「自分自身ではなく、自分を怖気づかせる原因を作った人たちを否定するの」
「他人を否定するなんてよくないよ」と、いい子ちゃんの自分が言ってくる。
「自分だけを可愛がったら自分をダメにするからね」とも言ってくる。
でも、自分の心の安らぎを脅かしてくる人にまでそんな気遣いは要らない。
コツコツ努力していることを見下してくる人までもを好きになる必要なんてない。
頑張ってもできないことがあって、すでに自分でコンプレックスに感じてるのに、そこに意図的に塩を塗り込んでくるような人にまで媚びることなんてない。
個人的に好きでやっていることなのに、かわいそうだと嘲笑う人の声に左右される必要なんてない。
自分の考え方と違うからといって、頭が悪いとか能力がないとか無駄だという視線を向けてくる人の顔色を気にする必要なんてない。
生きていれば、良いことも悪いことも毎日大なり小なりたくさん起こるわけで、それぞれに対していろんな感情も持つ。
ここに挙げたのは、ここ1~2年で持った感情の一部。
「怖気づいた」というよりは、そう、「気後れした」。
「人って、優しい人ばかりだ」と思うこともあれば、「人って、基本的には冷たいんだな」と思うこともある。
きっとどっちも正しくて、どっちも間違ってる。
完璧な人なんていない。
自分との関係性によっても変わってくる。
相手も、嫌なことやコンプレックスや怖さがあって、それを他の人にぶつけて解消してることもあるはず。
自分だって、他の人を脅かしていないかと言われれば、自信がない。
状況や気分によって、言葉や態度が変わってることも否めない。
見下されないように、自分を大きく見せようとしていることだってある。
誰だって自分に余裕がなければ、防衛本能が働いて、自分を守ろうとする。
その方法は人によって違う。
自分に反省の矛先を向ける人もいれば、他人に向ける人もいる。
自分を犠牲にして、他の人の幸せを優先させる方が幸せだという人もいるかもしれない。
でも私は、まずは自分を大切にしたい。
それがわがままというのであれば、わがままになるしかない。
余裕のなさから人を攻撃してしまうよりは、わがままになりたい。
他人を傷つけたいわけではない。
他人を変えたいわけでもない。いや、できることなら変わってほしいけど、それが難しいことは、歳をとるにつれて学習してきている。
だから、自分が変わって、強くなるしかない。
自分を否定する人と対峙して論破するほどの勇気はないけど、心の中でなら否定できる。
「他人を否定するなんて美しくない」とも思うけど、今の私には他にいい方法も思い浮かばない。
それくらい許されるだろう。
自分だけは、自分のことを肯定してあげたい。