうか。
同じ商品を別のところで購入するよりは都合がよい条件が揃っていますので。それ以外の利点は思いつきません。
復会しましたが、購入するショップ以外の理由で続ける理由はもちあわせていなくて、受講中となっている講座は届いた初日から「期待外れ」であったことから長らくテキストを開いていませんでした。
先日、初めて開いたテキスト
おもしろかったです。ワクワクしました。
そんな気持ちがよみがえってきていることに感謝しました。
2010年ごろに学んだ内容からの若干、変更点があるのですよね。それを確認する作業が楽しいと感じました。
そして今ココ。それから進展がありません。
やはりイメージができないのでしょう。学習を終えた後の自分像が。
学校教育的な価値観から考えるのであれば、やはり「せっかく始めたのだから最後までやったほうがいいでしょう」とか「途中であきらめるのはよくない」とか、奮起する動機を作ることができるのでしょうが、あいにくそれとは相性が悪く、気長に自分の気持ちとむきあうことでしか、行動と動機を一致させることでしか、帆を進めるすべを知らないのです。
まったく我ながら生真面目です。
いつでもまた始めることができる
その安心感だけがよりどころです。
確認していませんが「もう期限切れです」ってなっていたらどうしましょう。お金と場所(テキストの保管場所)を無駄にしたことになるのかな。
教育資材にかける費用対効果ってそういうものかも
どんな分野もそのようですが、修了したあとの結果を自分ではなく、教材の成果に求めがちですよね。そうするとまず初めから違っています。
「これをすれば大丈夫」。みたいな考えで始まってしまいます。
すると自分ではその後のイメージが持てず、「期待」だけが膨らみます。
学習の提供元に期待するわけですね。
「この学校に入れば」「この塾に入れば」「この資格を持てば」。
「これがあれば」「これができれば」。
際限がないですよね。
腹をくくった人は、最初の一歩からその動機が違っているのだと思います。その見ているところが違っているのだと思います。
なにかを意図的に学ぶのであれば、その「結果」から得るものを目的に設定することができるのではないか、と。「結果」を得ることを大前提にした覚悟を持って臨む姿勢を兼ね備えているのではないか、と。
そうであれば学習コンテンツ、あらゆるコンサル、あらゆるカウンセリングにかける費用(コスト)も無駄にすることはなくなるでしょう、きっと。
ちょっと目線を移すだけのことのように思えますが、それには価値観の転換が必要でしょう。ただ与えられることや、”条件をそろえれば他者から許可される””自由はだれかによって許されてはじめて得るもの”という価値観念からでは到底生むことができない生き様でしょう。
もちろんわたしもまだその境地ではありません。
でも、そこに至りたいし、そう在ることがあたりまえな環境(家)でありたい。わたしはそんな家の者でありたい。
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アンスクーリング・ファミリーひろみさん家のニンゲン論
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