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ビックリマンシールの思い出(後半)

 ビックリマンシール集めをまた再開して、「何でオレ第7弾止めていたのだろう?」とすぐに後悔するくらいに第7弾は第6弾と違って魅力的なキャラの宝庫だったりしました。ヘッドのヘラクライストとか無色のキンキラシールですら僕は見たことがなくて、まして赤や緑のプリズムシールとか周りで誰も持っていなくて、「めっちゃ見たいな」とか思ったりしていました。で、第6弾の話に戻るのですが、僕の小学4年生の時に仲良くなったN君といゆ友達がいたのですが、第6弾の時はまだ2年の終わりから3年の初めとかだったので、全く話もしたことがなかった間柄でしたが、そのN君がなんとあの伝説のホログラムシール「ブラックゼウス」を持っていたのです。自分の半径10メートル以内でそんな凄いお宝シール持っている子がいるなんて、信じられなかったです。で、まだそこまで仲良くなかったN君に友人を介して接触して「ごめん、俺めっちゃブラックゼウスのホログラムシール見たいんやけど、いいかな?」と聞いたところ、まだ仲良くなかった僕に対してN君はこう言ったかどうかは忘れましたが「嫌や。これは本当に凄いシールやからめったに見せれるもんやない」と断られたのでした。「なんや、意地悪なやっちゃな」とあまりそんな意地悪というかされたことなかったので、ちょっと怒りというか、気の弱い子供だったので傷ついたりしていましたね。
 でもあの「ブラックゼウス」を持っている子がこの小学校にいる、という事実はビックリマン信者だった僕にはとてつもなく大きなことで「いつかN君と友達になって見せてもらいたい」という希望になっていきました。まあそこまで魂胆があったかどうか、時系列的には微妙でしたが、運よく(?)3年からクラス一緒だったN君と4年になって席が隣同士になったことをきっかけに親友くらい仲良くなって、ブラックゼウスを……と思っていましたが、仲良くなることと、N君にとっての、宝物である「ブラックゼウス」を見せることは別だったみたいで、今まで通りめったに見せてくれることはなかったと記憶しています。でも、1回か2回くらい結構まじまじと見せてもらったことがあって、いやあ、あれは本当に一目見た時「鏡か?」っていうくらい銀色ピカピカの今まで見たどんなきれいな者より美しく、そしてホログラムシールなんて今まで見たことないから、傾けたらブラックゼウスが七色に透明な色でほんのり、しかし太陽光線によっては激しく色彩を脈打っているというか、そんなこの世のものとは思えない神々しさが9歳の僕には、感じ取れたりしていました。「うわあ、やっぱり死ぬほどきれいやわ。うわあ、N君ブラックゼウス持っているのめっちゃ羨ましい、うわあ~」なんてよく分からない感情が子ども心に湧いてくほどブラックゼウスは当時のビックリマンコレクターの子どもたちには最高位のシールでした。
 で、そんな僕のビックリマン人生で歓喜の瞬間がやってきたのは小学2年生最後の春休み前のの遠足でのことでした。第8弾からビックリマンシール集めを再開して、ヘッドシールは魔性ネロとかのホログラムシールでしたが、それは本当にめったに当たらずまして誰も見たことがない青のプリズムシール「ネロ崩壊」なんて当たるわけないし。やっとネロ魔人という普通のプリズムシールが1枚当たった程度でした。しかし、次の第9弾で誰もが羨む奇跡が起こったのです。それも遠足で。当時はおやつは100円までとかで、今もそうかもしれませんが、僕はその100円でビックリマンチョコ1個30円のを3つ買っていきました。で、その遠足のお弁当食べて、おやつの時間とかになって持っていったビックリマンチョコを開けてみると、なんとその中の一個から「うん、これは銀色やから、天使?いや、第9弾は金色やし、うん?鏡みたいな、もうヘッドロココのプリズム持っているし、なんやろ」とすべて開封したらそこから出てきたのは、そうヘッドロココのホログラムシールなのでした!
 わずか8歳かそこらの子どもにとってこの出来事は今数えても人生史上5本の指に入るくらいの衝撃と歓喜を僕に与えて、「うわあ~、ヘッドロココのホログラムシール当たった~~~!」と夢中で走り回って「おい、俺にも見せてくれよ」と友達が何人も僕のあとを必死で走って追いかけてきたことは今でもいい思い出です。しばらくは家に帰ってもヘッドロココのホログラムシール見る時は毎回ティッシュで吹いたりして指紋とか手の垢とかつかないように慎重に世紀の宝物を取り扱うように見たりしてましたね。
 まあそれからビックリマンはしばらく人気が高止まりしていて、丁度そのころメディアミックスで漫画やアニメ、おもちゃなどいろいろと商品が出たりしていました。当時のエピソードをひとつ。日曜日8時30分から9時までビックリマンのアニメ、9時から9時30分まで関西では「うる星やつら」の再放送していて、それを見終わったら近所の開店前のスーパー行ってました。で、もうビックリマンチョコ欲しさに並んでいる子供たちがそこにはいてて、その列に混じって開店と同時にみんな運動会並みにお菓子売り場に走って行って、一人三つまでというルール守って必死でビックリマンチョコ買ったりしていましたね。
 しかしながらそんな喧騒もそれから一年後にはブームが去るとともに収まって子供たちは次の流行りミニ四駆や「ドラクエ」で大人気となったファミコンへ戻ったり、またカードダスという20円でカードが出て来るおもちゃ屋さんの機械とかに夢中になったりしていましたね。あそうそう、聖闘士星矢の聖衣のフィギュアとかも夢中になって集めたり。本当にビックリマンに限らず1980年代は日本自体がとても豊かだったこともあって百花繚乱のおもちゃが子供の世界に溢れていてまるで「エデンの園」にいたような、でも子供心になんかここが頂点かも、と年代的にも思えたりして、実際あの時代が日本のピークだったってことはその後の平成の不況などを経験したあとで思えることですね。
 でも個人的にはビックリマンシールが子供時代で一番輝いていた遊びだったんじゃないかな、って思ったりします。リアルにあのキンキラやホログラムの輝きに、まだ純粋な感性で接したりすると、具体的なことは忘れても、何か永遠に消えることのない「輝き」が子供心に残ったりするから、大人になった今でも懐かしく思い出したりします。ではまた次の何か子供時代の思い出とかでお会いしましょう。

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