心なんて無くても生きてゆけるのですか
昨晩。書き終わった時間が「noteのメンテナンスの時間」でした。
今日の文を書く前に、今、昨晩のものを書き写しておきます。
拝啓
見たものに、何を感じたかを、言いませんか。お得な方法で楽しくなる思いつきを言ったり。気心が知れると。
そういうこと出来るように、いつの間にかなっていたけれど、この手紙には、きっと書けてはいないでしょう。
だってね、そんなこと考えて生きてないってよくあるから、じゃあ、誰でも考えるようなこと考えて生きてたいし話したいと思うんですが、聞いて下さい。
わたしは今日一日、寒かったのです。
冬の日中ほとんど外なら寒い。みんな寒いと思う。冬は、長時間外を歩くのには向いてない季節でしょうかと言おうと思ったら、暑く感じていたくらいだと感想を聞いて驚きました。
寒かったの、わたしだけでした。
文字が、行が斜めになっているのが気になります。斜めにならないように気を付けています。
音楽を、聴きました。
大人しい友達は音楽が楽しくなっても、森の中にいる大きな動物みたいになっていて、わたしは雨の日の植物みたいだから反応が同じではありません。
そんなこと、誰も知らなくても良いのだけれど、音やことばで何か確認。
生体反応を感知本能です。
昔の建物を見ると「昔の建物だね」と言います。なぜか。
テラス用の石油ストーブの話など、熱の届く範囲の話など、本当は全部繋がっていたのだけれど、場所に行ったり顔を見たりしないと、どうにもできないことでいっぱいでした。 草々不尽
令和4年2月14日 月曜日付
Y.J
11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
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難しいです……。