『獄中手記 何が私をこうさせたか』(金子文子・岩波文庫)
何気なく書店で手に取ったが、とんでもない本だった。今日まで存じ上げなくてすみません、という思いだ。ちょうど、関東大震災から百年目の年だったから、よけいにその紹介に目を留まらせたのかもしれない。
これは手記である。本人の手による。生い立ちが記されている。だが、その生い立ちからすると、これほどの文章を書く能力というものが、どこで身についたのか、計り知れないと思った。明治末から大正にかけて、学校にもあまり行けていない女性が、これほどの文章が書けるとは、驚異的だと感じた。否、それは失礼な言い方であるだろう。この方は非常に教養があり、学ぶ意欲もあったのだ。これは魂の書であり、血と汗と、命の代償である。
実のところ、巻末の「解説」に、本手記の概略は見事にまとめられている。だが、これを先に読んではならない。文庫で400頁にわたる本人の筆記の迫力を、まずは受け止めることだ。私はとても正面から受け止めることはできなかった。暴風のように襲いかかるその力から、なんとか逃れようともがくのだったが、潰され、飛ばされてしまった、といったところであるだろう。
手記は、まずこれを記す契機を明らかにする。関東大震災後に、朝鮮人に対する流言が飛び交い、狂気に駆られた市民が虐殺を正義の名の下に繰り返すことがなされた。これには当局や報道関係も大いに加担している。警察がそれを制止するまでには時間がかかった。警察もまた、それをやっていたのだ。文子は、愛人朴烈と共に当局の手にわたる。天皇に危害を与える計画をしていた、という容疑は、当時はそれだけで死刑に相当するものだった。手記は、その事件そのものを描いてはいない。そこへ至る自分の生い立ちを綴ったものである。取り調べのために自分を語れという要求に応えたものであるらしい。
それを悉くここに紹介するわけにはゆくまい。だが、貧しい中、両親がまたとんでもない有様で、文子は戸籍さえ有していない状態で育つ。預けられたのが朝鮮の地であったが、当時日本が統治していたために、そこに住むことそのものは問題がなかったが、親族にいじめられ続けた。否、今で言う虐待、あるいはそれ以上である。読む手が震える。こんなことがあってよいものか、と憤りに駆られる。いまももちろん虐待事件はあるし、子どもをしに至らせたことが時折報道される。だが、よくぞこれで文子は死ななかったと驚くほどのことが綴られている。子どもであっても、これだけの目に遭ったら自ら命を絶つのではないか、と案じるほどである。事実、そのような思いを懐いたことがあった、と手記は明らかにしているが、およそ耐えられないような仕打ちの数々がここに描かれている。それでも、本人によれば、受けたことのごく僅かしか書いていない、という。これで生きてきたということが、後に政治への反抗となっても、何の不思議もないといまの私たちは誰もが感じることだろう。
朴烈と共に、文子は2018年、韓国の国家報勲処より建国勲章などを授与されている。もちろん、死後であるし、死後90年以上を経てのことである。日本においては国家反逆となっていても、他国の目から見れば違うということの実例となるだろう。
親や親戚のもとでは何もできない。そのため文子は、行く度も独立を図る。なんとか勉強がしたい。仕事をしながらの学業は、貧窮の中で、限界以上の生活を強いられる。それでも学びたい。この意欲はどこから来たのだろう。生きていくために、学びたい。この熱意は、いつの世の子どもたちの中にもあってほしいものだが、ここまで熾烈であると、どう言葉を返してよいか分からない。もう何も言えないというところにまで、読者を追い込んでしまう。
もちろん、思想的なところはここには記されていない。「何が私をこうさせたか」という題がそれを物語る。「こう」というものは、この中には何もないのだ。それが思想的な部分であり、いわばアナキストとしての立場を意味しているのには違いないが、それをここでは主張するわけではない。「こう」させたものは「何」であるのか、自分の生きた歩みを示すだけである。単純に美化してはならないだろうとは思う。だがそれにしても、その「何」はふんだんにぶつけられてくるのであり、文子を私たちはどう非難するべきか、誰も分からないだろうと思う。
働いても搾取され、いいオモチャにされ、人生を嘆き絶望しても仕方がないようなところでも、文子は生きた。そのとき、一度キリスト教に出会っている。信仰心が強かったというのではなかったようだが、教会生活をしばらく続けているし、洗礼も受けている。最後の「解説」には、この辺りのことが一切省略されているが、だからなおさら、もう少し注目してよいのではないかと思う。当時の救世軍のあり方もよく分かるし、伝道の姿も、内部からではないし、完全な外部でもない立場から、よく描かれていると思う。神に仕え、人に奉仕したが、その酬いを得なかったと書かれている。それで、「基督教の教えるところは果たして正しいのであろうか」と漏らしている。「それはただ、人の心を胡魔化す麻酔剤にすぎないのではないだろうか」とも。このことが、社会運動への力になっていたことも想像できる。「人間の誠意や愛が他人に働きかけて、それが人の世界をもっと住みよいものにしない限り、そうした教えは遂に何らかの欺瞞でなくて何であろう」という文章の結びは、実に痛い。キリスト者は、痛く感じなくてはならない。(このあたり、「露天商人」の章を見よ。)
物語なら、結末をここで記すことはもちろんしないのだが、本書はやはりその結末を知った上で読むべきだと思う。この手記を託され、奇跡的にこのようなものが世に出たということの大役を果たして栗原一男氏が、本の冒頭に紹介しているから、紹介すべきだと思う。文子は、獄中で23歳にて自らの命を絶っている。刑務所の仮墓地に埋葬されたその腐乱死体を掘り起こすところから、栗原氏の報告は始まっている。
映画にもなったという。だが、この筆致は、やはり直接受けてみるべきであろうかと思う。