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澤村樹という男の28年間の軌跡
何をしてても面白くない。
自分には何も才能がない。
そう思いながら淡々と人生を終えていくんだろう。
つい2年前までずっとこういう風に思っていた。
クロスメディア戦略を軸としたSNSマーケティング支援を企業様に提供している結 - MUSUBI - 代表の澤村樹(さわむらたつき)です。
結婚式を挙げたり、組織化が波に乗ってきたこともあり、改めて自分のことをこのnoteに記載していこうと思います。
僕は滋賀県のギリギリ新幹線が停まる米原市というところで生まれました。
父、母、弟、妹の5人家族でそれなりに楽しい生活を18年間送ってきました。
大学進学に合わせて京都に引っ越してきて、そのまま今に至ります。
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子どもの頃の僕は周りから
・聡明な子ども
・聞き分けがいい
・大人びている
といった評価をいただいていましたが、今思えば本来の自分を出すことが家族の中でも友人の中でも出来ていなかったのかなと思います。
それを象徴することが1つあります。
それは10歳頃から
「叶わない夢を持つことは恥ずかしい」
とずっと思ってきました。
周りの同級生が大きな夢を持つ一方で、僕は周りに頼らず自分が努力したら叶う目標だけを掲げて生きてきました。
実際に小学校の卒業式で壇上で1人ずつ夢を発表する機会があったんですが、僕は周りから素晴らしいと思ってもらえるように
「父親を甲子園に連れていくこと」
と言いました。
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そんな僕もいざ高校の夏の大会で負けてしまうと何をしていいか分からなくなってしまったので、当時の尊敬していた教師に言われるがまま教員免許が取れる大学の試験を受けることにし、2月までみっちり勉強して無事に佛教大学文学部へ入学することができました。
この入学が1つ目の僕の転機です。
皆さんもご存知の通り、大学へ進学する際に莫大なお金がかかります。
家族の意向で奨学金を借りることになったんですが、奨学金の申請って親に申請書類を記載してもらい、それを基に学校で先生と一緒にインターネットで記入していくんですが、ある部分で驚愕しました。
それが
世帯年収
です。
今も変わらず父親は上下水道・電気工事系の自営業で母親は製造業の会社で社員として働いています。
朝早くから働いているのを知っていたし、不自由なく生活もできていたし野球もやらせてもらっていた。だからこそ、世帯年収がそこまで低いと僕は知らなかったんです。
この出来事をきっかけに僕は「安定した公務員」を目指そうと決心しました。
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とはいえ、冒頭のように人生が面白くない状態は続いていましたし、大学進学後はありとあらゆることをしてみました。
❶アルティメットというスポーツで全国大会を目指す
・チーム内のスキルアップのために各大学に潜入捜査
・社会人チームに混じって自分のスキルアップを実施
・U21選抜大会の選考会へ出る→最終選考で落ちる
・社会人と話して汚い現実を目の当たりにする
❷ありえないくらいバイトをしてみる
・固定でパスタ屋さんで働く(ホール&キッチン)
・掛け持ちで3つバイトを行う
・日雇いのバイトを累計30個以上行う
❸子ども食堂の運営をしてみる
・地元の子ども食堂の料理を作る
・大学近くの子ども食堂のPRや宣伝を行う
❹自分が主催で合コンをしてみる
・各大学で浅く広く交友関係を作る
・気になった者同士をくっつけてみたりする
❺ゼミの先生の研究を手伝うために各地を訪問する
・鍾乳洞みたいなのを見にいったんはいい思い出
とりあえず面白そうなことは全部試してみましたが、結局僕の中で一番楽しかったのは「アルティメット」でした。
このスポーツだけは野球以上にのめり込むことができてとにかく日本一になりたい、代表選手として活躍したいと思えるほど熱中しました。
それもあって、上述した通り「安定」も求めつつ土日が休みである公務員になることを目指して結果的に京都府の地方市役所に就職することができました。
意外と就職自体は楽しみにしていました。
お金を稼ぐことがめちゃくちゃ苦しくて難しいことを知っていたので、固定給が毎月のように入ってきてボーナスもあるなんて最高じゃないか!
って思っていたので早く社会人になりかたったのを今でも覚えています。
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ただ、思い描いていた社会人像とはかけ離れていました。
・給料は色々差っ引いて手取り15万前後
・配属された部署はワースト1位で入庁3日目から23時まで残業
・残業代は安いし上限があるのでほぼ出ていないに等しい
・土日が休みかと思えば土曜日出勤がザラにある
・コロナ禍の影響で職場環境が悪くなり休みなしの連勤が続く
そんなこともあり、たった2年で躁鬱になってしまいました。
ありえないくらい仕事がキツかったこと、現在の妻と付き合って2ヶ月でコロナ禍に突入したことで遠距離で会えなくなったこと、大好きだった祖母が亡くなったこと、唯一のストレス発散方法だったアルティメットができなくなったことが原因で、眠れないし起きれないし何もやる気が起きないし勝手に涙が出てくるしでかなりキツかったです。
少しコロナがマシになっても状態はあまり良くなく、気づいたら就職して3年で体重が10キロ落ちていました。
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さすがに苦しかった
ここからが2つ目の転機です。
2021年10月8日
僕は今の妻と入籍をしました。
これがキッカケで自分のキャリアについて考えるようになりました。
とりあえず3年は働けと言われたし3年は続けるが、このまま公務員を続けてもいいんだろうか?
こんな疑問がずっと胸の奥にありました。
というのも、やっぱり上がらない給料やどれだけいい提案をしても政治的な意向で市民の望んでいない方向に施策が進んでしまったりする現実に耐えられなくなってきたからです。
守る者ができたからこそ何か行動しなければいけないのではないか
そう思って2022年から公務員の仕事で広報SNSもしていたので、
・SNS発信の勉強と実践
・マーケティングの勉強と実践
・セールスの勉強と実践
この3つに絞って1年間徹底的に勉強しました。
好きだったアルティメットを捨てて、飲みにいく時間も全部削って、睡眠時間は4時間でとにかく今だけと言いながらやり切りました。
ちゃんと信頼できるメンターをつけて、現場にも出してもらって、2023年にSNSマーケターとして独立しました。
独立してからは非常にありがたいことに良縁に恵まれて
・1ヶ月で150万円ほどのInstagram支援の案件を受注
・上場企業でのチームディレクター
・2社のベンチャー企業でマーケティング責任者
上記のような立場で売上拡大に努めてきました。
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オンラインスクールや実店舗など、toC系サービスをメインにInstagramやTikTokの支援を行ってきて、数字だけでいうと
・SNSオーガニック集客で年間1億以上の売上
・Instagramから毎月300万を売り上げる仕組み構築
・0からアカウントを20個以上立ち上げ
などが挙げられます。
一方で、上記のように聞こえのいい数字が並んでますがそれ以上に失敗もたくさんしてきました。
駆け出しの頃に受けた案件は結果が出なかったものもありましたし、ディレクションやマネジメントが上手くいかず、度々メンバーとも衝突してきましたし、ポジションを外されたこともあります。
個人としても思うような結果が出ずにめちゃくちゃ苦しみましたが、とあるコーチのおかげで人生が変わりました。
(この話はまた別でnoteを書きます)
何度も何度も苦しい場面があったけど、それでもやってこれたのは
SNSマーケティングと人が好きだから。
ずっと自分には何もないと思ってきましたが、自分にも社会に価値を届けることができると確信することができました。
コーチのおかげで自分の才能に気づくことができました。
気づいたら時間にもお金にも当時に比べると少しは余裕ができました。
たくさんの人との縁に恵まれて今も走りまくってます。
おかげさまで
『結 - MUSUBI - 』
という3名SNSスペシャリストが集う少数精鋭のチームも作ることができて最高の状態を送っています。
気づけば自ら離れていった行政機関のSNS顧問にも就任しました。
今では2つの自治体のSNS顧問として動いてますし、各自治体での面白い取り組みもできるようになってきました。
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なかにはクライアント様も。
本当はもっと細かく話したこともあるんですが、長くなっちゃうので最後にします。
誰がどんな夢を持ってもいい、恥ずかしいなんかない。
冒頭にも書いた通り、僕は夢を持つことは恥ずかしいと思ってきました。
でも、SNSマーケティングを通して、自分が社会に対して提供できることやたくさんの価値を届けられると思ったから夢を持つことができました。
・本物のSNSマーティング集団を作って革命を起こしたい
・D2C事業を興したり、のんびりできるホテルを作りたい
・校舎も年齢制限も性別も関係ない学校を作りたい
・アルティメットを普及させる団体を作りたい
・応援しているスポーツマンのスポンサーになりたい
・日本全国で眠っている地方を全部盛り上げたい
僕にしかできないことがたくさんあると確信しています。
SNSマーケティングでたくさんの人と繋がって、クライアント様に対してそこそこいい売上も上げてきて、地方自治体の顧問にもなったことで圧倒的な自信がつきました。
人間はなんでもできます。
過去の自分に伝えたい
「たつき、お前は最高の人生送ってるから迷わず突き進め」
拙い自己紹介になりましたが、少しでも僕に興味を持ってくれたり、結 - MUSUBI - のSNSマーケティング事業に興味を持ってくださる方がいれば、ぜひご連絡ください。
結 - MUSUBI - の活動については別途またnoteを記載します。
連絡は「X」でも「Linkedin」でも「Instagram」でも構いません。
SNSと人は猛烈に好きなので、語り合いましょう。