国会前デモの体験
これを書いてから、5年も経つんだな。
先日は集団的自衛権反対のデモがすごい人数だったようだ。テレビで殆ど伝えられていないという事を耳にするが、テレビを殆ど見ないので何とも分からない。
僕がデモに行ったのは、2年程も前だろうか、反原発のデモだった。なぜ実際に自分の目で見て来ないのか、とある人に言われたからだった。自分が反対かどうかということ以前に、国会前で多勢の人が声を挙げているのを知っていて、なぜ実際何が起きているのかを自分の目で見て、その人達と交流をもって来ないのか?と言われ、もっともだと思った。原発が再稼働されるという事に釈然としない思いはあった。その一言が背中を押してくれた。3度程行ったが、その後いろいろ(デモとは関係ない事)とあり、行かず仕舞いになってしまったが、忘れられない体験だった。
駅に着くと、主要な道路は封鎖され、散々遠回りをしてヘトヘトになりながらやっと国会前に着いた。本当に多勢の人がいた。老若男女、あらゆる人。疲れた顔をした仕事帰りらしき背広姿の人やお年寄りもいる。デモのような活動に慣れている人は少ないように感じた。どうにもいたたまれない気持ちで、ここに来ているのだなと感じた。こんな人達をあんなに遠回りをさせたのかと思うと腹が立った。すごい人なのに、歩道に押し込めているから国会前まで延々と並ばなければならない。建前上は危険だからということだろうが、人数からいって、歩道に押し込めるのは無理がある様に思った。平和的で8時には解散するデモなのだから、国会前だけでも車道を解放した方が、寧ろ安全だと感じた。すると、3度目に参加の時だろうか?何人かが、歩道にある柵をはずした(これはこういったことに慣れた人達であろう)のである。するとまるで水が満ちて行くように、国会前の道路にサーッと人々が広がって行ったのである。静かに国会前が人で満たされた。皆のいたたまれない気持ちが伝わって来るようであった。
後から、多勢で道路に出てきた人達もあったが、最初は本当に自然な流れであったように思う。原発を再稼働させようとする動きに対するいたたまれない気持ちが、皆をその様に導いたと感じた。
家に帰ってテレビを見ると、実際体験した身からすると、実に小さな扱いであった。日本に報道の自由はないのではないかと感じた。デモに参加した多勢の人が、日本の報道はおかしいと肌で感じたのではないか?その事がすごく大きい事であるように思った。そしてイラク戦争の時だったと思うが、渋谷で、それまで見たことのないほど大きな反戦デモを見た事を思い出した。あの時も殆ど報道されなかった。そしてテレビでT.S.が、何故日本人はデモをやらなくなったのか?どうしてだ?と議論をふっかけていたのだった。
*若干1ヶ所だけ、言い方を変えました。あとは漢字をひらがなにしたところなども少しありますが、ほぼ当時書いたままです。