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【考察】IT学習等の学習を指導要録上の出席扱いにする要望について(2)

 平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果を読み解き、前回の【考察(1)】noteでは、不登校児童生徒数に注目し、IT学習等の学習を指導要録上の出席扱いにする要望をするケースを想定しました。【考察(2)】では調査結果から読み解く数値を基にした作図から、「不登校とは何か」を読み解いていきたいと思います。

参考note:
【考察】IT学習等の学習を指導要録上の出席扱いにする要望について(1)

経済産業省「未来の教室」Edtech 第二次提言とは~「初等中等教育」と「不登校解消」編~

 【考察(1)】で特に不登校をあらわす数値について、以下の調査結果の数値から読み取ることができた内容を以下のように記述しました。

不登校児童生徒の指導結果状況によると、
指導中の児童生徒数は107,598人。うち継続した登校には至らないものの好ましい変化が見られるようになった児童生徒数は30,621人。
指導の結果、登校する又はできるようになった児童生徒36,433人を含め、不登校児童生徒数は計14万4,031人と報告された。
 一方、相談・指導等を受けた学校内外の機関等及び指導要録上出席扱いとした児童生徒数,通学定期乗車券制度の適用を受けた児童生徒数の調査結果によると、学校内外で相談・指導を受けていない人数は34,096人。うち90日以上の欠席をしている児童生徒数は17,812人。
 校内指導を受けている人数は72,183人。うち90日以上の欠席をしている児童生徒数は41,256人。
 学校外で指導・相談を受けている人数は、43,336人。うち90日以上の欠席をしている児童生徒数は28,656人。
合計すると不登校児童生徒数字は14万9,615人となる。
 このうち出席扱いになった者は、学校外で指導を受けている者43,336人中20,346人。うち90日以上の欠席をしている児童生徒数の28,656人の中では14,119人。校内指導を受けている者はそのまま出席扱いになると思われるので72,183人とするが、うち90日以上の欠席をしている児童生徒数は41,256人である。合計すると92,529人
 不登校児童生徒数149,615人中、出席扱いになっていない、あるいは、ならない児童生徒数は、
学校内外で相談・指導を受けていない34,096人
学校外で指導を受けている者のうち22,990人
合計すると、57,086人の計算になる。

 自宅におけるIT等を活用した学習活動を指導要録上出席扱いとした児童生徒数は、小学校で36人、中学校で113人、計149人だが、「学校外の機関等で相談・指導等を受け、指導要録上出席扱いとした児童生徒数」にも重複して計上された人数を除くと、学校外の機関等で相談指導を受けずに自宅におけるIT等を活用した学習活動で指導要録上の出席扱いとなった児童生徒数は、小学校で19人、中学校で55人、計74人となる。
ー参考資料:平成29年度不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査報告

 この内容を図にしたものが、下記【基本図①】です。


【基本図①】

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不登校支援の対象となる児童生徒とは

 不登校特例校に通う児童生徒や、夜間中学校への通学している学齢期の児童生徒も居る可能性がありますが、これらの生徒実数は別の調査報告に依ります。不登校特例校や夜間中学校の設置推進は、教育機会確保法も根拠のひとつです。

教育機会確保法(就学の機会の提供等)第十四条
 地方公共団体は、学齢期を経過した者(その者の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満十五歳に達した日の属する学年の終わりまでの期間を経過した者をいう。次条第二項第三号において同じ。)であって学校における就学の機会が提供されなかったもののうちにその機会の提供を希望する者が多く存在することを踏まえ、夜間その他特別な時間において授業を行う学校における就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずるものとする。


 『「不登校特例校に関する実態調査」結果』(平成28年6月29日 文部科学省)によると、平成28年1月時点で不登校特例校の小中学校数は10校(小中学校併設2校。中学校8校(公立3校・私立5校)※「指定の状況及び指定を受けている設置者一覧」より)。在籍する生徒数は729人となっています。


 『平成29年度夜間中学等に関する実態調査』によると、平成29年7月時点の調査では夜間中学校に、学齢期に相当する生徒の在籍はありません。確保法は平成29年(2017年)2月に施行していますが、施行以前から夜間中学校に中学校学齢期の生徒が在籍してはならない規定はありませんでした。しかし夜間中学校の本来の目的からすると、学齢期の児童生徒が中学校の学習指導要領に沿った学習カリキュラムを履修する目的に応じることは困難な面があるのではないかと推測されます。

夜間中学設置推進・充実協議会
【参考資料】夜間中学の新設に関する最近の動向について 

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【参考資料】教育機会確保法施行状況を検討するに当たっての論点
~これまで出された委員の意見から~

 長期欠席者のなかに不登校の状態である在籍生徒は「不登校児童生徒」となります。その生徒のなかには積極的不登校・選択登校と呼ばれる学校に登校する以外の方法で学校の学習を進める者あるいは学校教育以外の自由教育体系の学習の場に身を置く者がいます。また不登校を動機理由として不登校特例校に在籍する者夜間中学校に在籍する者はどうでしょうか。不登校支援の対象は「誰」になるのでしょうか。
 短期的な学校復帰を目標とせず、教育支援センター(管轄含む)、民間団体・民間施設、在宅学習で訪問支援を受ける者もいます。それらの機関に属さないために支援を受けていない者は「指導を受けていない生徒34,096人」の中に含まれるものと思われます。
 多様な状況の中で、不登校支援の対象はどのように位置づけられているのでしょうか。
 

「不登校」名称の変遷

 不登校児童生徒が定義づけされ、明文化した法律は教育機会確保法が初めてのことだと言えます。夜間中学校、フリースクール支援、不登校支援の3つの要素をとりまとめた教育機会確保法は、不登校児童生徒の定義を次のように定めています。

第二条第三項  不登校児童生徒 (定義)
 相当の期間学校を欠席する児童生徒であって、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学が困難である状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められるものをいう。ー義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年・2016年12月公布 2017年2月施行。付帯決議)

 教育機会確保法が学校教育法の特例法であることをふまえて、不登校児童生徒の定義が明文化された意味を考える意義はありそうです。これが学校教育を普通教育として選んだ家庭を対象とするのか、あるいは現行制度上在籍生徒であるすべての児童生徒を対象とするものであるのか。その線引きの塩梅が法律上の判断として問われることになったからです。対象を明確にしたことで支援対象が明確になるという考えがあるのでしょうか。しかし、それ以上に、これまでの校長裁量に依る判断が、さらに厳格に縛られるものとなったといえるのではないかと懸念されます。

名称の変遷
〔長期欠席=問題行動=怠学〕
  ↓
神経症的症状の観点から 「分離不安症」
〔学校恐怖症 school phobia〕
〔学校嫌い reluctance to go to school〕 
〔登校拒否 refusal to go to school〕
  ↓
不適応行動の観点から
〔不登校(non-attendance at school)〕

参考:『不登校をめぐる歴史・現状・課題』(2002年)

  「不登校児童生徒の定義づけ」は、生徒の区分を表したことになりました。「学校に行っていない子・行っている子」に区分されたことは大変衝撃的なことでした。これまで使われてきた「学校に行かないこと」を表現する方法は、ひとりひとりの「登校できない理由」のようにみえたかもしれません。しかしそれは「登校していないこと」という行動に着目するものでした。だからこそ、個々の背景によって、多種多様な要因があり、さらに要因は複雑に絡み合っているということが見えてきたのです。そのひとつひとつに名前をつけるようなことはもちろん難しいですし、それをひとくくりにすることも不可能です。その観点は「登校できるようになるためには、どうしたらいいか」でした。名前の変遷にあるように、児童生徒本人の問題と考えられていた時代から一歩進んだのです。
 「登校していないこと」という状況を表す名前から、登校していない生徒の集合に名前が付けられてしまうのが「不登校児童生徒の定義づけ」です。もはや学校に行かない以外の選択は追いやられ、「学校に行かない児童生徒をどうすべきか」の観点になってしまうのです。登校拒否の言葉が使われていた頃にもすでに「問題行動と判断してはならない」との文科省通知があったにも関わらず、依然として、学校に行かないことは本人や家族の問題であるという社会通念がはびこっていたことは、多くの方が感じておられる通りです。ようやく「学校や教師との関係にも課題があるのではないか」との意識が浮上しはじめたなと世間にも目に見えるようになったというのに、またさかのぼってしまうのではないでしょうか。
 生徒の区分は、区分された生徒の扱いをどう位置づけるか、の論点にいともたやすく移行します。学校外の多様な学習の機会を保障するという名目で。選択肢を選び、その先は自己責任でという流れが当然のように目の前に出されることになりそうです。
 学校制度の歴史の中で、特別支援の歴史を思い出した人もいるでしょう。「普通」「一般的」であれば授業についていけるであろうこどもたち以外を、別の場所に移すことが正義となったのです。もっとも、障害教育の始まりはそもそも教育を受ける機会が無かったこどもたちのために始まりました。やがてみなが同じように就学することが義務付けられ、その学習の機会を損なわないよう支援という形の別枠が登場したのです。それはある面では配慮であり、ある面では通常の状態を維持することにもつながりました。どちらも必要でしたから、どちらかしかないということも考えられませんでしたし、またどちらも包括して共に学ぶ場の模索もされています。配慮であるのか、区分であるのかの是非は、ひとりひとりが受けることできる環境の整備にあります。どうあるべきか、どうできるかを本人の意思を尊重することはもちろん、本人の現状と将来を見据えての検討と挑戦が必須になることでしょう。多様な学習の機会のこれからは、これまでの障害教育の歴史から多くを学べる気がしています。それはやがて統合されていくものなのでしょう。

出席扱いになった生徒児童数

 学校内外で指導を受けている者は、出席扱いにすることができます。しかし全員がそうはなっていません。出席扱いとする基準の違いでしょうか。(出席扱いとは:kokage 知っておきたい用語「出席扱い」)
 「出席扱い」に着目した図を作成してみました。

 最新の不登校調査では『不登校児童生徒の指導結果状況』と題して、①指導中の児童生徒数・②継続した登校には至らないものの好ましい変化が見られるようになった児童生徒数・③指導の結果、登校する又はできるようになった児童生徒数を示し、不登校児童生徒数を報告しました。これにより、不登校児童生徒数の推移や割合等その他の数値は、この不登校児童生徒数が書き込まれました。しかしこの数字は「指導中」の意味と状況が非常に見えづらく、どこに所属している状態の生徒であるのかもわかりません。学校に登校してくる生徒への指導なのか、教育支援センターやそのほかの民間施設等に通っている生徒や、どこにも所属せず自宅で過ごしている在籍生徒への面談等の指導なのかもわかりません。ましてや指導後に登校を再開した生徒数も含まれているのです。彼らも又「不登校児童生徒」になるのでしょうか。不登校傾向や不登校気味、不登校になるおそれがある…といった予防に意識が向いていることを示唆しているようにも見えます。しかし不登校に対する支援として、あるいはケアとして必要なのか。その数字を示す根拠が見いだせないのです。言い換えることができるとすれば、「先生が働きかけた数」ぐらいのものでしょう。むしろ、そのカウントはいっさいを失くしたほうが、具体的な対策の方向性が見えるのではと思う程です。

【図②】
緑色の数字 指導要録上、出席扱いになった児童生徒数
赤色の数字 指導要録上、出席扱いになっていない児童生徒数
緑枠 自宅におけるIT等を活用した学習活動を指導要録上出席扱いとした児童生徒数
赤枠 指導要録上の出席扱いにならなかった児童生徒総数

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 出席扱いとする判断は各学校長の裁量に任されています。保健室登校や別室登校、校門前のハイタッチ、面談など生徒ひとりひとりの状況をふまえた対応となっていることが基本姿勢にあります。その背景には学校復帰の希望を叶えるための無理のないスモールステップの考えがありますが、進学希望などをふまえて、できるだけ出席日数や指導要録に記録できる活動を学校から提案する実情がうかがえます。学習プリントなどの課題や宿題の提出、定期テストを受けるなどは評定に反映することも可能になります。しかし評定は活動した内容のみを対象とするではなく、全体活動のうち活動できた範囲で評定を出すことになるので、おのずと評定も低いものとなります。通常、毎日登校している児童生徒の評定との不平等を生じないように配慮をするとそうならざるを得ないのが一般的な判断といえます。しかし、これも各学校長の裁量に任されることになっています。学校長の裁量権は、学校の自治と自立を守るために必要不可欠なことだと言えますが、学校における在籍児童生徒に対する平等性と不登校支援との兼ね合いは非常に難しいものだと想像できます。

 さて、指導要録上の出席扱いになっていない児童生徒数は、学校外で指導を受けている者のうち22,990人と、おそらく学校内外で指導を受けていない者34,096人の合計57,086人という理解でよいでしょうか。
 指導要録上の出席扱いになった児童生徒数は、図では学校内で指導を受けている児童生徒を含めました。学校外で指導を受けている児童生徒の43,336人中20,346人が出席扱いになっています。22,990人が出席扱い人っていませんが、出席扱いにできる状況にありながら、なんらかの理由で出席扱いになっていない生徒がいるのだといえます。
 ならば出席扱いにならない状況にいる生徒はどのような環境に居ると考えることができるでしょうか。それが学校内外で指導を受けていない者34,096人に含まれていると考えられます。含まれているというのは、すべてではないと想定できるからです。
 図にあるように、一部はオルタナティブ教育を選び、普通教育として自由教育を選んだ家庭がいると思われます。「オルタナティブスクールに在籍している」という意味ではありません。「オルタナティブ教育を選んだ」家庭です。オルタナティブスクールに通っていたり、登校復帰を目指さず在宅学習の形態を選んでいても、学校教育の代替教育という意味であることも多いからです。
 残るは図で示したジプシーと表現した児童生徒です。図では不登校児童生徒としていますが、これは「学校に行っていない状況」という条件を含んでいることを示します。しかし、不登校ジプシーは実はこの枠以外でもいて、教育支援センターに通っていても、そのほかのなんらかの相談先や指導を受けていても、実際には「どうしたらよいのか」が定まらず、迷い続けている状態ともいえ、この図で言えば、どこにでも含まれると考えることができます。枠内においては、特に出席扱いを要望するもそうされない状況や、出席扱いを要望しない、つまり登校刺激のような類を拒否する状況もあるのではないでしょうか。
 特に不登校の子の居る家庭において、もっとも学校対応で悩んでいる家庭がどこに居るかが、この枠で示されたと思います。

 どのような支援を必要としているかは、不登校支援がイメージだけで語られているうちはどれも的確なものはありません。そもそも教育機会確保法で期待されることは学習機会の確保の保障です。それには普通教育を選ぶ自由と、その自由を行使する権利の保障であり、学校教育における学習内容を提供されるとともに、学校教育以外の多様な場で過ごすこどもたちの暮らしがおびやかされることのない配慮も求められていたはずでした。それが多様な学習の機会の確保であり、休養の重要性です。

 不登校とひとくくりにできない理由があります。


不登校ジプシー

 不登校支援に期待することは何でしょうか。そして、特に早急に必要なのは誰でしょうか。不登校児童生徒の内訳を探ってきましたが、教育機会確保法の周辺で語られる不登校児童生徒像は、教育支援センターに通う者、フリースクールに通うもの、オルタナティブスクールに通う者がかたどられている傾向にあるようにも見えます。数少ない自由なスクールを設置してほしい要望や、スクールの存続のための支援を求める声、そしてスクールに通う以外の方法おもにIT学習等の学習を学校教育の履修に認めてほしいと要望する声です。総じて、どこかに所属することができる層だと言えます。つまりなにかしらの相談先や情報源を持っているといえます。
 彼らはすべてではありませんが、指導要録上の出席扱いにできる対象の教育機関や、出席扱いにできる要件をそなえたIT学習等の学習を受けることができる状況に置かれていると考えられます。
 それ以外の状況に置かれた不登校児童生徒はどうでしょうか。これまで検討してきたなかにいたはずです。

 学校内外で指導を受けている者のうち出席扱いになっていない児童生徒はなぜ、そのようになっているのでしょうか。指導を受けていない者はどうでしょうか。【考察(1)】で述べたような状況(登校刺激を望まない等)が考えられます。それ以外についてもっとも考慮すべき状況も想定することができます。
 それは、いずれの相談機関にもつながっていない状況にあるということです。情報が少ないあるいは情報過多によって、方向性が定まらない状況にあって、混乱している最中にいる人々のことを、私は不登校ジプシーと呼んでいます。

 不登校ジプシーの特徴は、Know-HowやHow-Toを求め、正解を求め、不安が強い傾向にあります。いわば宙ぶらりんの状態で、五里霧中のなかに手探りでいる、トンネルのなか・・・といった表現で聴こえてくるでしょう。最も「不登校の重要な課題」の実情をあらわしていると思います。ホームスクールといったマニュアルもなにもないながらも「こども主体」であるという基軸を持って手探りでも進んでいくのとも違います。オルタナティブスクールのような教育体系を新たに学び習い、親子で新しい学びの場を体験しながら進んでいくのとも違います。両者はそれまでの学校教育信仰ともいうべき価値観念を振り返り、軌道修正することに挑んでいるからです。葛藤しながら家族で歩んでいることでしょう。
 しかし不登校ジプシーは、正解を求めます。正解の支援を求めます。あるべき正しさを求めるかもしれません。そのため許可と承認を求める傾向にあるように私には見えます。彼らは「ホームスクーリングをする」のであって、こども主体のまなびの環境を整えることから始めることをしません。「ホームスクーリング」の方法を知ろうと努め、その通りに従うことで「ちゃんとやっている」ことを示そうとします。学校に代わる代替パッケージを求めるのです。スクールアットホームの心理と同じだといえます。だとすれば、必要なことはデスクーリング(ゼロベース思考)のプロセスではないでしょうか。それは心身のケアです。休養と休息です。
 また不登校ジプシーは、いわゆる学校教育信仰に疑問を抱き始めた人のことでもあります。学校以外の選択肢があるのではないかとおぼろげに見えているような気がしながら、なにが正解かわからなくなり始めたと言えるでしょう。そのため情報を持つことがもっとも重要だと言えますが、アクセスすることに勇気が持てないでいるように見えます。やはり「普通」であるとか「常識」といったものを、一歩さがって離れて眺めてみるというスタンスを持つことにある種の不安を抱いているのだと思います。なぜなら、たぶんきっとそれまで周囲にそのような人がいなかったからではないでしょうか。今まで関心を持たなかった分野に足を踏み入れてみると、そこにヒントが転がっていることがままあります。そういう出会いを求めてほしいと願っています。

答えは提示されつづける

 下記は、教育機会確保法を周辺とした学校の在り方と不登校、教育の在り方のつながりを特に印象深い事柄で年表にしたものです。

平成12年(2000年) 新自由主義政策(小泉政権)「官から民へ」
ー☆オルタナティブ教育に注目が集まる
平成14年(2002年) 構造改革特区制度
ー☆定時制高校の減少と通信制高校の増加
平成17年(2005年) 不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について(通知)
 ー☆不登校の受け皿としてフリースクールに注目が集まる
平成18年(2006年) 教育基本法改正
平成28年(2016年)
       教育機会確保法公布
ー☆IT学習に注目が集まる
       家庭教育支援法案
       N高等学校(IT技術活用/広域通信制高校)開校
平成30年(2018年) 
       教育のICT化に向けた環境整備5か年計画(~2022年度)
       経済産業省「未来の教室」Edtech研究会
       クラスジャパンプロジェクト(自治体にIT学習ツール提供)
令和元年(2019年)
      文部科学省×厚生労働省 虐待防止緊急安全点検(家庭訪問)
      文部科学省 先端技術活用推進方策
      N中等部(IT技術活用/フリースクール)開校
      小中高キャリア・パスポート
―☆登校する以外の多様なカタチに注目が集まる
令和2年(2020年) 教育機会確保法の見直し(付帯決議)

 不登校周辺において、学校と教育と学習環境をキーワードにして文部科学省だけでなく経済産業省、厚生労働省の連携もあらわになってきました。文部科学省は公教育として学校教育の管理指導を、経済産業省は学力の生産性の向上を、厚生労働省はこどもを取り巻く環境改善を軸に、「こども」を対象にしつつ、こどもの周辺にいる大人たちへの指示・指導を強めています。
 官僚体質といってしまえばそれまでですが、国政に忖度する沁みついた構造と、優等生であるゆえの視界が、よりいっそう「正解」を提示し、いかにその通りにこなせるかの指示・指導を繰り返します。それは「正しさ」の踏襲です。規定外、想定外から起こる未知の可能性を見守ることや、将来への種まきとして育むというまなざしが抜け落ちているのではと思えることがしばしばです。しかし、不安にさいなまれるなか、「正しさ」や「正解」に安定を期待し、安心を得たいと望む人々にとっては支援の望ましいカタチになるのかもしれません。しかし、それを望まない少数の人々もいるのだということも忘れないでほしいのです。


民主主義の学校 シチズンシップ

 地方自治の呼び名です。
 「よかれ」と思ってなされるありとあらゆる善意は、必ずしも「良い結果」をもたらすとは限りません。正解ばかりが正解ではなく、正しさばかりが安寧をもたらすとはいえないのです。そんなあやふやでこころもとない人間関係を礎にした社会で生きるためにはなにが必要なのでしょうか。
 ずっと手をひかれたままではいられないことを誰もが知っていると思います。ですが、あまりに余計なことに心を配らなければならない時代なために、私たちは安心して、信じ、学び、失敗し、葛藤し、間違いを自覚し、やり直すということができなくなっています。まだ、その種は残っているでしょうか。
 答えはいつもここに戻ってきてしまいます。シチズンシップです。
 市民として、個人として。その権利を知り、行使することを学ぶ機会は、今も昔も地方の市民ひとりひとりにゆだねられています。もっとも本来はその活動を支える役目が公共の福祉(おおやけ)だったのではと思うのですが、いまや行政はアップダウンの指示・指導のもと、「その通り」にする以外の自治と自立の機会を縛られつつあります。自由にする権利はあるが、その行動と結果は自己責任として背負うように、とされてきたからです。「その通り」でなければ、「なぜ?」と「根拠」と「説明責任」を問われるわけですから。それでは「正解」以外の挑戦はとても恐ろしいものになってしまいます。こどもでも大人でも、未来を知ることが適わない人間なら当たり前の心情のような気がします。約束された未来、保証された道筋を通りきることに懸命になる以外は無謀であるように思わされてしまいます。社会がそのような雰囲気を持つようになって久しいということなのでしょうか。

 けれども、こどもたちはいつの時代でもやはり「人らしく」在ろうとするのだと思うのです。





(1)に続き、(2)の二本立てになりました。
このnoteは公開後も編集される場合があります。
次回は『「未来の教室」Edtech第二次提言を読み解く(仮)』の予定です。
 

 このnoteは下記マガジンに含まれています。不登校支援法、フリースクール支援法とよばれる教育機会確保法は、子どもを持つ家庭のみならず、地域のかた、市民すべてにかかわる「教育」について、その制度や態勢に影響するあらゆる意味で重要な法律となりました。2020年の見直しを控えて、その是非が問われています。
 ご関心いただけますとさいわいです。


【2020年6月追記】
 新通知により『IT学習等~』の2017年通知内容から変更があります。下記、資料マガジンを参照ください。

『不登校児童生徒への支援の在り方について (新通知) 令和元年(2019年)10月25日新通知』


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多和 洋美 | kokage
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