デメリットはないからやりたいvsメリットがないからやらなくていい
こんばんは。最近は涼しくて過ごしやすいですね。
秋は好きな季節です🍁
さて、今日は久しぶりに塾長と議論しました。
議論と言っても喧嘩腰でバチバチやりあった感じではなく、あくまで建設的にどうするべきかを話し合いました。
深い内容までは言及しませんがざっくり言うと、私は、中学生の受験対策でやりたいことがあって、その提案をしました。塾長にはそれに納得いかず、議論になった、という流れです。
タイトルの構図で言うと、私は「デメリットはないのだからやってもいいじゃないか」派で、塾長は、「メリットがないからやらなくてもいいんじゃないか」派です。
話をしてて、これって、難しいなと思いました。私側が説得するためにはもちろん、メリットになることを提示するしかないのですが、いくら言っても渋い顔をされます。
それにしても、デメリットがないのなら、やっても良くないですかね?大きなデメリットがないことは、塾長も同意してくれました。それにも関わらず、「メリットがない」の一点張りで、納得してくれませんでした。
結局は他の先生にも意見を聞こうということになって話し合いは終わったのですが、私は当然承諾されるものだと思っていたので、ちょっとびっくりしました。
"メリットがない=無駄"は確かに分かります。やっても意味がない、しょーもないことに労力を使うのは、そもそもそれだけで最低限のデメリットになります(今回の場合はプリントを配りたいという話で、かかる労力といえばコピー機で印刷すること(自動)と、あとは紙代印刷代とかでしょうか。それがデメリットだからダメと言われれば僕はもう何も言えません)。とはいえ、メリットがないと思っていても、やってみたら意外と良かった、メリットがあった、ということもあると思います。やらなければそれは起きません。そうするとただ「積極的vs消極的」の対立になるのかなあと考えたのですが、まあ私は講師、あちらは塾長で立場も違うので、そう簡単には一般化できないかもしれません。
まあ大事なことはやはり、自分がメリットだと思うことを、伝えることですよね。というかそれしかありません。そしてそれに納得してくれないのであれば、その理由を問う。なぜ自分はそれをメリットだと考え、なぜ相手はそれにメリットを感じないのか。突き詰めて議論していくしかありません。
それにしても本当に、このような議論ができる関係性があって、恵まれていると感じます。最近では、特にネット上で"論破"という言葉が流行ったり、誹謗中傷が多くあったりします。相手を論破することを目的に議論したり(議論の自己目的化)、議論から逸脱して相手の人格を攻撃しだしたりすることは、不健全な議論で、非生産的だと言えます。そうなることなく、自分の言いたいことを聞いてもらい、相手の考えを伝えてもらい、お互いに何をどう考えているのかを擦り合わせていく。そのような話し合いこそ建設的かつ健康的だと思います。議論はあくまで良い結論に辿り着くための手段です。その認識と信頼関係の出来ている塾長には、感謝しかないです。
さて、塾長を持ち上げておいたところで← 今日は終わろうと思います。久しぶりに少し長く書きましたが、やはり楽しいですね。また思うことがあれば、綴っていきたいと思います。
それでは、おやすみなさい🐘