相棒とは
車の運転を始めたら、車が欲しくなってきた。男と付き合いだしたらカワイイ下着欲しくなってきた、ときっと同義である。うちにはマイカーなるものはない、今のところ必要ない。一応都内と言われる場所の端っこだし、電車はあるし、いざとなったらタクシーに乗ればいい。しかし昨今タクシーは競争率が高い。
そう、「いざ」となった時の車なのである。家人が倒れたら、猫の具合が悪くなったら、離れて暮らす親になにかあったら―。私はきっと守りに入ってきているのだろう。まだ起こってもいないことに、なんとか先手を叩きつけて衝撃から身を守りたいというのが運転を再開し始めたそもそもの理由だ。
先日、運転の練習と称してレンタカーを借りた。それなりにいいお値段がした。トヨタレンタカーでカローラを借りて12時間まで7,150円、それに保険をつけたら一万円を超える。最後にはガソリンを満タンにして返却するのでその分の代金も加算される。かといってカーシェアに登録するのもまた気が引ける。サブスクとはいえ、月に3~4回は乗る用事がないと、レンタカーとの損益分岐点には到達しないらしい(車種にもよるが)。今のところそんなに頻繁に乗る予定もなく、せいぜい練習と称して月1-2回乗る程度だ。
実家に帰った日には実家の車を借りてその辺をドライブしてみるのだが、外車なのでウィンカーが左についている。国産車は右側なので、レンタカーで国産車を借りたときは必ず3回くらいは間違えてワイパーが起動する。フロントガラスを傷つけているのではと思うと緊張するし、なによりウィンカーと思って出しているので車線変更中にワイパーが動くと軽くパニックになる。後ろから追突されたらどうしよう、と。癖というのは本当に恐ろしい。変な癖をつけないためにも、あまり実家の車は借りない方がいい気もする。
もっと言ってしまうと、実家の車にはとても古いカーナビしかついておらず、しかも地図が古いのでたまに今は存在しないはずの道を静かに映し出していたりする。いろいろ怖い。そんな調子なのでレンタカーをした時には「これが現代か」と驚いた。
最新のカーナビは目的地を設定すれば永遠に喋って誘導してくれるし、ギアをバックに入れればカーナビのモニターはたちまち車の後方を映し出しご丁寧にガイドラインまで出して駐車という行為を全力サポートしてくれる。正直これだけに頼っては危ないのできょろきょろする必要はあるが、それでも後ろが見えないより何倍もストレスを軽減してくれる。まるでちょっと運転がうまくなったかのような錯覚すら覚えるのだ。
マイカーを持つのは車代だけでなく駐車場代に維持費もかかる。車に乗らなくてはならない生活圏まで行くのはそれはそれで勇気を伴う。運転できるうちはいいとして年を取ったらとにかく近くにスーパーなどないと体力的に辛い。そのころには自分には頼れる家族もいないのだ。
でも、怯えているだけなのもちょっとむなしい。不安があったら楽しんではいけないかのようだ。誰に言われたわけでもなく、私の心のクセがそうさせている気がする。不安をカバーしようとすると新しい不安を生み出している。文字通り目の前のことだけを考えることができるのが、車なのだ。目の前のことを楽しんでもいいではないか。
買わないまでも、かわいい車を探しに行ってみても良いかもしれない。車を余裕で運転できるようになれば、友人たちと遊びにだって行けるようになるかもしれない。
そしていつか「いざ」が訪れて、すべての作業が終わったら、ひとり車で遠くまで行って、泣くこともできるかもしれない。
そうか、だからみんな車のことを「相棒」と呼ぶのか。