達郎_が描画を共有しました

繰り返すことで分からなくなる

同じ話を何度も話しているとふと分からない瞬間が来る、私です。今日はそんなふと分からなくなる瞬間について考えてみようと思います。今週同じ話を20回ほどしていますが毎回違う終わり方、言葉を紡いでいます。


反復で分からなくなる

ということで、何度も話していると分からなくなる瞬間について考えたいと思います。

これには、2つ理由があると思います。

一つが、何度も話しているうちに繋がってしまうということです。これは、最近私が気に入ってる考え方で、解釈学的循環と言います。分からなくなっているのではなく、考えに考えを重ねた結果、その多くの部分の共通性に気付いてしまい次にどこに行ったらいいのかが分からなくなっている状態です。

言うなれば切り口の迷子的状態だと言えるかと思います。

私たちは、あるものについて理解するとき、先行の知識と今の知識を見比べ、何度も循環していきます。そのうちにその2つが繋がり一つの新しい概念が形成される。

そして、それを語り、考えることを循環するこれによってさらに深く、先行するものと今が溶け合うのである。まるで、切れ目の見つからなくなったラップの様に、一瞬にして分からなくなってしまうのだ。


そしてもう一つが、分からないにぶつかってしまうことです。

普段、断片的なかけら達を紡いで私たちは話を組み立てています。その時、その時で見つめるものは断片的なかけら一つひとつで、見つめることに必死になっています。

しかし、ふとした瞬間に紐でまとめあげられ欠けらは塊になります。そうなってくると常に身につけて置けるので余裕が出てきます。

そして、また違うものを探し始める。これがわからないにぶつかった瞬間だと私は思っています。

今まで知り得なかった世界を見ることができてしまったがために、その外側の謎に気がつき戸惑い、一度立ち止まってしまうのです。これがわからなくなる瞬間なのです。

しかし、これもネガティブなものではなく、どこかに向かって一歩ずつ進んでいます。その一歩がまた何か素敵な欠けらたちを見つけるかもしれないし、今ミニつ行けている何かの別の側面に気づくことになるかもしれません。


分からなくならないためには

では、どうやったら分からなくならないのかを考えたい。

無情なことに、現段階で考えられることもきっといつか分からなくなってしまうのだろう。しかし、決して悪いことではないし進んでいる証拠です。

では実際に、私がしている工夫は、はじめに語った時のことを覚えておくことです。当たり前かもしれないがこれが意外と効いてくる。(だけれど、毎回できるわけでもない。)

繰り返すたびにどこが切れ間か分からなくなってくる。そんな時こそ初めて見つけた欠けらを見つめ直すことでどこに結び目があったのかを考えることができる。それはもしかしたら溶接されてしまっているかもしれないが、探そうとすることで見えてくることもあるかもしれない。

そして、もう一つが、その中で自分が一番大切にしている要素をしっかりとイメージだけではなく言葉にしておくことだ。イメージはすぐに様々なものに揺らされ変わってしまう。

そんな中でも言葉であれば一定の意味を変わらず維持し続けられる。それが振り返る指標であり、ガイドブックになると思っている。


一番大切な事は

分からないようにならない為を考えてきたが、一番大切な事は分からなくなったタイミングで足を止めない事だと思います。

これらの分からない瞬間は決してマイナスではなく今までの続きなのです。場所的には戻っているかもしれないが、そこに思考の空港があるかもしれないし、スペースシャトルがあるかもしれない。

戻る事を躊躇せずに向き合う事でまた大きく進むことができるはず。ただ、足を止めなければ。


だから、毎日無理のない範囲でこうやってnoteを綴っていく。同じことを違う視点から書くときも、数日前のそれよりいくらか変容してるのです。

そして、バク転できたが腰を痛めた私でした。



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ヒキ/Hiki
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