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将門を祀る?烏森神社(港区)
JR山手線新橋駅の日比谷口を出る。駅前には蒸気機関車が置かれている。この広場は二ュース番組の街頭インタビューの取材がよくある場所。サラリーマンの意見を聞くのに格好の場所と思われているのか。
鉄道の歴史にまったく疎い私だが、ここが日本の鉄道発祥の新橋駅かと思ったら違った。汐留駅が元の新橋駅で、こちらは最初烏森駅という名だったそうだ。烏森神社に因んだ名称であることは違いない。
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C11形、姫路を走っていたとか
SLの置かれた台の手前にある石積みは高輪築堤を再現したもの
台の側面に、初期の駅舎や築堤の発掘の様子などがパネルで紹介されている
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烏森神社はここから近い。広場の前の柳通を渡って、カラオケ店のわきの狭い路地(烏森宮脇通り)を入ってすぐの所にある。
紫の幟と何やら変わった形の鳥居が印象的な神社だ。
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四角いコンクリート製の柱の上に、アルファベットのHのような見たことのない笠木がついている。本殿の建物も鉄筋コンクリート製で、同じような飾りがついている。こういうのもモダン建築というのだろうか。
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それにしても、上の写真を見ていただいてもお分かりいただけると思うが、お参りする人が次から次へとくる。特に祭礼がある日でもないし、この神社が観光客に人気という訳でもないだろう。
御守や御朱印の授け所の窓口も、順番を待つ人がいた。人気がある神社なのだ。
御祭神は倉稲魂命、天鈿女命、瓊瓊杵尊の三柱。
天慶三年[940]に藤原秀郷が創建したと伝えられている。
秀郷が武州の稲荷社(烏森神社とは別?)で祈っていると、白狐が白羽の矢を咥えて現れた。その矢をもって、将門を討ちとることができたので、お礼に社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、「神鳥が集まる所が霊地である」と告げられた。桜田村に来た時に、夢に見たとおりカラスが集まっている場所があったので、そこに神社を建てたという。
そう。ここは将門を祀った神社ではなく、将門を討ちとった秀郷ゆかりの神社なのである。
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め組って、あの町火消のめ組?
烏森という地名の由来について、神社の説明は次の通り。
烏森の地は、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で、一体は松林であった。その為当時この地帯は「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていた。しかもこの松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになった。それが烏森という名の起こりである。明治以降昭和7年まで町名として使われていたが、その後新橋に改められ、今ではJR新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。
この辺りは江戸幕府ができる前は、日比谷入江の前島の突端にあり、その先は江戸湾で、辺りは砂州と松林が広がっていたのだろう。
享徳四年[1455]、古河公方足利成氏は、この神社で戦勝祈願をしたという。成氏が山内上杉憲忠、長尾実景らを鎌倉西御所で殺害したのが発端になった、享徳の乱の時だろう。
その祈願状が今でも神社に伝えられ、宝物になっているという。
江戸時代に起きた振袖火事(明暦の大火。明暦三年[1657])で、江戸中が焼け野原になった中で、烏森稲荷は奇跡的に焼け残り、民衆は神威の表れと感じて、ますます信仰をあつめるようになった。稲荷信仰は江戸庶民に大人気で、中でも烏森稲荷の賑わいは江戸で一、二を争うものだったとか。
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火災現場で殉職した町火消の慰霊碑
江戸の町火消は八代将軍吉宗の時代に
江戸町奉行大岡越前守によって組織された
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この神社特有のおみくじで、願い事によって四色のおみくじがある
なかなか女子ウケするかわいいデザインのおみくじだ
明治時代、烏森稲荷は烏森神社と改名された。
最後に、現在のユニークな社殿と鳥居について。社殿は昭和四十六年[1971]に竣工したという。設計は群菊夫氏。
鳥居は意外と新しくて平成五年[1993]に作られた。社殿の屋根のデザインを模したのだろう。