先日発行した初の書籍「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」の販促記事、第二弾です。
現在、本巣市根尾地域の小中学生は合わせて43人。彼らが通う小学校と中学校は2022年から「義務教育学校」として統合されている。保護者の一人にインタビューした内容を、マガジンに掲載した。引用して掲載する。
語り手の意見を(やや乱暴に)まとめると、「私は、ただ知りたいことや不安なことがあり、それらを対話によって相手に伝えたい。私の希望や不安のすべてを解消したり、学校運営に反映することは難しいかもしれない。でも、自分の思いは相手に伝えるべきだと思うし、もしかしたら解消されることもあるかもしれない」ということになる。ぼくは、語り手のこの姿勢を、民主主義(平等志向の意思決定プロセス)に通じる大切な要素がたくさん詰まっていて、とても尊いものだと感じた。
※そういえば、8月末には民主主義に関するオンライン読書会も開催するのでした。
「子ども」という文脈からは若干外れるが、最近、ぼくが行なっている別の事業に関する学会発表の準備を進めており、次のような原稿を書いた。
今日の日本では、避けようのない地縁で繋がった集団(ゲマインシャフト)であれ、参加する人の自由意志によって形成された集団(ゲゼルシャフト)であれ、「言いたい時に、与えられた範囲を超えて、自分の意見を言える」環境というのは、そこまで多くないのかもしれない。
一体なぜ、ぼくたちは、口を塞いでしまうのだろうか? 冒頭のインタビューの中には、その理由の端々が描かれている。これも至る所で「よくあること」だ。
大人たちがこんな調子で自分や他者の意見を大事にできないのなら、一般的により弱い立場にある子どもの状況についても、容易に想像できるだろう。
「大人が意見表明する権利」すら認められていない環境が、実際に地域や社会に広がっている中で、「子どもが意見表明する権利」を実現するために、ぼくたち大人がやらなくてはいけないことが、山ほどある。冒頭のインタビューで紹介したエピソードのように、心ある少数の大人による、名も無き民主主義の実践が、今後ますます積み重なっていくことに期待する。