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地震がまた起きた

1月13日の夜、九州地方で大きな地震が発生した。私は入浴中だったが、揺れには気づかなかった。福岡は、震度2だといわれ、居間にいた家族は感じたそうだが、私は知らなかった。浴室から出て、ニュースでそれを知った。
 
マグニチュード6.9という数字を見て、驚愕した。阪神淡路大震災のときの地震が7.3とされている。マグニチュードの数字は、0.1の相違で√2倍のエネルギーになる理屈である。これの4倍があの震災だったのか、と恐ろしくなった。尤も、あの東日本大震災となる地震は9.0であるというから、これの1000倍を超える規模となるから、あの地震が如何に激しいものであったか、気が遠くなるほどである(その後、6.7もしく6.6に修正されているが、最終的にどうなったのかはまたお調べ戴きたい)。
 
いわゆる「南海トラフ地震」との関連が懸念され、気象庁はいち早くその検討に動いた。「トラフ」とは、海底盆地のことで、細長いものを指していう。比較的浅いところにあり、南海トラフは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいる場所に当たる。近年の入試問題でも盛んに出題されており、このことを知っておくことは、ひとつの防災の知識となるには違いない。
 
しかし、一応南海トラフ地震への直接的な関係を警告するほどの規模ではなかった、という発表が、地震発生後2時間半後、公的に出された。一安心ではあった。
 
だが、その発表と共に、マスコミの地震報道の熱は、急速に冷めていったように私は感じられた。気のせいならいいのだが、特に民放は、あまり大きく取り上げなくなってしまった。マスコミの多くは、東京から発信している。こと「南海トラフ」であれば、東京も他人事ではない。だが、そうでないというお上のお墨付きがなされると、この地震も遠い地方の出来事に過ぎないのかもしれない。少なくとも、そのように見られても仕方がないような、地震報道の扱いであった。私の僻みかもしれないが。
 
だが、阪神淡路大震災のときにも、類似のことがあった。震災発生の瞬間に編集したであろう記事が、数日後の、東京の週刊誌に載っていたのだ。東京で大地震が起きたらどうなるか、という特集記事であった。
 
関西の人の中にも、この空気を感じた人が少なくない。「温度差」という言葉で片付けるのも口惜しい漢字だが、いま混乱の中にある人々の姿が、もう視界から消えるというのは、当事者からはあまりにも残酷である。
 
土日の深夜に、「心の傷を癒やすということ」のドラマが再放送された。久しぶりに見たが、多くの点を記憶していたと共に、初めてのように気づかされることもあった。テレビドラマそのものは、震災の心のケアだけを描いたものではない。全4回のうち、最初は震災前の安克昌さん(ドラマ内では名前を変更していた)の背景を描き、最後のものは、その死を扱うものだった。だが、中の2回では、PTSDと、それにまつわる解離性障害が大きく取り扱われていた。
 
生前に出された唯一の書『心も傷を癒やすということ』を、再び取り出してめくってみた。すでに二度読んだ本だから、もう一度また読みたくなった。そこにあったのは、精神科医としての全力の筆である。そしてまた、その師中井久夫さんの本も、またひとつ読みたくなって、取り寄せた。この先生は、ギリシア語やラテン語にも通じ、もちろんヨーロッパのおもだった原語も分かるという恵まれた文筆家でもある。エッセイストとしても有名であったが、PTSDについては中井久夫さんが先駆でもあり、災害と心のケアのために神戸で尽力している。ドラマでは、近藤正臣さんが演じて、いい味を出していた。
 
100分de名著も、この月には、この本が取り上げられている。安克昌さんの同志ともいえる、宮地尚子さんが講師として語っている。聞いているだけで泣きそうになる語りではあるが、手を伸ばせる方はテキストもお読みくださるとよいと思う。
 
13日は月曜日であり、この「100分de名著」が放送された。その画面の上にずっと、1時間前に発生した地震の情報がずっと出ていたのが、痛々しかった。震災を振り返る番組に、現在進行中の地震の情報が流れていたからである。
 
地震については、そのメカニズムの教育は、理科という科目の中で扱われる。だが、防災と、被災後の対応については、社会科の学びも大切であろう。見えない部分で傷つく心のことも、いまは幾つもの災害から知られるようになってきた。子どもたちが地震ごっこをすることを受け容れてゆくあのドラマは、よいシーンを描いていたと思ったが、たとえ災害そのものではなくても、言語化しづらい中でそれなりの言動を見せる子どもたちの心のケアは、見過ごしがちな日常の中で、大人が気づいていかなければならないものだ、と強く思わされた。
 
日向灘沖の地震は、決して予断を許さない。お上の発表ですっかり安心してしまわないで、私たちは、私たちなりの覚悟と、備えをしていくべきであろう。その「発表」ですら、実のところ、いつ大地震が起きてもおかしくない、という注意喚起は発している。自然の大きな力の前では、人間の存在は微小なものに過ぎないが、何らかの場面で、「知は力」になりうるものだと信じたい。
 
阪神淡路大震災から30年。その間も、大きな地震は絶えない。と同時に、阪神地域の人々の心の傷も、決して完全に癒えているわけではない。さらに誰でも、いつ傷つくか知れないことを弁えておきたい、とも思う。

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