マネジメントって何だろう その⑤「セルフマネジメント」と「ケアフルマネジメント」
今回はセルフマネジメントとケアフルマネジメント(造語)について書きたいと思います。
ヌーラボのTATSURUです。
前回の記事も興味があれば読んで頂けると嬉しいです。
前回、以下のように今後のマネジメント手法に2極化が進むかもしれないと記載しました。今回はその理由を書きたいと思います。
一点補足・訂正として、一般的にマイクロマネジメントという言葉にネガティブイメージがつきすぎていて、検索すると悪い文脈でしかほぼ使われていません。良い面という意味では「細かい配慮」「徹底的なサポート」「個別指導」「細部への注意」「密接な指導」などの意味も含まれるはずですが、そういった文脈の例が見当たらないため、ここではケアフルマネジメントと呼びます。
世の中の2極化
今に始まった事ではありませんが、近年はより顕著になった傾向として、より尖った方針を打ち出さないと社会も会社もまとまらなくなってきているように思います。
特に政治の世界では、ポピュリズムが蔓延し解りやすくインパクトのある政策やパフォーマンスに成功した人が勝利する傾向が強いように感じます。
これは会社でも同じで、イーロン・マスクのようにズバッと方針を打ち出す方が、注目を集め資金も集まり、人も集まるように思います。いつまでもそれが続くかは解りませんが、変化をもたらしている事は事実かと思います。
SNSがこれを増幅する装置として機能しており、GOODかBADで単純に切り分けられてしまうため、2極化を進めてしまう原因にもなっているように思います。
実際の社会にはサイレントマジョリティが存在するのですが、意見を出さない人は居ないのと同じ扱いを受けてしまい、結果として2極化は深まっているように見えやすいため、実際はどうかは別として何かと2極化が問題になっているように思うのです。
マネジメントの2極化を考える
世の中の2極化はさておき、ただの個人的な感想と思って頂いて構わないのですが、マネジメントも2極化せざるを得ないのではないかと感じています。
それは世の中の変化として起きている評価社会・ホワイト社会の到来が原因の一つとしてあると考えています。
評価社会とは
評価社会とは、SNS時代の到来とともに情報の流通が自由になったことで、誰もが誰かに評価され、失言や失敗がすぐに拡散されてしまうため、社会的な評価というものが大きな意味を持つ社会の事です。
評価社会では、GOODかBADに簡単に切り分けされ易い環境になると同時に、情報の信憑性や高度化したフェイク情報により真実が解り難い事による様々な分断が起きやすくなっています。
これは会社においても同じ事が起きうる状況で、上司が部下を部下が上司をお互いに評価する際に、情報の伝わり方を間違うと分断が起きる可能性が高くなっているのではないかと考えるのです。
ホワイト社会とは
評価社会の良い面として、世の中がホワイト化に向かっており、ハラスメントから弱い立場の人は以前よりは守られるようになってきました。これは非常に良い事ではないかと思います。
しかし、副作用として評価されることを恐れコミュニケーションが複雑化し、助け合いも難しくなっているかもしれません。
会社においては、上司は部下のハラスメント告発や逆ハラスメントを恐れ、必要以上に関わる事を避けるようになっているようにも思います。
こういった現象から、マネジメント手法は従来の方法が取れない事も多くなってきており、その結果として2極化せざるえないのかもしれないと思うのです。
自由なセルフマネジメントの集団
SNS時代に適応する一つの方法として、自由なセルフマネジメントの集団を目指すという方法があるように思います。
伝統的な管理職というものを極力無くし、各自が自分で自分をマネジメントして成果を出す先進的な欧米のIT企業が採用しているフラット組織に近いスタイルです。(これも完全なフラットというわけではないと思いますが、伝統的な日本の企業に比べるとフラットだと感じます)
ある種フリーランスの集合体のような組織とも言えるかもしれませんが、副業なども活発化している現代には合ったスタイルではないでしょうか。
この集団の一員になるには非常に高いスキルが求められるように思いますが、現代は様々なサービスやAIがありますので、そういったものを活用してセルフマネジメントを支援できれば成立しそうです。
問題点をあげるとすれば、組織的な動きがどこまでできるかというところです。個々の自由度が高く、裁量があるがゆえに失敗すると統制が取れなくなります。
どのように統制をとるのか、というのが大きな課題ではあるものの、会社の主な仕組みは、この集団を同じ方向に走らせて成果を出し続ける事になるのかもしれません。
統率されたケアフルマネジメントの集団
SNS時代に適応するもう一つの方法は、統率されたケアフルマネジメントの集団を目指すというものです。ケアフルマネジメントは勝手に作った言葉ですが、マイクロマネジメントの良い面にフォーカスしたマネジメントだと考えてください。
まず「統率された」というのを「自由な」というのは対義語では無いのですが、統率される側の構成員は一定の「自由」を失います。その代わり、重要な意思決定や難しい課題に悩む必要もなくなります。
少し脱線しますが、自由の牢獄という本があります。
作者は、はてしない物語やモモで有名なミヒャエル・エンデです。
この中で、無数の選択肢から正解を選ばなければならないときに人はどれも選べない事がある、というような話が出てきます。
自由で情報が溢れている現代において、何かを決めると事は、非常に負荷のかかる作業です。
それでも決めていかなければならないのですが、決められない人も居ますし、決めるのが苦痛である事もあります。決めなくて良いというのは自由の真逆かもしれませんが、良い面もあるのです。
マイクロマネジメントという言葉は私は良い側面を持っていると思いますが、一般的には悪い意味で捉えられている印象を受けます。
悪い例で出てくるのは上司が部下にいちいち指示して監視しているような場合です。それはやり方が間違っているだけで、細かく指示をくれる事は人や場合によっては良い事です。
なので、ケアフルマネジメントと呼ぶことにしました。「細かい配慮」「徹底的なサポート」「個別指導」「細部への注意」「密接な指導」といった適切に行えば良い部分をフォーカスしています。
この場合、構成員は高いスキルが必要というワケではありませんが、誰が面倒をみるのかという問題がありますので、管理職は必要なのかもしれません。
セルフマネジメントとケアフルマネジメント
この2種類を紹介しましたが、これらは相反するものでもありませんが、仕事によっては向き・不向きがあるように思います。
セルフマネジメントは個々が自律的であることで価値を高められる仕事や、変化が激しく学習をし続ける事が求められるような仕事に向いていると思います。
セルフマネジメントに不向きな仕事は、上記の逆で均一であることが求められたり、変化が少なく変わらない事が価値を生む仕事になります。
また、ある一定のボリューム以上はセルフマネジメントには限界が来ると思います。組織が小さいうちや、やる事が多くないうちは大丈夫かもしれませんが、ある一定以上のボリュームになってくるとセルフマネジメントは効率が非常に悪くなってきます。
ケアフルマネジメントはある一定の勝利の法則みたいなものをマニュアル化・仕組み化して、その上で最大のパフォーマンスが出るように運営していく事で大きくスケールすることが可能です。
この2つのマネジメントは一つの会社で併存することも可能だとは思いますが、構成員は時に真逆の事をしないといけないので、中途半端に混ぜない方が安全なので、組織単位でどちらでいくのか考えた方が良いかと思います。
まとめ
世の中がSNSにより評価社会へと変わり、ホワイト化していく中で会社におけるマネジメントは、よりフラットな関係が求められるようになってきていると思います。
しかしフラットな関係を会社内で構築するのは簡単ではないため、個々が自律的に働く事で環境を構築するセルフマネジメントを推奨するのか、より厳密で明確な役割と責任を細分化して注意深く管理するケアフルマネジメントに移行するかのどちらかが楽なのではないかと思います。
この2つのマネジメント手法は、会社によってはクリエイティブな部門とそれ以外では分けてもいいかもしれませんし、併存が難しいのであれば分社するという考え方もあります。
問題なのは、中途半端な状態でマネジメントをするのは、社会の変化に対応していく上では良くないかもしれません。
組織を構成するメンバーが、自分がどこまでセルフマネジメントしないといけないのか、会社がケアフルマネジメントしてくれるのか意識できるようにすると、現代に合ったマネジメントができるような気がします。
今回は以上です。
ではまた。