あなたはどう思う?
おとなとこども。
「こども」の定義はユニセフの定義では18歳未満のすべての者となっています。日本では20歳から成年となっていて、20歳未満の男女は未成年です。(2022年4月から民法改正で18才成人に。)こどもの定義はおおむね18歳以下の者となっていますが、そのほか児童・少年少女・青少年・青年・幼児・乳幼児・乳児・年少者・勤労青年が行政用語にあるもので、それぞれ制度により年齢区分に若干違いがあります。こども料金はバスと飛行機では対象となる年齢が違いますね。病院では小児とありますね。新生児からだいたい15歳までが対象ということになっています。
こどもという概念は中世ヨーロッパでは存在しておらず「小さな大人」として扱われたのだとか。これは近年までこども観に根付く観点として根深く、躾けに調教のような意味合いを含む根っこではと思えます。日本では世継ぎとして親に対しての子という位置づけがあり、こどもを所有物とする扱いの歴史文化背景があります。学校制度が登場すると教師に対しての生徒、大人に対しての子どもという立場をわきまえるという指導が進みます。
こどもが「わたしたちはこどもだ!」と主張するとき、それはどんな意味が含まれているのでしょうか。
「小さな大人」として扱われたこども観は、やがて人間の成長発達に関する研究が進むにつれ、成長発達段階の途中にいる未熟な身体の作りであることや精神発達の上でも成長途上にあって、その育成環境により育まれていくものだという認識が広まりました。ゆえにこどもは成長途上の人間として丁寧に扱われ育てられる必要があるとされているのです。
こどもがひとりの人間として扱われていないと感じる時、そして成長途上にあって発達に応じた適切な環境に置かれていない時、「わたしたちはこどもなのだ!」と主張されるものではと思うのです。
人間はすでに完成された個体でありながら、生きている間は常に変容しています。ですが変容するうち、こどもとおとなの区分を成長と老化というように峠の後先であるかのように表現します。どちらも同じ変容にすぎないのに。それほどこどもの変容は「成長」として大切に扱われるべきだという考えがあるのかもしれません。
しかし時代が進み、わたしたちには学べる事柄が非常に増えてきました。生涯学び続ける様は東洋思想にちょうどそぐっている印象があります。師匠は生涯まなび続け、弟子はそのあとを引き継ぎ、命をつないで学び続けるようなそんなイメージです。すでに生まれた時からもっている命を学び続けることで輝かせるというのは、人の才能がどこにあるのかという東洋的な思想です。西洋だと、才能は生まれつき定まっているものなので失敗することやできないとみなされることはすなわちその才能が無いと決定づけされることと結びつき、失敗が許されないため強い叱責と躾けでできることを証明してみせろというストーリーになるそうです。単純明快にするために極端な表現で書いています。「東洋人だから、西洋人は…」という区分けの話ではありません。両極にあるふたつの傾向を書いているまでです。両極の間に人々は連続体(スペクトラム)に分布していて、はっきりと区別して分けるということは無理なのですが、違いを理解する上ではそれらの傾向を知っておくことは有効なのです。人はなぜか違いを見つけるのが上手です。なぜなんでしょうね。違いがはっきりとしているほど認識に容易く、ザルの目でふるい落とそうとしてきたのでしょう。残ったものが同質であるという保証はどこにもないのに、そうであると思い込むことで安心と保障を得ようとしてきたのでした。
もしも、その器がザルなどではないと最初に気づいていたら。
人間世界という器がすでに完璧であるのだと信じられていたら。
ひとりひとりが《個》であり、すべてが《個》であり、ゆえに区別する必要もないのだと知ったかもしれませんね。
なるほど。完璧だと信じることができないからこそ「完璧な存在である神」という信仰が生れたのでしょうか。無いものは在るのだと説き、在るものは無くなるのだと説き、光があるから影があるのだと常に対比比較で人は事象を認識してきました。とても単純な世界観だと思います。三次元に住んでいながら、思考は二次元であるかのようです。
目に見えるもの、手に触れるもの、嗅ぐもの、あらゆる五感の感性によって、人は同じものを見ていてもその洞察の深さに違いがあります。世界観が違って育つというのも当然でしょう。
同じだと思っていたものが、たったひとつの質問で違う世界に出会うかもしれません。
「あなたはどう思う?」と、おとなもこどもも関係なく、目の前にいるひとりの人間に問いかけるとき、それは予定調和を期待するものであってはなりません。あるべき答えを期待して投げかける声色であってはいけないのでしょう。それはすぐさま見破られるからです。
「あなたはどう思う?」
おとなもこどもも関係なく、目に映るひとりの人間に問いかける。
それは人として尊重しているということ、人として対等であるということ。
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