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上半身のデカさと早朝ランと保険の見直し

相変わらず部屋の掃除はしていない。猫が膝の上に乗っているから行動に移せない、とだけ書いておく。最近は髪の毛を黒く染めている。これがなんだかしっくりきていて、ファッションには鮮やかな色を持ってきてみたくなるという現象が起きている。しかし長年の癖はなかなか抜けずつい黒いものを選びがちになる。ほっそり見える気がするしなんだか安心する。しかし黒ばかりクローゼットに並ぶと「服がない」と思ってしまう。変化が欲しい、目に見えるわかりやすい変化が。

かといって白いトップスを買うとなんかもう格段に太って見える。白で着ることができるのは今のところTシャツのみ。シャツやニットは自分的に膨らむ。太って見えた時点でやる気をなくすからやはりトップスには特に濃い色を選んでしまうのである。トップス、というところがまたみそで、写真を撮る状態というのは大体上半身なのである。そして写真は太って見える、藤原紀香もそう言っていたのでまず間違いないだろう。

別に下半身がどうでもいいなど言うつもりはない。どうでもいいわけはない。しかし瞬間を切り取る際に最悪の場合隠ぺいできる率が圧倒的に高いのは下半身なわけで、顔を切り落として自分の手で顔を持ち下半身付近で写真を撮る、みたいなことができない限り人間には上半身がついてくるのである。書いていて意味がわからない。

好きなものを着たいけど好きなものとはスタイル良く見えるものである。とにかく良く見せたい。いったい誰に。自分に、に決まっている。自分さえ鏡の前で「いいじゃん」と思えればその日はなんとかなるのだから。

無限に服が欲しいし、一方でもうそんなにいらない気もしている。だいたい印象が同じなのである。いつのどの写真を見ても劇的に変化があるものはない。顔と体の経年劣化だけは順調なので「これいつのだっけ」となることもそんなにない。とはいえやはり美しいものが着たい。正確に言うと、美しいものを着て写真を撮って満足したい。事実だけを残したいのである。そしてそれは自分が眺めて満足したい、人に見られてはならない。写真館行けよブス、などと言われてもそんなことはしない。写真館に行った事実を誰かに知られたら生まれ変わるのも拒否したいくらい恥ずかしい。

最近は小物に変化をつけようではないか、と思い始めた。しかし小物とて安くはない。しかも年齢とともに安物をつけると悪目立ちする肌感になってきた。不条理である。生活資金が必要になる老はファッションでも金がかかるようになる。

ということで今日も昨日と同じような服を着てでかける。保険の見直しに行くのである。もう学生の頃に父親の付き合いで入らされた保険は解約したい。20年以上支払ってきたがもうよいだろう。しかしこの先なにかあったらどうしよう。そんな感じで「趣味・不安」の私は今日も知識を求めて外界に繰り出す。何も変わらなかったら「インサイド・ジョブ」でも見て世界経済に思いを走らせ一時的に脳をバグらせることにする。

週2で早朝ランを行っているが、相変わらず生理痛は重いし謎の胃痛で悶絶する。悪玉コレステロールだけは嘘みたいに減った。適度な運動とはなんなんだろうか。効くところには効くし効かないところには意味がないという、喜びと絶望を残す結果が現在の現実である。とはいえすこし引き締めたいくらいの目的でやりだしたが朝ランだが、デメリットよりはメリットのほうが多い。走った日は代謝が上がっている気がするし、早朝に公園に住んでいる猫たちを発見したりもする。顔と腰回りの肉が少し落ちた。景色が変わらないくらいの鈍足だが、「走った」という事実が大事なので気にしない。見るからに年上のランナーたちに追い越されるが、この敗北感になぜかヨダレが出るほど興奮する。新たな自分の発見である。

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