アサヒグループ大山崎山荘美術館 | ずっといたくなる場所
2024年5月2日
昨年に引き続きGWは奈良の妻の実家で過ごすことに。
新幹線を京都で降りて、実家に行く前に、まずはJRに乗り山崎で降りて、大山崎山荘美術館へ。
公式HPにある歴史(以下)を読むと、
今の時代にこの美しい遺産を残してくれたアサヒビールよ、偉い、よくやってくれた、ありがとう、という気分になる。
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アサヒグループ大山崎山荘美術館は、京都府大山崎町、天王山の南麓にあります。約5500坪の庭園のなか、英国風山荘である本館と安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」、「夢の箱」、その他の建物から構成されています。
美術館本館である「大山崎山荘」は、もとは関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)の別荘として、大正から昭和にかけ建設されました。
加賀正太郎は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家である一方、大山崎山荘で蘭の栽培を手がけ、植物図譜《蘭花譜》(らんかふ)を刊行するなど、趣味人としても大きな業績を遺しました。加賀は、ニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を深い親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長・山本爲三郎に託しました。この縁が、現在の美術館へと受け継がれていきます。
ビールとウイスキーという新たな文化をわが国にもたらした二人が紡いだ時代の糸は、やがて桂川、宇治川、木津川、三つの川が合流するこの大山崎の地でひとつになります。
1954年に加賀正太郎が亡くなり、ついで加賀夫人がこの世を去ると、1967年に大山崎山荘は加賀家の手を離れることになりました。
幾度かの転売ののち、建物の老朽化が進んだこともあり、1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました。しかし、地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。
アサヒグループ大山崎山荘美術館は、歴史ゆたかな土地に建つ貴重な近代建築と、同時代の先端を行った芸術運動の遺産、そして国際的に活躍する建築家・安藤忠雄が手がけた現代建築の三つを擁して、1996年に開館しました。2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅玕洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されました。開館9年を迎えた2005年には来館者が100万人を、2017年には200万人をを越え、特色あるコレクションと建築、豊かな自然をともに楽しむことのできる美術館として、多くの人に親しまれています。
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加賀正太郎は最初はここを別荘として使っていたが、そのうちここに住んでここから仕事に通うようになったとのこと。
ここにいたら、ずっといたい、と思うようになるよな。
続きは以下からご覧ください。
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