相対的な世界で生きる私たちが求める絶対的なもの
とある配信者が「俺たちの時間は無限にある」ことからふと思ったこと。
確かに時間は無限にある。
時間という枠組みから外れた”時間というもの”は無限にある。
なぜなら自分が死んでも世界は回り続け、自分の変わりはいくらでもいるから。
自分がいなかったら物事は回らないだろ、というのは慢心だと思ってしまう。責任感から生み出された妄想でもある。
確かに、スティーブ・ジョブズなどiPhoneを作るような革新的な人がいる。
しかし、その前の革新的なもの、ガラケーを生み出した人もいるし、その前の固定電話を生み出した人、…と続いていくわけです。(エジソンとか)
いなくても世界は少しずつ進化を続けていきます。
世界は少しずつ進化を続け、変化を続けています。
「これだけは変わらない」という絶対的な”モノ”は存在しないのです。
世界に限らず自分自身も変化している。昨日の自分と今日の自分、明日の自分の体重を測った場合、計測では同じの場合もありますが、本当に寸分の狂いもなく同じかと言われたら、そんなことありませんよね。
体ですら常に変化しているのです。心も変わり通しですよね。
変化し続ける世の中で変わらないものとは何か。
その答えは仏教の中にあると昔から言われています。
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