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HACCPなんてやめちまえ(その6)−新自由主義の傭兵としてのHACCP


厚労省の見解

いぶりがっこの危機は法改正を行った厚労省も認識しているようです。厚生労働省医薬・生活衛生局食品安全課の課長である三木朗の説明があります。

質問:「いぶりがっこ存続の危機」と報道にあったように、事業者自体が高齢であり、また施設基準への対応が難しいなどといった事業者に対し、何らかの援助は検討されているか。
回答:後継者問題について食品衛生の支援とは別問題と考えており、事業者自身または事業者団体や協議会に対応していただきたいのだが、厚生労働省としては、高齢の事業者が今回の法改正をきっかけに廃業することは法改正の趣旨とは異なるものと考えている。施設基準の対応については、例えば床面が平滑でなければならないという事項に基づき、一概に「床を平滑に工事を行う」ということではなく、極端に言えばブルーシートなどで対応できないかというアドバイスもできる場合があるとは思う。

三木朗 食品衛生改正に伴う営業許可制度等の状況 一般社団法人日本HACCPトレーニングセンター(JHTC)第38回ファローアップセミナーより、月刊HACCP2022年4月,P108

驚くべく発言です。何かお気に召さなかったのか、かなり思い切った発言のようにも聞こえます。

食品安全課の課長と言う立場、食品製造の現場をどの程度知っているかわかりません。ただ「床面が平滑でなければならない」という規制の対応するためにわざわざお金をかけて平滑化の工事を強制するものでななく、代わりにブルーシートを敷くだけで法対応できるという「貴重な」アドバイスをされています。

たが考えていただきたいです。いぶりがっこは秋田県も認めるように、食中毒を起こしたことがない、食品安全の優等生なのです。にも関わらず、ある日突然、今までの製造ではダメだ、床にブルーシートを敷けというお達しが突然されるのです。理由はよくわからない、ただ東京のお役所のお偉いさんが言ったことだから仕方がないんだ、と言うことになります。

さらに言えばあなたがHACCPに対して造詣が深く、食品衛生コンサルタントの肩書きで、ブルーシートを敷いた現場を見たとします。ブルーシート上の作業では、汚れやゴミ、排水が溜まるだろうし、そこから雑菌の巣になる可能性があるから、すぐにブルーシートを外しなさいとアドバイスするかもしれません。

オリンピックといぶりがっこ

驚くことの二つ目は高齢の事業者が今回の法改正がきっかけで廃業することは、法改正の趣旨とは違う、と当たり前のこと言いながらも、かつ後継者支援のための何らかの援助については別問題と冷たく切り捨てています。

この発言と並べて考えなければならないのは、先に引用した宇都宮審議官の発言です。再び引用します。

○政府参考人(宇都宮啓君)
食品衛生法、前回の改正以来十五年経ているということもございまして、また、オリンピック・パラリンピックを迎えて、是非この機会に国際的な整合性を取れるような制度にしようということでございます

2018(平成30)年4月12日第196回国会参議院厚生労働委員会議事録

同じ宇都宮審議官はその効果について今後検討していたいと言い切りながら、HACCPを導入する一方で、いぶりがっこのような食品安全の優等生を零細ということで目も向けません。

オリンピックのような大きなシステムには尻尾を振る一方で、高齢者の生きがいであり、様々な農家が作るいぶりがっこの食べ比べが楽しいということで観光客が集まり、地域振興にも役立っているという、地方の小さなエコシステムには冷酷である、という対比をすることで今回の食品衛生法改定の姿が浮かび上がります。

「大きすぎて潰せない」「小さすぎて保護できない」

アメリカの政治学者、ウェンディ・ブラウンはオバマ政権下の2013年ごろの政治状況、跋扈する新自由主義について語っています。

「大きすぎて潰せない」という考え方の裏には「小さすぎて保護できない」という考え方がある状況。それらのあいだには資本と競争しか存在せず、たんに誰かが勝ち、他の者が負けるというだけでなく(死を賭けた不平等と競争が、平等と生命の保護へのコミットメントにかわった)、誰かは救出され生き返ることができるが、他の者は放り出されるか、滅ぶがままにされる(小規模農家や小規模ビジネスの経営者、値崩れした住宅ローンを抱える者、学生ローンを抱えていて就職できない大卒者)。

ウエンディ・ブラウン「いかにして民主主義は失われていくのか 新自由主義の見えざる攻撃」
みすず書房、2017

彼女の論に従えば、大きなオリンピックは潰せないけれども、いぶりがっこは小さすぎて保護できない、ということになります。この対比は例えば大阪で万博やカジノの建設を強引に進める一方で、能登半島の災害復興に関しては遅々として進まない、という見事な相似形を成しています。

つまり今回の食品衛生法は推進する官僚の立ち位置で、あからさまに新自由主義的であると言えます。

HACCPは新自由主義の傭兵

アメリカでHACCPが本格的に採用されたのは、1996年の食肉検査法(FMIA)の改定です。当時はクリントン政権。財政赤字に悩む連邦政府は組織改革を行うことが政権の一つの目的でした。当時の食肉検査は連邦の検査員が全ての工場(州をまたいて販売を行っている工場)に派遣され、レーンを流れてくる枝肉を全数検査するという方法を取っていました。この検査員の削減が改革の俎上に上がりました。

Bureau of Animal Industry, Public domain, via Wikimedia Commons

時を同じくして、ハンバーグチェーンで大きな食中毒事件が発生しました。食品産業が巨大化し、ひとたび病原性微生物に汚染された食品が流通してしまうと、全国的で大規模な食中毒が発生するという問題に直面したのです。この流れに対して「つついて匂いを嗅ぐ」という従来の検査方法では、この新型の食中毒は防止できないと限界が指摘されました。

ここで注目されたのがHACCPです。1950年代、宇宙飛行士に食中毒を起こさせない安全な宇宙食を開発するために編み出された手法であるHACCP、たいていのHACCPの入門書はNASAが開発したと書いてあります。つまり微生物による食中毒防止に優れた方法であることされました。だがその背景にあるのはクリントン政権の思惑があり、それにみごとに合致したということを見逃してはなりません。

HACCPは工場自らでハザードを特定し、管理ポイントを策定するという、いわば自主規格を定めるプロセスです。つまり今まで連邦政府の検査官による検査から、工場の検査官に検査を移譲することを可能とするのがHACCPであり、その結果連邦政府の検査員を削減できるという可能性があったのです。

この試みに対して、訴訟を起こされたりして、連邦政府は検査員の削減に成功したとは言い難い一面もあります。さらに言えば肝心の鶏肉におけるサルモネラ菌による食中毒の発生件数は、HACCPを導入した1996年の法改正以来ほとんど減っていないことからも、HACCPの効果は定かではありません。

しかしながら食肉検査の管轄である米国農務省傘下で食肉検査を実施しているFSIS(食品安全検査局)は未だにHACCPを実施し続けようとしています。

なるべく小さな政府を目指し、民間での市場形成に期待するという当時の新自由主義的な流れに見事に合致しているのがHACCPなのです。消費者保護、食中毒防止という目的が食品行政であるけれども、そのリスクを政府の主体から民間に移転するということを目指したのです。

その意味においてHACCPは消費者保護のための守り神というよりは、新自由主義の単なる傭兵に過ぎないと言わざるをえません。

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