指輪とおでこと眉毛のこと
無くしたと思った安価な指輪を、今日職場の外で発見した。建物の入口扉付近に置かれたスロープの上に落ちていたのだ。何の変哲もないシルバーのリングなのだがまさか自分の目に入るとは思わないくらい地味なところに落ちていた。この幸運を誰かにわけたい、と思い筆を執りました。これを読んでくれている稀有で変わり者なあなたにも何か発見がありますように。
美容院に行かない日々が続いている。美容院に不満があるわけではなく、ただただ行かないのである。しかし行かないと前髪が大変なことになってきている。一度自分で切ってしまったので余計にひどい。いっそ前髪を伸ばしたいが、「前髪を伸ばす」ということは私にとっては本当に至難の業なのである。
第一におでこの横線が気になる。深くはないが薄くもない皺がある。これが前髪から透けると特に老けた印象になる気がして、前髪はいつも厚めに作ってもらっている。おまけにおでこの骨が平らなうえにちょっと上のほうが出っ張っているので、おでこが下半分、陰になる。照明が真上から当たっている状態で写真に写ったりするとフランケンシュタイン感がでる。かわいいはかわいいよね?などと周りに確認してみる。
私は優しい大人たちに囲まれているので誰からも指摘を受けたことはないが、必殺・母親だけは本当のことを発言してくる。母親とはどこもこうなのだろうか。「おでこはもうあきらめなさい。年齢が出るけど、出しなさい」。そうなんだよ。年齢が出ちゃうんだよなぁ、と私は額をこする。
母親と私のおでこは瓜二つなのでこのような発言は特に自分にとって説得力がある。母は75歳ということもあり髪の量的にもがっつりな前髪は無理があるとのことで、横に流している。まあ見慣れてしまえば特に大きな問題もないのだが、自分が見慣れるまでがやはりきつい。なぜみんなはきれいなおでこなのに自分はこんなに平らかでボーダー模様なのだろうか。
コンプレックスとなると人のおでこを余計見てしまう。そして有名人で少しでも自分に似通った人を見つけると勝手に親近感を覚えて応援してしまう。とはいえ今のところそっくりな人は皆無である。ちょっと骨が出ているとか、ちょっとおでこが狭そうとかその程度だ。
どうにかならないものかと最近試しているのが、眉毛である。ハリウッドアイブロウとやらをやると、眉毛が眉頭から逆立つような形になり、眉毛に存在感がでるので、もしかしたらおでこより眉毛に視線を移してもらえるかもしれない。
ということで早速、施術してくれるお店を予約しやってもらってみた。眉毛の書き方にはまだまだ課題が残るが、目論見通り眉毛に存在感は若干生まれた気がしており、これはこれで気に入っている。離れ目の人はぜひやってみてほしい。で、おでこへの視線の影響はいまのところわかっていない。
ちょっと何か言われてみたくて前髪を分けてみたりしているのだが、昨今の容姿に対するコンプライアンスが徹底されているわが職場では何も起こらない。だれもお前のおでこなんて見てないよ、ではこの話は終わってしまうのだ、それは絶対に言ってはいけない。
美容は自己満足の世界なのでおでこコンプレックスは続くが、あれこれ試してみるのは新しいことに出会えたりもするので楽しい。悩みは抱えるものではない、出すものである、というのが最近の自論である。
指輪を失くしたことは、実は今朝、出勤の支度をするときまで気づいていなかった。しかも失くしたと思っていたことすら忘れていた午後に、たまたま発見となったのだ。ラッキーと思う一方で、ラッキーじゃなかったことを思い出そうとしたけど、すぐに思いつかない。こんなものなのだ。喪失感やコンプレックスと向き合うときは向き合って、悩むときは悩んで、忘れている時はたまたまラッキー。ままならない人生を、今日もなにかと発狂しながら歩く。