見出し画像

磨けば光る和の玉だとか

私のこの高橋和珪(たかはしわけい)という名は、本名ではなく筆名なんだけども。名付け親は、子供の頃からご縁のある和尚さんで。寺報に何度か原稿を載せていただいているうちに欲が出て、お忙しい和尚さんなのに、筆名をつけてほしいとおねだりしてしまった。

後日、たまたま和尚さんからの電話を受けたときに、
「ちなみにどんな言葉、文字が好きですか」
と聞かれ、突然のことで慌ててしまったけど、
「和尚さんの『和』という字が好きです」
と答えた。

数日後、母経由で「和珪」という筆名をいただいた。意味をたずねると、母は和尚さんから聞いたことを、少々あやふやな様子で語ってくれた。

「『和』という字が好きだからっていうのと、あと『珪』はなんか、玉っていう意味があるとかで? 磨けば光るよみたいな、なんかそういう感じのこと言ってたっけよ」

辞書を引くと、たしかに「珪」に玉としての意味はあるようだ。投稿を始めたばかりの頃、和尚さんの奥様に「まだ文章が荒削りだから、本をもっと読んだ方がいい」と言われたことがある。すてきな筆名をいただいて喜んでいたが、光るためには磨かねばならないわけだ。

  *

その後「和珪」の名で寺報に投稿しつつ、出版社などにも小説の応募をするようになった。でもそちらは、おこがましくも書店の棚に本が並んだときのことを想像して、字面、語感から、名字をつけることに。

下の名前がちょっと変わった感じだから、名字は誰でも読めるものにしようと、全国で多い名字ランキング上位にあった「高橋」にした。意味を調べたら、「高い橋」というのももちろんあるんだけど、「天意と民意を繋げる」というような意味もあって、小説を書く身としては、こりゃちょっとカッコイイぞと思ったわけだ。

それ以降、私は「高橋和珪」を名乗っているのだが、去年たまたま画数を調べてみたら、全文字偶数なのは良くないということがわかってしまった。

何年も使い続け、愛着もとっくに湧いてて、いまさら変える気にもなれない。どうしたもんかと考えあぐね、このnoteを始めるときには

「牡牛座日記」高橋和珪

としてみた。「牡牛座日記」の部分が画数としてカウントされるのかはわからないが、私なりの悪あがきである。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集