#3|黒沢清『Chime』みた|2024.08.15
黒沢清『Chime』
黒沢清『Chime』みた。
このポスターの橋のシーン、悪夢版『ルックバック』の畦道だった(映画内の実際のシーンと鏡写しなのも不気味)。
料理教室の講師の松岡(吉岡睦雄)が、レッスン中に、生徒の田代(小日向星一)から「謎のチャイムが聞こえる」「誰かがメッセージを送ってきている」と告げられることにはじまる、45分間の恐怖映画(その田代の衣装のなんとも微妙な袖丈からして不穏で最高)。
黒沢清の映画を観るとき、わたしの脳裏にしばしば浮かぶのは、癌細胞(が喚起する肉体的な恐怖)のイメージだ。癌化した細胞が、じわじわと増殖し、内部からその肉体を蝕むように、「侵略者」は、外部から訪れるのではなく、異変の種は日常のなかに、家庭内に、なんならその体内(脳内)に、すでに「スパイ」のごとく潜伏している。一見ほのぼのとした料理教室に、最初からずっと当たり前のように、包丁が置かれているように。
黒沢は、この映画に「三大怖いもの」を全部詰め込んだという。だが、本作の特徴は、それらが明示的な「怖さ」として映し出されるのではなく、むしろ、それ以前の「怯え」として絶えず表現され続ける、という点だろう。超バッドな想像が次々実現するのは、アリ・アスター『ボーはおそれている』っぽくもある。
いわゆる伏線回収が、観客を慰撫して「気持ちよく」させるのなら、本作が提示する回収されないままの諸要素は、なるほど体感レベルで「気持ち悪い」。そこで、因果律はことどとく崩壊している(インテリ的恐怖ではあるんだろうけど)。「わたしは論理的な説明がないと納得できないタイプ」的な発言をした菱田(天野はな)の末路が、いかにも象徴的するように、理屈は徹底して忌み嫌われている。
言葉にすると陳腐に聞こえるが、45分間、それを一切飽きさせずやり通し、なおかつ、ずっと面白いのだから半端ない。9月末に公開の『Cloud クラウド』も期待。