第10話 ハマグリ大好き、あぁお江戸☆(2014年3月)
●いよいよ、3月になりました~。(^-^)
大雪が降って流通が途絶えたり、ものすごく冷え込んだかと思えば、やたらめったら暖かい日もあるこの時期、みなさま、いかがお過ごしですか?(2014年3月時★)
ご無沙汰しましたっ、山野亜紀です!
さて、2014年なんですが(!)
「林邦史朗の贈る、殺陣LIVE」が、5月16日(金)~18日(日)まで。
東京都は渋谷区恵比寿にあります「シアター代官山」で催される運びとなりました。 (^_^)v
・・・かような訳で、私こと山野亜紀ですが★
人生2度目の舞台制作プロデューサーに就任したわけですが、こんなに使えない人が、またもやプロデューサーになっても、良いものだろうか・・・。 (^_^;)
しかもそのくせ、私ってば欲張り(!)
ただの公演では詰まらないので、劇場側と、林先生に説き伏せさせて(!)
このHPの「きらり・江戸レシピ☆」から、試食体験までも付けちゃいました~☆ (〃∇〃)
・・・いえ、私自身は楽しいんですけど、ホントに、大丈夫なのか、ナ~・・・。
いろいろ、ホントに出来るのかナ~・・・などとじんわり、冷や汗もかいているのですが★
よろしければ、劇場まで足をお運びくださいませ。 <(_ _)>
●さてさて、今月の「きらり」の旬食材は、私の大好物、ハマグリでっす。(^-^)
そして、江戸時代の料理書には、まずもってトップに躍り出てくるレシピがやっぱり、「焼蛤(!)」
皆様ご存知の通り、ハマグリを直火で焼くだけのこのレシピは、「東海道中膝栗毛」で、弥次さん、喜多さんも桑名に近い富田(とみだ・朝日町富田)で食べているそう。
・・・そういえば、お座敷唄で聞く処の「桑名の殿さま、時雨で茶々漬け~♪」という下り。
私もてっきり、桑名のお殿さまが大好きで食べている(!)という歌だと思っていたんですが、、、
●伊勢国であった桑名は、伊勢湾に面したお土地柄。
かつて「十楽の津」と呼ばれたほどの栄える港町で、まずはお近くの織田信長の配下に。
「信長の家臣であるところの、滝川一益が治める」ことになりましたが、この方、その後はなんと、羽柴秀吉と対立(!)
賤ヶ岳の戦いで敗れてしまったので、今度は信長の次男、信勝の領地となりました。 👀
・・・しかし、これも長くは続かず。😅💦
今度は秀吉の家臣が入ってみたりで、いよいよ徳川家康の重臣、四天王と呼ばれる本田忠勝が治めるようになって、「桑名藩」として立藩しました。
・・・まぁ、立藩はしたものの、治める殿さまはまた変わっていく訳なんですが、栄える港町をもつ土地柄故か(?)
時代は明治に移っても、その繁盛ぶりは並大抵ではなかったそうなんです。 (^_^)/
明治から大正にかけて、米相場(!)で儲けた桑名の旦那衆(成り金も、多かった?)
難波や東京は・・・新橋辺りの料亭で、芸者をあげては、盛大な酒宴を取り行っていたそうで(!)
大いに遊んだその旦那衆、宴の最後にはよく、桑名名産の時雨蛤(生姜を加えた佃煮の事)で茶漬を食べていた様子を、唄にしたものなんだそうです。 (^_^;)
・・・もっとも、ホンモノの桑名の殿さまは、松平定信の事だとする説もあるらしいんですが★ 👀
●また、この「時雨煮」という名前なんですが。
地元ではカンタンに「煮蛤」と呼んでいたのを、松尾芭蕉の高弟・各務仕支考(かがみしこう)」が、時雨が降る頃に作り始める事から商品名として考えたのだそうですが、またこれにも色々と説があり。
・・・まぁ、街道も整って、日本各地の名産品が流通するようになったという事で、江戸でももちろん、桑名名物として売られていたんじゃないでしょうか。 (‘_’)
焼蛤の他には「付け焼き(醤油を付けて焼く)」や、「藁煮(わらに・茶碗蒸しの原型とも言われる料理らしい)」などが江戸期の料理書に紹介をされていますが。
・・・藁煮とは、ハマグリの身を湯がいて剥き、木クラゲなど混ぜて、卵に醤油、花かつおを入れたモノに混ぜて蒸したモノなんだそうです・・・手間が掛かってますね★ 😅💦
●とにかく、2014年3月の旬エッセイでもご紹介をしてますが。
「縄文時代の生活を今に伝える貝塚」から出土する貝の、その8割もがハマグリ★
太古の時代から愛されているハマグリさんは、平安時代の貴族達にも、この貝殻をもって「貝合わせ」なる遊びに使われたそうですが(!)
これは・・・貝殻の内側2枚に対し、1組の絵や文字を書いては。
トランプの、神経衰弱のようなゲームだったようです。 👀
・・・何しろ二枚貝なので、同じ貝殻でないとピッタリとは合いません。 👀
なので夫婦円満の対象、良縁に恵まれるよう。
桃の節句の折には、ハマグリを食べたり、また貝殻で遊ぶなどしたのだとか。
もっとも、同じ貝殻(貝は、女性の象徴★)を睦ぶという事から、男女間の貞操を保つためだとか(!)
なんだか、こちらにも色々と説があるようです。 👀
そういえば、作家の池波正太郎さんが、花の吉原遊郭で筆おろし(・・・つまり、大人の男性としてのスタートを切る行為★)をした際、おめでたいという事で♡
お赤飯に、ハマグリの吸い物がお食事に出た・・・なんて話が、どこかの本に書いてありましたっけ。 (‘_’)
我らが健康アドバイザー・林邦史朗氏も、新小岩の遊郭で同じようにスタートをしたそうなんですが、こちらではもう(法律で、遊郭が あと10日ほどで終る事もあって)、そんなサービスはなかったと仰います。
そしてまたまた・・・私こと、山野亜紀は知らなかったのですが★
思った通りに子供が育たなかった時など、親御さんが溜息などつきながら、
「あいつ、何時の頃からか、グレやがって・・・」
とか、よく話しているシーンをドラマなんかで見かけますよね。 👀
この「グレる」という言葉は、ハマグリを逆にして「ぐりはま」の転じた言葉なんだそうです。 (^_^;)
ハマグリの「グリ」が動詞になったんだそうで、ハマグリの貝殻をひっくり返すと合わなくなる。
よって、物事が食い違った様を指すようになったとか★
古く、江戸の頃から使われている言葉なんですって、・・・でこの写真は、江戸時代のぐれてる人のイメージ(笑)
とにかくまぁ、知りませんでした。 (゜-゜)
●・・・江戸レシピをやるようになってからよく、私は江戸の頃、江戸の頃と口にするようになりました。
旧暦の3月3日、桃の節句の当時は、新暦でいうなら4月の頭くらいだそう。 👀
大潮の時期だそうで、まだその頃は・・・品川からすぐに海でしたし、広大な遠浅の海が巨大な干潟に変化(!)
大人しく家の中で「雛の節句を祝う」より、大海原で雄々しく(!)
干潟に足を踏み入れての塩干狩りは、江戸人の壮大な大イベントだったのだとか。
海底が陸に変わった如くの、ホントに広大な干潟だったんだそうです。 👀
現代の私達の潮干狩りは、どこかから持って来て撒いたアサリ貝を掘って収穫するだけのイベントです。 😢
・・・でも江戸の頃のこのイベントは、全くもって違っていたのだそうです。
何しろ、浅瀬に住んでいる根付きの魚(ヒラメやカレイ、メバルなど)が逃げ遅れて、砂浜の上にぴょんぴょん飛び撥ねていたとか。
貝でいえばアサリはもちろん、ハマグリ、マテガイまで獲れたなんて、なんて豊かな海だったのでしょう・・・っ!
江戸から時代が移り、名前は変わって東京湾になっても。
昭和30年代くらいまでは、この地はハマグリの産地として、有名だったんだそうです。 👀
ですが・・・現在では、東京湾のハマグリは絶滅危惧種に。 (>_<)
日本の文化である、碁を打つ時の白石の方はハマグリで作るそうですし。
昔から庶民に親しくて、身体に良いともされている食材なのに、どうにか・・・して。
自然とエネルギーと、経済と何とか!
どこかで、帳尻があう処がないものかと考えてしまう・・・なんだか、この頃の・・・私こと。
山野亜紀なので、ありました。 (^_^;)
(2014.3.1 文責・山野亜紀)
〇2014年3月のお膳
※「和心きらり(http://wagokoro-kirari.tokyo/)」より転載
・・・700以上のレシピ・旬エッセイ・ブログを現在、移築中。😅