心が追いつくまで、待ってくれ
今朝、担当していた連載小説『娘のトースト』の最終話を公開しました。
ふう。
著者の狩野さんと出会って約1年とちょっと。企画が本格化してから連載開始までは7~8ヶ月くらいかかった。長旅でした。
狩野さんとの出会いは以前書いたnoteをお読みいただくとして、連載中はなかなか書けなかった、この作品のテーマについて書きます。
なかなか書けなかったというのは、小説の連載中は作品本体による表現に集中するべきで、作品を通じて伝えたいことを別のコンテンツで語ってしまうのは気が引けたからです。でも、作品が完結してみて、8話通して読んでみた時に「ああ、どんなに解説したとしても、この作品の世界観はやっぱり"読まないとわからない"な」という自信がもてた。だから、自信をもって内容の話をしようと思います。
この物語の主人公は、花屋を営むシングルマザーの「庸子」です。トーストを焼くのが得意な12歳の娘「唯」と、郊外のマンションに暮らしています。
多少ネタバレを含みますが、唯は同級生の女の子に恋をしています。
小学校の卒業式を前に、好きな子に渡そうと思っていたラブレターの書き損じを庸子に見られてしまう。そこから物語は始まります。
このお話の題材の一つは、今風に言えば「LGBT(Q/s)」です。が、企画の意図は「LGBTの理解の促進」ではありません。
LGBTに対する理解は、ここ数年で飛躍的に向上したと思うんです。まだ課題はあれど。有名人の勇気あるカミングアウトや、当事者団体、アクティヴィストたちの活動が実を結びつつある。そうした社会の大きな流れに、頭では賛成し、理解し、尊重していると思っていた性の多様性について、いざ、ごく身近にそういう存在があったときに、自分はどのように振る舞うのだろうか。ということを一番最初に考えました。
僕は障害者支援をする会社で働いていますから、世間一般の人よりは、幾分か「個性の多様性」に対して理解がある方かなと思います。
LGBTについても、管理職研修などで学びましたし、この作品の制作過程で当事者の方にヒアリングするなどのインプットもしたので、一定の知識もあります。
ただ、いざ自分の家族がそうだと知った時、即・受容できるかどうかはわからないなと思った。もっと言えば、世間の風潮も、自分の考えも「受容せよ」だったとしたら、その逃げ道のない空気感に押しつぶされそうになるかもしれない。
それは、個性の受容のプロセスを、あまりにも直線的に(最短距離で)進めようとしすぎているためじゃないかと思ったんです。無意識にだけど、そういう理想を持ってしまっている気がしました。僕も、世間の幾らかの人たちも。
だからこれは当事者の物語ではなく、その近くにいる人の物語です。
「頭ではわかっているけど、気持ちが追いつかない。」
そうして起こる「本心のタイムラグ」を肯定したい。
そんな想いで、小説をつくってきました。
幼児期のテーマが多いコノビーで、LGBT、そして思春期の題材を持ち込むのはとてもチャレンジだったのですが、この物語のテーマはとても「汎用性」があると思っています。
わが子や自分自身に感じてしまうコンプレックス、性格的な特徴などなど。
大切な人のかけがえのない(=取り替え不可能な)「個性」を受け止めようとするとき、そのプロセスの支えになるような物語にしたかった。
結果として、初めて書いた小説とは思えないほどの世界観を作り出し、8話を見事に書ききった狩野さんの才能と、僕の突然の(そして直前の)オファーにも関わらず、常に期待値を超えた仕上がりを見せた挿絵担当の春駒堂さんのおかげで、僕が当初描いたレベルをはるかに上回る作品が出来上がりました。
また、制作に当たってヒアリングに協力してくださったみなさま、花屋のレイアウトを調べるために店内からバックヤードの写真を撮らせてくれた吉祥寺のお花屋さん。様々なかたちで協力してくれた編集部のみんな。ある時期に「ナラティヴ」という考え方としっかり向き合う時間をくれた同僚のS氏にも感謝したいです。
まだお読みいただいてない方はぜひ、読んで感想をTwitterなどで教えていただけたらと思います。僕はとっても、気に入っています。