将門を祀る?常保寺(青梅市)
金剛寺の次に常保寺に向かった。
青梅街道を新宿方面に進む。青梅市民会館前で街道は右に垂直に折れる。多摩川に向かって下る坂道だ。
さらに200メートル進むと又左に折れて新宿方面に道が伸びている。
左折してすぐの所に瀑布山常保寺はある。臨済宗建長寺派の寺院だ。
創建年は不明らしいが平安時代の朱雀天皇の頃[931~946]にはあったらしい。ちょうど将門が生きた時代と重なる。実は最初は真言宗で、金剛寺の末寺だった。
1400年代になって、甲州の人、吹峰祖陰が臨済宗に改宗したという。吹峰祖陰は嘉吉元年[1441]に示寂したというから、改宗はそれ以前ということになる。
ということで、あまりはっきりしない縁起だが、金剛寺の末寺だったということで、こちらにも将門伝説がある。
かつて境内に「富士向きの滝」という滝があり、将門が滝上家に滞在した時、その滝で修行したという。
滝上家というのがどういう家なのか、単に滝上にある家という意味なのかこれだけではよくわからないが、常保寺のある所は今でも滝ノ上町という。
この滝ノ上の滝とは「富士向きの滝」を指すに違いない。常保寺の山号も瀑布山という。滝はこの寺を象徴する存在だったのだろうと想像できる。
しかし、残念ながらこの滝は今はない。境内を見回しても、滝を作れそうな場所がない。もっと多摩川に近い所にあったのだろうか。
多摩川は常保寺の南の所で崖を削って大きく蛇行している。蛇行している場所は釜の淵という。崖の正面にはキャンプや釣りなどが楽しめる釜の淵公園がある。実は滝は釜の淵の崖にあったらしい。
現在釜が淵公園に富士向きの滝は無いようだ。水害で無くなってしまったのか。
滝の傍に祀られていた白瀧不動尊の祠も、寺の境内に移されている。
昔は寺の領域はもっと大きかったのだろう。
本堂の前にある大きな石灯籠は港区芝の増上寺の徳川家の霊廟にあったのだが、霊廟は空襲で焼け落ち、その焼け跡をプリンスホテルが買い取った。
そのときその土地内にあった石灯籠は所沢(西武ドームの辺り)に運ばれ、学術調査が行われた。
調査が終わると石灯籠は狭山丘陵に野積みされていたが、西武球場建設の時に希望の寺院に配布された。常保寺もその時この石灯籠を入手したのだという。