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志賀直哉「国語問題」について書いて3年

志賀直哉のエッセイ「国語問題」に関する論考を書いてからちょうど3年が経った。

志賀直哉の「国語問題」についての論考 

これを書いた時、僕は49才という歳を迎えたていた。
僕の周りには50歳の前後の数年、49歳から53歳の間に亡くなった人が多くいる。
その事もあって、人生50年というのは、決して昔の話ではないとう感覚が、僕にはある。
僕もその歳にさしかかり、いつ何時どうなってもおかしくはないという気がして仕方なかった。
この論考の骨子は長年考えて来たものであったが、いま書き残しておかなければという切迫感があった。
だからこれにはどこか遺書のようなおもむきがある。
今年、僕は53歳になる。
来年には若くして亡くなった諸先輩方の歳をみな越える事になる。

本論の前半の3つの章での主張は、僕には志賀直哉の「国語問題」を、どうしてもこういう風にしか読めなかったというのが基本にあります。
何か志賀直哉がそういうニュアンスを持って語りかけているように感じた。
しかしその様な捉え方をしている論を見なかったので、自分なりに調べて、考察を加え、まとめてみた次第です。

後半の4つの章については、前半部分に比べて詰めが甘いかもしれない。
後半に論じた事も、僕にはその様に捉えられて仕方がなかったという思いが底にあります。
後半部の内容については今後も考察を続けていこうと思っています。

本論を補うのに必要と思った部分は、注で追加しました。本文よりも最後部に上げた注と引用文献の項の方が長くなってしまった。なんともはや。まぁ、文献に本の写真を上げたという事もあるが。

注と文献は別アカウントを作って、そちらにも項目ごとに載せ、注は本文中のローマ数字、文献はアラビア数字とひもづけているので、必要に応じて、そこをクリックして見ていただければと思います。

注と文献のアカウント


注の中には、別の論考として、更に広げられそうなものもあるが、今のところ僕の力量を越える。
誰かの参考にでもなれば幸いです。

注で論じた幾つかのテーマ

三島由紀夫坂口安吾・志賀直哉


三島由紀夫と反教養主義


外来文化の日本化の例としてのレベッカSPEED


芥川龍之介と関連して
鬼滅の刃」「進撃の巨人」など


国語学・民俗学・文学


徳田秋声と志賀直哉


志賀直哉の「国語問題」についての論考をnote に上げるにあたっては、スキ(いいね)を目標としなかった。
複数の論考が合わさっており、簡単に全体を良いとは言い難いだろうと思ったからだ。
それでもスキ(いいね)をして下さる方も沢山いて、嬉しい限りです。
(アクセス情報でのスキは158で、表示されてる150より少し多いです。)

アクセス状況のビュー数は、3年経って目標をだいぶ上回った。
込み入った内容だし、ポップな話題でもないのに、こうした結果を得られたのは、3年間、noteを楽しみながら続けてきて、その核の1つに、この記事がある事を示せた結果だろうと思う。

肯定的にせよ批判的にせよ、この論を本気で捉えてくれる人が少しでもいてくれたら、望外の喜びです。

志賀直哉の「国語問題」についての論考 


今までに上げたエッセイと論文


僕が何かを考察するにあたっての基礎を作ってくれたマルクスの「資本論」についても少しですが論じる事ができました。
ここで論じた内容は社会主義思想とは何の関係もなく、何にでも応用可能なものではないかと思います。

「資本論」冒頭のマルクスの姿勢


「資本論」の冒頭の文章を訳しました。


本レビュー・文学について


映画・ドラマレビュー


自己紹介の代わりに


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