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シャンバラはどこにある?(2)

 ヨーロッパにシャンバラが初めて知られたのは1627年のこと。イエズス会士のステファノ・カセラとヨハネス・カブラルが中国へ行くルートを探りにブータンを訪れた時に、シャンバラの話を聞いたという。
「チェンバラ(XEMBALA)というとても有名な国が実在する。そこはソグポ(Sogpo)という渓谷と境を接し…」
 ブータンからヒマラヤを越えた場所にソグポ渓谷があり、そこがチェンバラとの境なのだという。そして、その国は実在するとはっきり書いてある。

 チェンバラはシャンバラのことで間違いないだろう。ただ、ソグポ渓谷という場所はない。

 ロシアの画家で探検家のニコライ・レーリッヒ(リョーリフ)が、中央アジアを旅行した時チベットのツァンポ(Tsangpo)渓谷で、シャンバラにある三つの白い境界標識のうちの一つを目にしたという。(1928年5月)

 ドイツの探検家テオドール・イリオンは1934年から36年、チベット人行脚僧を装ってチベットに入国。中央チベットのサンポ(Sangpo)渓谷の谷あいの幅10メートルの縦穴から地下都市を訪れたという。縦穴を中心として白い巨石板が三つ立っていて、それが地下都市の境界標識になっていた。

 イリオンの描く地下都市はどうにも現実味が乏しく、空想の産物か百歩譲って極限状態で幻覚でも見たか…。地下王国アガルタ伝説と混同しているように思える。
 ただ、シャンバラ伝説とアガルタ伝説は16,17世紀には融合して不可分の関係といってよいようだが。
 それはともかく、サンポ渓谷という場所はチベットにはない。

 ソグポ渓谷、ツァンポ渓谷、サンポ渓谷のうち、実在するのはツァンポ(大)渓谷だ。ソグポ渓谷とサンポ渓谷もツァンポ大渓谷のことを指していると思われる。
 レーリッヒが見た三つの白い境界標識は、イリオンが見たものと同じだろう。

 ツァンポ大渓谷は一般的にヤルツァンポ大渓谷と呼ばれているので、以後こちらの呼称でいこう。

 ヤルツァンポ大渓谷は1993年に公式の調査団が入ってようやく公に知られるようになった秘境だ。当時その調査隊に日本のチームも参加していたが、そのうちの一人が現地で行方不明になっている。
 確か1998年にもナショナルジオグラフィック誌の後援で、カヤックによる渓谷の川下りが行われたと思う。この時も死者が出た。とにかく、20世紀の末になるまで、ほとんど世界に知られていない地域だった。

 実は2006年に友人にインターネット上にあるチベットのピラミッド関係の記事をプリントして送ってもらったとき、シャンバラに関係ありそうなページもプリントアウトしてもらったのだが、その中にヤルツァンポ大渓谷を個人的に探検しようとして断念した人のレポートがあった。
 それによると、2005年当時は観光はもちろん、調査も厳しく制限されていた。特に外国人に対しては、公安による特別な訪問許可が必要だが、同地域はインドとの国境未画定地域に近く、ほぼ発行はあり得なかった。付近は解放軍の基地も多い、ちょっと物騒な場所だ。
 だいいち、車道も整備が不十分の険路であり、海抜5000メートルを超す地域を徒歩でゆかねばならない。

googlemapを加工

 こんなことも書いてあった。同地域はチベット仏教ともボン教とも違う、呪術的儀式、土着の信仰があり、一説にチベット黒魔術の源流といわれる地域であり、仏教が伝播する以前は人身御供が行われていたという。
 レーリッヒも旅人は人身御供の身代わりにされることがしばしばあると記している。
 かの聖者ミラレパも仏弟子になる前は黒魔術師で、憎い親せきを呪殺したという恐ろしー話がある。その黒魔術の源流がここだとは…。
 まさか、現代は人身御供などないと思うが、20世紀の前半まではあったのである。
 また、大渓谷のあるコンポ地方には「悪魔の塔」と呼ばれる建立年代も目的も不明の謎の建造物が点在している。謎の多い地域なのだ。

 2010年、NHKスペシャルでヤルツァンポ大渓谷についてのドキュメンタリー番組があった。録画したかもしれないと探したがみつからなかった。
 覚えているのは渓谷の奥地に住む男性が、奥さんのために洗濯機を買って、担いで細い危険な道を行く場面だ。岩壁を削ってわずか人一人がやっと通れるような道。切り立った深い谷。馬の背中に洗濯機を乗せることはできず、しかたなくお父さんは背負って歩く。よろけて足を踏み外せば、絶対に死ぬ。誰も助けに行けないような谷道だった。
 無事に家にたどり着くと、お母さんはさっそく洗濯機を回した。(自家発電なのか、電源はある)
 あのお父さんはお元気だろうか。
 2010年当時もメディアの取材は許されていなかったが、NHKは特別に撮影許可を取ることができたのだという。

 そんなシロウトさんには絶対無理筋な秘境中の大秘境ヤルツァンポ大渓谷。なんと現在は観光地になっている!
 もちろん、切り立った谷を歩くような奥地ではなく、車で行ける場所に限ってだが、今はバスで行けるのだ。もちろん、外国人もウェルカムだ。
 川が蛇行して広めの河原があるところには、渓谷がよく見れるように広いデッキまで作られている。あたりは桃源郷をイメージしているのだろう、桃の木がたくさん植えられている。
 キャッチフレーズは「グランドキャニオンを超える世界最大の大渓谷」だ。

 ………なんか………ちょっとがっかりした。
 黒魔術はどこ行った。

 で、そんな気軽に行けるようになったヤルツァンポ大渓谷だが、肝心のシャンバラの境を示す三つの白い巨岩のことは、どこにも触れられていないのだった。


                              つづく


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