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呪術都市江戸⑧
家康の霊柩を日光山に遷座する儀式では天皇の即位灌頂でも用いられる五眼具足の印の伝授が行われた。
将軍秀忠をはじめ、徳川の重臣、諸大名が参列した遷座祭の行列には、猿の面と猿皮の法被を着けた38人の童子と33匹の猿も加わったという。猿は山王の神使である。山王権現の神輿と摩多羅神の神輿が続く。
霊柩は奥院の廟塔に収められ、天海が塔中勧請鎮座深秘式を修した。
山王一実神道の形式で行われた修法の最後は、「三種神器秘印明」というものだった。三種神器といえば、皇位の象徴である三つの宝物、八尺瓊勾玉、八咫鏡、草薙剣のことだが、三種神器秘印明は御璽箱の中に三種の神器を表す梵字と「今此三界 皆是我有」「其中衆生 悉是吾子」と書かれた内箱があり、内箱の中は曼荼羅が収められているという。
これは天皇の三種神器を仏式であらわしたものだという。
なんと、天皇の象徴が家康の御霊に伝授されたのである。
これを天皇や朝廷が知ったら、驚愕するどころの話ではないだろう。「今此三界 皆是我有」「其中衆生 悉是吾子」という釈迦の言葉を解釈すれば、家康は転輪聖王になったと言えるからだ。天皇を超える世界王である。これはとんでもないことである。
ただ、この秘密の儀式の本当の意味を理解していたのは、おそらく天海だけだったのではないだろうか。その場に参列した将軍秀忠をはじめとする人々は、仏教と神道が融合した珍しい葬儀を、その意味を理解することなく見ていただけではなかったのではないか。(三代将軍家光は後に天海から真実を明かされていたかもしれないが)
東照三所権現とは?
東照三所権現とは徳川家康(東照大権現)、山王権現、摩多羅神の三柱の神のことである。現在の東照宮は相殿の神として、織田信長だったり源頼朝だったり豊臣秀吉だったり徳川吉宗だったり徳川慶喜だったりと様々だが、(家康だけを祀っている神社もある)元々は山王権現と摩多羅神を左右に祀っていた。明治の神仏分離令や、淫祀邪教の取り締まりの影響を受けて、これら二柱の神は東照宮から排除されたのである。
山王権現は比叡山の地主神で日吉神社東本宮の主神大山咋神のことだが、摩多羅神とは何だろう。
摩多羅神は天台寺院の常行堂の奥の逗子の中にひっそりと祀られている秘仏で、「後戸の神」などと呼ばれている謎の多い神だ。『渓嵐拾葉集』によると、慈覚大師円仁が唐の留学からの帰国途中に出現したという。しかし、中国に摩多羅神という神はいない。
摩多羅神は障碍の神で、衆生を往生させるのが本誓。人が臨終のときに肝臓を食らうそうだ。肝臓を食べられた者が往生できるという。それで摩多羅神は魔訶迦羅天(大黒天)やダキニ天のことだともいう。道教の泰山府君との習合も見られる。また日吉神社の西本宮の祭神三輪明神(大己貴神)と同一だともいう。
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輪王寺に伝わる摩多羅神の図を見ていただこう。何とも奇妙でどことなく不気味な姿だ。仏教の仏や神の姿でないことは明らかだ。椅子に座って鼓を打っているのが摩多羅神。その口は歌っているのか少し開いている。笹と茗荷を持った二人の童子が鼓に合わせて踊っている。この姿は芸人ではないか。
摩多羅神の頭上には北斗七星がある。摩多羅神は宿神(星の神)であり、舞の翁のことだともいう。
「東方に七仏あって七仏薬師と号す。閻浮提に影を写す。これを北斗七星と名づくるが故に本命星と名づく」『渓嵐拾葉集』
閻浮提とは人間界のこと。
北極星は天皇の本命星だが、衆生の本命星は北斗七星で七仏の薬師如来の化現なのだ。そのため北斗七星は人の一生を司るという。
人は北斗七星の精から生まれて、命が尽きれば宇宙の七星に帰るのだと『帰命壇伝授之事』は記す。この「帰命壇」灌頂の本尊が摩多羅神なのである。
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生まれた年の十二支と対応する北斗七星の星が本命星
実は山王権現も北斗七星に関係がある。比叡山の日吉大社には山王七社、中七社、下七社があり、それぞれが北斗七星と対応している。日吉山王祭の神輿も七基あり、やはり北斗七星を表しているそうだ。『渓嵐拾葉集』に「天に在っては七星の名、地に在っては七社明神と号く」と書かれている。
ここに北極星である東照大権現の左右に北斗七星があるという構図が見えてくるだろう。
先にも書いたように七仏薬師は北斗七星のことだが北極星ともいえる。
延暦寺も寛永寺も本尊は薬師如来である。天台密教では薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主。極東の日本は浄瑠璃世界と考えられていたので、薬師如来は日本に最もふさわしい仏とされていた。天、地、人のすべては薬師如来とその眷属(日光菩薩、月光菩薩、十二神将、三十六禽)に包摂され、真言密教の大日如来のような仏とされていた。
その薬師如来は東照大権現の本地仏なのである。その訳は、家康の両親が三河の鳳来寺の薬師如来に願をかけて産まれたのが家康だからなのだそうだ。薬師如来の申し子というわけだ。
何やらおとぎ話のようだと思ったら、この話は天海が書いた『東照大権現仮名縁起』にある。
「ああ・・・やっぱり天海さんなのね」