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100分de名著 ハイデガー『存在と時間』

番組開始当時から興味深く視聴している。Eテレの「100分de名著」。司会者が伊集院光氏にかわり、より庶民的になったが、この人の直感とでもいうのか、その本の世界に対する感覚は非常に優れているものと見ている。具体的に自分の問題に引きつけて理解することは大切な一つの道である。
 
2022年4月からのハイデガーも、楽しみである。いよいよ『存在と時間』が取り上げられた。カントの著作も2つこれまで取り上げられたが、ハイデガーは初めてだと思う。
 
講師を務めるのは、若い戸谷洋志氏。ハンス・ヨナスという哲学者が専門であると言ってよいと思うが、ヨナスの師としてのハイデガーを語ることは、多少ヨナスの目を通してということになる。人類の未来を視野に置くということである。
 
従って、ハイデガーが目論んだ、存在の歴史という過去の検討が第一ではなくて、これからのこと、さらにその未来をつくるいまここで私たちがどうするのか、という点に関心が向くように予想してもよいだろうと思う。
 
つまり、現在の私たちに引きつけて『存在と時間』を読み解くのであり、必ずしもハイデガーが言っていることを敷衍するのが目的ではないであろう、ということである。実際、存在論というよりは、実存哲学の方面で今回は紹介していくはずである。この本は、存在を問うために、現存在と称する人間の生き方や姿から分析を始めており、それを時間制の中で解こうとした先で、中途挫折した未刊の書である。その、現存在分析を通して、講師は実のところ、現代人、私たちに必要な考え方をひとつ提示しようとしている。言葉を悪くして言えば、ハイデガーを利用して、ひとつの主張をぶつけようとしているのだ。
 
ハイデガーの哲学を読みこなしていない人でも、ハイデガーがナチスに協力したというあたりのことは、批判の眼差しで捉えている人は少なくないと思う。だが、それをゴシップのように扱っても、何の益もない。どうしてそうなったのか。責任とは何なのか。今回の番組でも、最後はその点を中心に扱う。どうしてハイデガーは、ナチスに対して確信犯を貫いたのか。それは、ハイデガーの現存在分析そのものに、ある問題が潜んでいたからである、と講師は指摘する。
 
同時に、ハイデガーの分析は、私たちへの効力をなくすことなく、鋭い刃のように私たちに向けられ、私たちが自分の何かに気づくように攻めてくる。誰それが悪い、みんなそう言っている、自分もそう思う。そうした態度そのものが、今回問われるであろう。いわゆる「世人」と訳されているハイデガーの概念であるが、私たち全員をその指摘の的に連れていくことになる。これを逃れることは誰もできないのである。
 
テキストは、ハイデガー独特の用語を極力分かりやすく伝える工夫をしているようだ。もともとドイツ語でも日常的な語を、ハイデガーは特別な意味をこめて使っているだけで、概念理解は難しいが、語そのものとしては誰もが知る語である。それを日本語訳するところで、どうにも聞いたことがないような哲学用語にしてしまったことが、私たちが敬遠するきっかけとなったことは否めない。
 
いや、そもそも哲学的思考が、日本の教育において、全くなされていないということが、その背景にある。フランスのように、哲学を学ばねば高校を出られないような教育(それは日本の倫理のように哲学の知識を覚えることとは違い、思考や論理を身につけることである)と正反対である。他人事として思想を扱うのとは違い、ハイデガーが、人間は、つまりあなたはこうだ、と突きつけたとしても、蛙の面に水のようであるのが一般の空気である。
 
残念ながら、キリスト教信仰を壇上から語り、またキリスト教を研究しているような人でも、自己認識の視点の欠落している人は少なくない。よかったら、ハイデガーの番組から、「それはあなただ」と指摘を受ける経験をして戴ければと願う。

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