私の平日
作家 辻仁成さんの日記「辻仁成の一日」を見て感銘を受け、私も平日の自分について書いてみたくなった。
彼の偉大なところは、バンド「エコーズ」でメジャーデビューし、小説家として「海峡の光」で芥川賞を受賞し、映画監督、演出家、youtuberとして非凡な活躍をしていながら息子のために家事の一切をこなし、日常を丁寧に生きることで我々庶民との距離を感じさせないところである。
小説は「父 Mon Pere」を買って読んだが、会話のテンポが良くいつの間にか読み切ってしまった。20年ほど前に好きになった映画「冷静と情熱のあいだ」も辻仁成だと知り、これからも作品を追ってみたいと思っている。
さて、辻さんの素晴らしさについてはこのくらいにして…
妻、息子、娘の4人家族の通勤担当である私の平日は、朝5時から5時43分くらいの曖昧な起床により始まる。ちなみに夫婦別床。45歳を意識する年齢になってからというもの、平日は朝までぐっすり眠れるということがない。22時から23時くらいに就寝したとして、2時とか3時に一度目が覚め(覚めると言うほど覚めてはいない)また寝なおす日々で、何となく熟睡した感じがしない毎日だがそれも慣れてきた。その後は布団でゴロゴロしつつスマホをいじりながらトイレ、シャワーと出勤準備をして6時20分前後にゴミを持って家を出る。私は「ゴミ収集&捨て係」なのだ。
最寄り駅までは徒歩8分から10分で、始発がある駅なので確実に座れる。そしてこれが重要、座ったら即、お気に入りのスマホゲームにログインしてゲームに没頭するのだ。いい歳でスマホゲームと言われてしまいそうだが、実は私、パニック障害的なものを経験しており、今ではよくわからないが電車に乗ると息が苦しくなったり腹痛になったりしていた時期があった。その時はYouTubeや音楽で気を紛らわせようとしたが効果はなく、次の手段としてスマホゲームに夢中になったところその症状は軽くなり、更に通勤に利用する電車を各駅停車から急行に変えたところ症状はほぼ消え、今では各駅停車に乗っても何ともない。ゲームに没頭していながら眠くなればアラームをかけて眠る。片道1時間程度の乗車時間だが、一日2時間の自由時間があると思うと通勤電車も悪くない。世界中で起きているコロナ離婚の一因が「夫婦が顔を合わせすぎていること」だとするなら、我が家は安泰である。
勤務時間は9時から18時。私はインターネット広告屋なので、会社に着いたらほぼずっとPCと向き合っている。エアコンが寒いくらいに効いているので、猛暑の夏も平日はその暑さを感じずにいられる、恵まれた環境と言える。朝飯はサラダチキン(最近はスモークがお気に入り)をひとつ食べ、昼はだいたい12時から13時の間に昨夜の晩飯の残り物をつめた弁当(自分でつめる)を食べる。昼休憩は好きな時間に1時間とれるので、食事のあとは散歩を兼ね午後食べるおやつを買いに外出する。午後は仕事しながらおやつ食べ放題という、恵まれた環境と言える。コロナウイルスが流行しているのにフル出勤が当たり前の会社だが、ひとりもコロナウイルスに罹っていないので、ある程度の免疫を獲得しているのではないかと思ってしまう。むしろテレワークで他人と濃厚接触していない人たちのほうがテレワーク解除後大変なのではないかと余計な心配をしている。
私が28歳の時に札幌で入社し、30歳で東京に異動になり、今も勤めているのでもう勤続16年になるが全然飽きない。広告は大変おもしろい。中小企業なので上司とクライアントが納得する目標を立て、近しい数字を返せば何も言われない、なかなか自由な部署であることも大きい。大企業は1、2名の天才が作った仕組みで勝っているだけで、ひとりひとりの社員が特別優秀なわけではないというのが私の持論で、特に広告の品質についてはそこら辺の大企業には負けていないと勝手に思っており、そこそこの自負心を持って業務にあたっていると言える。15年前は毎日4時間残業していたが、現在は18時5分には会社を出ているので、月間残業時間ゼロ。土日祝日休みで残業無しという、恵まれた環境と言える。
帰りの電車は始発ではないが、乗車時間の7割はだいたい座れる。帰りもスマホゲームをするが、パニック障害的な症状があった時期も帰りは無症状だったので、あまり真面目にゲームをしない。ツイッターを見たり辻さんのウェブサイトを見たり、朝真面目にやっているスマホゲームの攻略サイトを見たりして余った時間にゲームをする。ニュースサイトの類は広告の品質が低いのであまり見なくなった。最寄り駅についたら月火水曜日はどこにも立ち寄らず帰宅することが多いが、木曜日と金曜日はスーパーマーケットで酒やつまみを買う。金曜日の夜は「家ついてってイイですか?」を中心に、録画したテレビを見ながら晩酌する日なのだ。
帰宅後はコロナウイルス対策として何より先にシャワーを浴びて、それから息子と娘に「ただいまー」と言ってほっぺをくっつける。妻子はすでに食事を済ませているので、おかずはだいたい食卓に出ている。シャワー後にごはんと味噌汁をよそって(ごはんは少なめによそう)19時50分くらいから食事。夫婦そろって家にいる時は、妻が料理をして私が洗い物をする。私は「洗い物係」なのだ。
思えば妻とは2007年に出会い2012年に入籍、2013年に新婚旅行と住宅購入、2014年に長男誕生、2018年に長女誕生と、こう書いている分には順風満帆に見えるが、狂人じみた喧嘩を繰り返し、傷つき磨き上げやっとここまで来ており、愛とは許すことなのではないかと思うに至っている。私以外に妻を許す他人はいなかったし、妻以外に私を許してくれる他人もまたいなかった、という事だ。
21時には妻が寝かしつけに入るので、その前に妻が洗濯機を回し、寝る準備をはじめる。その間に私はふたりの子とリビングのテレビでYouTubeやテレビ番組を見たり見なかったりしながらじゃれつく。今日はボールで遊んだ。子と遊ぶと腹の底から笑えることが多い。おそらく私を含む凡人は、血が繋がっていようといなかろうと、子を育てることで産まれてきた意味を知り、頭を抱えたくなるような過去の自分の過ちを、ここに辿り着いたという理由で全て肯定することができる。
妻がこどもの歯の仕上げ磨きやトイレなど寝る準備が終わる21時前後に洗濯も終わるので、私は2階に洗濯物を干しに行く。私は「洗濯物干し係」なのだ。洗濯物を干したら1階に洗濯籠を戻しに降りるが、だいたいふたりとも眠っていないので「おやすみまた明日。ねんねこね。」と、おでこやほっぺにちゅーして妻子の寝室を去る。なかなか眠らない兄妹を見ると、私がまだ札幌の実家で父母妹と4人で並んで寝ていた小学生時代、なかなか寝ずに妹と「起きてる?」的な合図を送りあい、母に叱られたような曖昧な記憶が蘇り、思えば遠くに来たものだと再認識する。この「遠く」の概念は距離的なものというより時間的な概念で、振り返るのは故郷ではなく人生である。
21時30分にはだいたい2階の寝室兼洗濯物干し部屋(エアコンあり)か、私の部屋(エアコンなし)に布団を敷いて寝ころがる。窓を開けても無意味の猛暑日は洗濯物と一緒に、それ以外の日は自分の部屋に布団を敷く。妻と会議して決めることが無い日はそこから私の独身時間となるので、ごろごろしながらツイッターを見てみたり翌朝の電車でやるスマホゲームをやってみたり、ギターの練習や読書をしたりといった自由時間を22時から時には23時30分くらいまで満喫して眠る。最近は筋肉少女帯の恋の蜜蜂飛行を弾くという目標を立てて1ヶ月ほどコツコツ練習し、YouTubeにUPした。
夫婦別床に異を唱える人もいると思うが、人間関係には丁度良い距離というものがある。別床のお陰で妻も寝かしつけが終われば深夜0時くらいまで1階のリビングでひとりの時間を楽しんでいる。金曜日だけは晩酌の日なので、寝かしつけが終わるタイミングでリビングの真ん中に小さなテーブルを置き、ふたりで前述した「家ついてってイイですか?」等の録画テレビ番組やYouTubeを見ながら、妻は350mlから700mlの缶チューハイまたは発泡酒、私は1Lから2Lのビール(黒ラベルがメイン)を飲む。これを人に話すと「仲良いね」と言われ「そんなことない、普通だ」と思ったり言ったりするが、なんて事ない今の平日がいちばん幸せだと思う私が普通だと思うのであれば、返す言葉は「幸せだよ」にしたほうが適切なのかもしれない。
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