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10年前に書いた、10年後までのライフプラン

私は毎年、手帳の最後の方についている自由ページに、10年後までのライフプランを書き続けてきた。

ライフプランと言っても、内容は夢・願望の類を心のまま好き勝手に書いたもので、そのほとんどは創作活動に関すること。それと持病があったので、健康面についても少々。

好き勝手に書けるので、これがなんとも楽しい。ワクワクしか書いてないから、時々読み返してまた楽しい。1年間手帳を使い込んだあとで読み返すと、「お、これできてるじゃん」というものがいくつかあったりする。叶ったものにはチェックを入れていくのだが、この瞬間がまた至福なのである。

それでふと、10年前は何を書いていたのかを見たくなった。10年前の私は何を望み、どんな未来を描いていたのか。

  *

手帳の使い方クオリティーが上がり始めたのは、2010年からだった。あちこち病院通いが頻発していたし、長年苦しめられた症状の病名が明らかになったのもこの頃。
病と二人三脚のライフスタイルを確立するため、体調の観察記録など、手帳に書くことが多くなった。

現在使っているMARK’S手帳との出会いもちょうどこの頃。メモ魔の受け皿としてとても優れた手帳で、特に1日1ページタイプの「EDiT」はその後何年も愛用している。

10年分のライフプランを書くようになったのは、2011年の手帳から。この頃はとにかく、小説家として生きたかった。
だからライフプランには小説家としてデビューすることと、したあとの暮らしぶりを書き込んだ。そのためにやるべきこと、通過点などもてんこ盛り。

今改めて眺めてみると、私が書いた夢はところどころ成就している。

しかしなぜか、思っていたのとちょっと違う、「ズレ気味の成就」になっている。

例えばこれ。

2011年 32歳
賞金、原稿料等をもらい始める。
なんとか生活に貢献。お金には困らない。

賞金や原稿料をコンスタントにもらえるようにはなっていない。
だけどお金にはそれほど困りはしなかった。

当時の私はほぼ毎年入院していたので、入院保険もその度におりた。入院費は高額だったが、そういう場合の制度を利用したので10万円以下に抑えられている。結果的に(こんな言い方どうかと思うが)わりと潤沢な臨時収入になったわけだ。

「ズレ気味の成就」はまだある。

在宅ワーク確立。
朝日と夕日を見られる生活。

病気療養中だから嫌でも在宅である。
朝日も夕日もお陰様でしっかり見ている。
だけど「在宅」は叶っても、「ワーク」が叶っていない。確立した仕事は作家ではなく「専業主婦」である。

2014年 35歳
私の本が、本屋さんで平積みされる。

希望した年には叶わなかったが、この3、4年後、たしかに私の本が、本屋さんで平積みにはなった。
地元商店街のイベントで出店しないかと誘われ、そのときあてがわれたスペースがたまたま本屋さんの一角。私はそこで、自分の小説の手製本を平積みにした。
……そういうことじゃないんだよなぁ。

2021年 42歳
無理なく、私らしい、作家生活。
ゆとりある生活。気持ち、時間、経済的に。

たしかにこの頃を境に、今までにないくらい、無理のない、私らしい、ゆとりある生活を送っている。私のペースで草刈りなど家の仕事をし、私のペースで文章も書いているが――
あとは「経済的自立」という要素がプラスされていれば、完璧なんだけどなぁ。

でもまあ、こういう生活を送っているおかげで、健康面については望んだとおりなってくれた。無理はできないが、痛みもなく、とても元気。

それは何よりありがたいことだが、健康を手にしただけではいけない。健康な心身でもって、次に何をするかなのだ。

  *

10年ライフプランには、私の夢の他に、もう1つ書いていたものがある。
占星術の本や、横浜中華街で手相を見てもらったときに言われた、「〇歳頃にこうなる」的なこと。

私がこういった占いをメモしておく理由は、当たったかどうかの答え合わせのためではない。
「当てにいく」ためである。

例えばこれ。

2020年のチャレンジに向かって努力していく10年の中にいる。
2012年夏~2013年、金運上向き。
2015年夏~2016年、すばらしい愛。
2017年秋~2018年、すてきな人たちと関わる。
2020年前後、飛躍のチャンス。大きな決断。

私は毎年これを手帳に書き、「きっと2020年には作家として飛躍するための大きな決断をするのだ」と信じて疑わなかった。

もしかして兼業作家から専業作家へ移行するのかな、とか。もしかして東京の方へ引っ越したりするのかな、都会はやだな、とか。

そうなると「2020年のチャレンジに向かって努力していく10年の中にいる」わけだから、一心不乱に作家としての努力だけをするようになる。
ちゃんと2020年に飛躍できるようにと。

ここで全然違う分野の努力をしてしまうと、いざ2020年の運命が来たとき、その違う分野の方で飛躍してしまうのではと恐れたのだ。

せっかくの運気を、そんな余計なことには使いたくない。ちゃんと集中して、ひたすら良い作品を書き続けること、作家の道を歩くことだけを考えていた。

――が、しかし。
今ならわかる。とてもはっきりとわかる。
「2020年の大きな決断」とは、作家としての決断ではない。あれはRIKONのことだったと。

そう考えると、他のところもクリアに見えてくる。

2012年夏~2013年の「金運上向き」は、この時期に図書館で働き始め、月給取りになったということ。

2015年夏~2016年の「すばらしい愛」とは、決して元夫のことではない。むしろ元夫からRIKONしたいと言われたのがこの時期だった。ではこの最悪の時期に感じた「すばらしい愛」とは何か。――親友の優しさしか思い浮かばない。

2017年秋~2018年の「すてきな人たちと関わる」――この時期の「すてきな人たち」と言ったら、地元の酒のくら交流施設で開催した「大正浪漫コスプレ撮影会」のスタッフさんたちだろう。とてもお世話になったし、感心することばかりだったから。

そして2020年、RIKONという「大きな決断」に至る。

こうして見ると、これらのお告げはほとんど創作に関わっていない(なんてことだ)。
努力が足りなかったのか。
そうだな。もっともっとガムシャラにやりたい、やりきったとはまだ言えない感を、当時少なからず持っていた。まだまだ未熟である。

だけどあまりガムシャラもいけない。
夢を叶えるにしても、まず入院しないことが大事なのだから。

  *

かつてスラスラと10年分の夢を描いていた私。
2020年を越えてからは、なぜか思い描くことができなくなった。
どこか心ここにあらず。
RIKONと父他界の影響だろうと薄々感じてはいたが、さすがに「どうしたんだろう私」と少々戸惑ったものである。

ライフプランを手帳に書けなくなった頃、たしかに私にはかつてのようなわかりやすい夢はなかったと思う。母を支えながら、実家で穏やかに暮らしていきたいという願いはあったが、小説を書きたいという意欲は自分でも驚くほど凪いでいた。

枯渇して苦しいとかではない。
あれは「凪」だった。

2022年後半、ようやくまたライフプランを書きたい衝動に駆られる。つまり、また小説を書きたいという欲求が湧いてきたのだ。

これを機会にライフプランの書き方を変える。今までのような、〇歳のとき何をするという書き方ではなく、ただただ、思いつくままの夢や願いを書き付ける。――とても、気持ちがいい。

きっと今の私は、これまでと違う新しいステージに立っている。だけどまだ、何をしたいかまとめきれていない。
書きたいことはいつのまにか心に宿っているのだが、これもまた、まとめる段階にはあらず。好きなように転がしているだけ。

ただただ、気分がいい。
やっと「凪」を抜けたのだ。
やっと爽やかな風を感じながら、私は歩き始めるのだろう。

さて。2023年の手帳には、どんなライフプランを書いていこうか。


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