『加藤常昭説教全集25 ヨハネの黙示録』(加藤常昭・教文館)
加藤常昭先生の説教集は、生前にひとつのまとまったものとして世に出たことが、小さな慰めであった。17年間を務めた鎌倉雪ノ下教会を退くこととなったが、最後の一年間を、ヨハネの黙示録を語るように、と長老会が決めたそうである。牧師に与えられた箇所ではなく、教会が決めるというのは、加藤先生にとっては当たり前なのかもしれないが、私にとっては新鮮であった。
しかしともかく、最後の連続講解説教が黙示録だというのは、感慨深い。これが始まったのが1996年。お分かりだろうか。1995年1月、阪神淡路大震災が起こる。その被害者救済も行き届かぬうちに、オウム真理教の地下鉄サリン事件が勃発する。彼らにとっては計画通りなのかもしれないが、一般人にとっては、勃発であった。それは、黙示録の「ハルマゲドン」という語を勝手に使ったものであったが、世間にその語が響き渡った。日本にいた万人が知ることとなった、と言ってよい。
長老会にはその他の意味もあってのことだったが、こうした背景は、加藤常昭牧師の引退への道を、黙示録で飾りたいという思いを育むことになったのかもしれない。
どうであれ、ヨハネの黙示録の第1章から始めて、最後の第22章に至るまで、きっちり説教を続けたことについては、それも一流の説教を続けたということについては、敬服するよりほかは何もない。後半の説教は、最初の頃よりも少し短くなったように見受けられるが、内容が手薄になったよはな印象派少しもない。聖書を落ち着いて説き明かし、時にギリシア語の読解、時に旧約の言葉にも触れながら、縦横に聖書を説き明かしてゆく。さらに、社会的な出来事も重ねつつ、身近な例も含めるなど、特定の型にはまったようなことはしない。自由な聖霊の風を感じるものであった。
加藤常昭先生の説教全集は、私は殆ど所有していない。その他の著作物はそれなりに持っているのだが、それらは黄色を中心としたラインを引いている。だか希少価値からか、説教全集には、ラインを引かないことに決めていた。その代わり、フィルム附箋を付けた。やみくもではなく、ここぞ、というところに附箋を貼るのであり、見開き2頁の中に複数つけることは殆どなかったと思うのだが、それでも読了して上から見ると、もう毛むくじゃらのように、カラフルな附箋が躍っている。よほど身に染みたことや、大きな意味をもつ情報は、赤の附箋を使うことにしている。だから、ここにしか現れない語、といったものや、救いのために重要な着眼点のヒントなど、これだ、と思ったところは赤にしている。また、反面教師に当たるものは濃い紫のものを使う。自分の中では少しばかりルールがあるのだが、細かなルールに基づいているものではない。ただ、結果、もじゃもじゃの髪が生えているような、本の「天」なのであった。
650頁を超える厚さ。結局新品を買った方が安いという情況の中で、5280円を払って買った。近年は本が高騰しているとはいえ、これほどの本を買うのはずいぶん久しぶりで、いまはめったにないことであった。誕生日に特別に、家族に買ってよいことを許してもらったのだ。それが、毎日一つずつ説教を読むことにより、2カ月かからずして、すべて読み終わってしまった。さて、どうするか。またぜひ読む機会があるように、と願う。
実はこの加藤常昭先生の弟子が、やはり長期にわたり、この黙示録を講解説教している。その説教の中で、この加藤先生の本を開いて準備をしている、と口にしていたので、本気になって購入した、という経緯があったのだ。すると、確かに、一部ではあるが、加藤先生の発言をうまく用いているところがあちこちあることが分かり、面白かった。師の心は、弟子の心に受け継がれるものなのだ。
かのときから四半世紀を超えている。それでいて、心が結びつき、受け継いで語られる。そういう説教集が、きっと目白押しなのだ。これから真剣に、説教全集を読みたい、と思うようになった。
説教塾の主宰である。恥ずかしい説教はできまい。命を注がぬような言葉を並べはしないだろう。しかし、そんな思いは恐らく微塵もあるまい。問題は、神の言葉、神の心を語るかどうだ。ひとを生かす霊の流れを自分が妨げないことだ。そのために研ぎ澄まされた耳と、委ねる信仰を保つかどうか、問題はきっとその辺りにこそある。
ただ、これは良い点でもあるのだが、教会の制約の中で語られる。長老会の意向、教会のリクエストによって選ばれた箇所で、しかも「教会」なるものを重視した考えと語りは、加藤先生の中にある、ひとつの傾向である。もっとダイナミックに、自分へ啓示された神の言葉がふんだんに語られる、ということはなかったのであろうか。
例によって、エピソードの中で、文学作品や、時に映画なども紹介される。そのどれもが魅力的に見えて仕方がない。いったいどれほどの教養がある方なのだろう。そしていったいどれほどの、触れられた本を私は追いかけて読んだことだろう。よい本に出会うきっかけを与えてくれたことを、非常に感謝している。
本書の評とはならなかった。それでもいい。ただ、これは確かに、現代社会と現代の教会への、大きな警告でもあり、生かす言葉でもあった。これら38週にわたる黙示録の説教は、現代を生きる教会にとり、読むこと必須の課題ではないだろうか。この説教集なしに、社会に福音を語り、この時代を生き抜いてゆく力は与えられないのではないか。そこまで言って、精一杯の宣伝をさせて戴こうと思う。