大江健三郎『他人の足』
分かる人にはすぐ分かる、とある人の影響により大江健三郎を手に取った。私には多分にミーハーな、人の影響を受けやすいところがあるのだ。短編なのがご愛敬である。
ちなみにこの短編は『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)に収録されているが、『大江健三郎自選短編』にも収録されている。さすがノーベル賞作家。収録内容を自選して岩波文庫から本が出てしまうなんて。
さて、一度1,000字くらい書いたのだがやりなおしている。途中から何か違う気がしてきてしまったのだ。もう一度読み返す。
※以下、話の筋が含まれています。
学生は闖入者だった。病棟の世界に馴染めず、自らの良識に沿って行動し希望を見せ、然るのち、おそらくは偶然に恵まれて、病棟を去った。
掻き回された病棟の世界は、元に戻ることが仄めかされて物語は終わる。「僕」たちはまた厚い粘液質の壁の中で、微睡み揺蕩い陽気に暮らすのだろう。学生が残していった希望を、おそらくはもともと持っていたそれを、胸の奥底に沈めたまま。
一つの作品を繰り返し読むのは久しぶりだ。書くと宣言してしまったのに加え、ミーハーであるところが私を作品に引き止めた。
完璧だった世界が揺らいで、また元に戻った話、だと思う。閉ざされた世界と外の世界。あるいは正常と異常のハザマの話。「救い」は感じられなかった。
「僕」たちの身の振り方は、現代であればまた違ったかもしれない。しかしこの話の初出は、「新潮」の1957年8月号であるらしい。50年以上も前の、WEBはもちろん、バリアフリーとかダイバーシティとかもない頃だ。そんな時代に、年若かった筆者は何を思いこれを書いたのだろう。
2014年春、80歳を目前にした著者は、『大江健三郎自選短編』のあとがきとして、「生きることの習慣」という文章を書いている。
この中で、著者は自身の短編のいちいちから、自分の生きた「時代の精神」が読み取りうる、と書いている。そして自分にとっての「時代の精神」は、不戦と民主主義の憲法に基づく、「戦後の精神」だったと。その戦後は、「良い時代」で、「明るかった」とも。
『他人の足』に、とてもそんな雰囲気は感ぜられない。学生も「僕」たちも、いったいどうすれば良かったのか、答えは見つからない。ただ上記の文章で、「時代の精神」についてはしばしば消極的・否定的な表現となっている、と書かれてたので、そのせいかもしれない。
やっぱり、どうしようもない中で揺れ動く人々の心情を、丁寧に見つめて描写しているだけの話と受け取ることもできるのだけど。
ひょっとしたら、今はどうしようもなくても、いずれ彼らにも良い結末が訪れる時代がくるのでは、という希望や祈りが込められた作品だったのかもしれない。知らんけど。
ふぅ、、
いつもの記事よりだいぶ時間をかけてここまで書いて、短編一つをようやく、ひとまず飲み込めた気がする。他のも読んだらまた違うかもしれませんけどね。文学、大変。
分かりやすい文章を書くことは大切で、大江健三郎の文章も分かりにくい訳ではない。でもそんな一文一文が連なって、人によって違う受け取り方ができる物語になり、、、というのは、なんだかとても面白い。
あともう一つ。
ここまで、どんな話だったのか、という視点で書いてきた訳ですが。物語には、ひたすら個人的な経験と響き合う側面もあり。
端的には学生にイラっとしたという話ですが、技術とか環境とかではなくて心のウチの話として、本人以外が解決を持ち込むことについて考えさせられました。
自分もやっちゃってますからね、特に子ども相手に。なので子育て本として読むことができるかもしれません。無理やりです。それでは皆さまよい一日を。
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