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今という時間
今。
流れる時間に切り取られた、微かな時。
上流から流れる水に触れるように、今感じている今は、今という一瞬の連続の積み重ね。
それこそ感じた今も一瞬で過去に流れているのだから。
流れ来る未来も、流れ去る過去も、本当の意味では感じ取れない。
未来は空想で、過去は記憶でしかなく、川の流れのように逆らい歩くことも、流れに沿って歩くこともはできないのだから。
時の流れの中では、その場で立ち続け、感じることしかできやしない。
その一瞬をどう感じ、どうするのか。それしかできない。
それなのに、どうしても流れの先を見てしまい、流れ去ったものを見てしまい、今を蔑ろにしてしまう。
生きているのは、あくまでも今という時なのにね。
どうするかと考え動けるのは今だけ。
結果は先の今で、今ある自分は去った今の結果。
それをどう感じても今という時しか動けないし、感じられない。
あくまでも、今の自分がいるのは今という時でしかないのだから。どれだけ振り回されても、流れの先と流れた先には何もできない。
先を思うのなら、今動かなければ何も変わらない。
止まることなく過去に流れ続ける今に触れるのは、今しかないのだから。