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『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』(アルバート・E・カーン編・吉田秀和,郷司敬吾訳)
礼拝説教の中で、牧師が紹介した。本書ではないと思うが、パブロ・カザルスの信仰についてだった。この牧師もまた、様々な本を話題に上らせてくれる。私は、そのどれもを読みたくなる。自分では決して求めなかったような本を教えてくれると、私はそこに手を伸ばしてしまうことがよくあるのだ。
パブロ・カザルスの信仰については、話には聞いていた。だが、その内実を考えたことがなかったので、その礼拝説教は私の心に刺さった。パブロは、もちろん世界的なチェリストである。その音楽については、如何に雑多な音楽を耳にするとはいえ、私の引き出しの中に響かせていたつもりだった。だが、祖国カタロニアの不遇な歴史の中で、これほどの政治的な影響を与えていたということは、本書で読むまで実感していなかった。
本書は、ひとりのジャーナリストであり作家でもあるカーン氏が、パブロ・カザルスにインタビューをして成立したものである。どうもパブロ本人は、自伝を書くということにはこれまで拒み続けてきたらしい。だからインタビューという型式をとったそうなのだが、本書はそのときインタビューした側の言葉は一切入れず、恰もパブロ本人が問わず語りを続けたかのような形で形にしたという。結果的に、これは成功であったと思う。ただただ自分の生涯を語り続けたようにここに置かれていることで、読者は、じっとその語りに聞き入るようになってゆくからである。もちろん、カーン氏は、構成は自分の責任であると断っている。だから、流れるように適切に語られている有様を、私は構成者の功としたいと思う。それほどに、自然に、そして効果的に、本書は綴られていると思うからである。
伝記作家が資料から綴ったものではなく、これはパブロ本人が語ったことである。非常に精密であり、空想が混じる必要はない。よくぞここまで語り尽くした観のある作品ができたものだと驚くばかりである。300頁近くにもなろう本書は、パブロの生涯をたっぷりと聞かせてくれる。もちろん、亡くなった有様はここには描かれない。最後に余談として触れられるだけである。ここには、本人が語ったこれまでのことが綴られているだけ、と考えてよい。
若い頃から、つまり自分がどう育てられ、音楽とどのようにして出会ったか、そこから語られる。6歳かそこらから作曲を始め、そのときから、キリストの降誕の物語が大きな関心を呼んでいたそうである。そのとき、すでにカタロニア民謡としての「鳥の歌」が彼の心を捕えていた。この曲は、その後パブロにとって大きな意味をもつようになり、世界平和への訴えの象徴として、彼の演奏の最大の看板とさえなるのだった。このことが、早くも初めの第2章で語られるので、ファンにとってはいきなりの感動エピソードであるだろう。
スペインやフランスなど各地で活躍しつつ、祖国の内乱に心を痛め、また音楽で傷ついた人を励まし続ける。その芸術に関する金字塔をもって、諸国の王室とも交わり、政治的に発言する力をも与えられるが、そのことが逆に権力者たに煙たがられることにもなる。命の危機もあった。捕らわれの日々の中では、本当にいつ殺されるか分からない身となっていたのだ。しかし、その音楽性と共に、平和への声は世界に響く。第二次大戦にヒトラーから誘われていたことの背景もまたここに明かされるが、なんと勇気のあることだろうかと思う。その辺りは、部外者の私がさも知ったかのように語ることはできない。どうか本書に熱中して戴きたい。背景に、パブロの音楽をかけて読むと、さらによいだろう。
芸術への信頼と共に、戦争の愚かさ、人間の真実が随所に語られている。それは必ずしも理路整然としているかどうかは分からないが、筋が通っていることは確かである。礼拝説教で語られていたほどには、「信仰」が主軸に主張されているわけではないとは思う。だが、信仰は通奏低音のようにそこに響いていたのだということは、キリスト者が読めばきっと分かる。必ずしも教義を勧めるタイプではないが、幼いころにクリスマスから与えられた感動は、生涯を貫いて継続されていたのだと感じさせる。
確かに王室などとの交わりも豊かだった。だが、あちこちで出会う芸術家たちとの交わりが、本書を華やかにしていることは確実である。芸術に理解ある人々のみならず、本当に世界的な芸術家も、またあまり知られてはいないが芸術観からしてパブロと意気投合した数々の友の姿が、本書にはたっぷりと描かれている。そこには、タイトルにある通り、喜びと悲しみが交々描かれている。
私には芸術の素養はないが、美しい芸術をこの世にもたらし、さらに平和を命懸けで求めた偉大な彼の言葉は、私も受け継ぐことができるはずだ。読者をそのように思わせる力が、本書にはある。パブロ自身の言葉を、私たちは受けたいものだと切に思う。