シャンバラはどこにある?(1)
前回チベットのピラミッドについて書いたので、今回もチベットの話題で。
「カイラス山周辺でピラミッドを発見か」というニュースが流れた時、これは幻の王国シャンバラと関連があるのではというネットの書き込みがあった。
筆者もシャンバラの単語が頭に浮かんだ。ということで、「シャンバラはどこにある?」について。
ただ、シャンバラというと、どうしてもスピリチュアル・オカルト界隈に話が流れてしまいがち。ブラバツキー夫人の神智学協会やら、地球空洞説やら、果てはナチスにオカルト的影響を与えたハウスホッファーのヴリル協会やらやら……。
そちら方面に話を広げると、もう底なし沼なので、(それはそれで面白いのだが)なるべくその方面の寄り道は避けようと思う。
とはいえ、シャンバラは仏教とは切り離して説明することはできない。シャンバラについて知識のない方のために、最低限の説明をば。
チベットのラマ僧にシャンバラの実在について尋ねれば、きっと「もちろん実在します。心の中にね」と言われるんじゃないかな。筆者はラマ僧には敦煌莫高窟前でチラッと見かけただけで、話したことはないが…。
シャンバラは中国の桃源郷伝説のような隠れた理想郷という。チベット語で「幸福の源に抱かれた」地という意味だ。
シャンバラが文献上に初めて現れたのは、11世紀の初めのインド密教の経典『時輪タントラ(カーラチャクラ・タントラ)』だが、それ以前から理想郷伝説はあっただろう。
『時輪タントラ』によると、インドのダーニヤタカにおいて、シャカの「吉祥最勝本初仏」という教えを聴いたシャンバラの初代王スチャンドラは、国に帰って教えを広めた。そして代々の王もシャカの教えを守り、シャンバラを治めた。
8代目のヤシャスはこの教えを『時輪タントラ』という経典としてまとめた。
ヤシャス以降は、王はカルキと呼ばれた。(カルキ=もとはヒンドゥー教のヴィシュヌ神の10番目の化身。未来仏という)
ヤシャスは、紀元前73年に即位したという。ヤシャスの次のプンダリーカの即位は紀元27年だ。
カルキは全部で25代つづき、最後のラウドラチャクリンは2327年に即位する。つまり、カルキとは未来の宗教上の王で、それぞれの王が100年づつ統治するという。
1代100年は非現実的だが、とりあえずそこは目をつむって、スチャンドラがシャカの説法を聴いたのは紀元前7世紀ごろだろうか。シャカの生没年自体が不明で、紀元前7世紀から前5世紀といろいろな説があるが、二人が出会うチャンスはあっただろうか。
11世紀に成立したという『時輪タントラ』だが、ヤシャスが編纂したとすると、紀元前後ごろのはずだ。この1000年のずれはどういうことだ?
『時輪タントラ』は密教最高峰の複雑で難し~い内容の経典なので、後期密教最後の経典で11世紀頃の成立という説だ。
しかし、『時輪タントラ』の注釈書『ヴィマラプラバー』が、シャンバラ王、カルキ・プンダリーカによって書かれたという。カルキ・プンダリーカ王の治世は紀元1世紀からであるから、やはり『時輪タントラ』は紀元前後から1世紀頃の成立という伝承が正しいのだろうか。(シャンバラ王を実在したと仮定して書いてます)
『時輪タントラ』は歴史書ではないので、そのまま信じることはできない。鵜呑みにしても真実には遠いだろう。
ただ、シャンバラ王が直接執筆に関わったかはべつにしても、『時輪タントラ』がシャンバラと深いつながりがあることは間違いない。
『時輪タントラ』についての研究によると、インドより北の中央アジア地域で成立したらしいことは確かなようだが。
ここで、シャンバラの場所としてどんな説があるか、秋月菜央著『チベットの地底王国 シャンバラの謎』(二見書房)によると、十一の説があるという。
シガツェ━━タシルンポ寺の裏山。多くのチベット人が支持。
地底━━中央アジアのどこか。欧米発祥の説。アガルタと混同している。
カイラス山━━神の住む山といわれ、チベット人の聖地。
ブハラ━━チベット西部。ウズベク共和国の一都市。
カタイ━━モンゴルとウイグル自治区の境。ゴビ砂漠の西の延長上。
チョモランマ━━ヒマラヤ最高峰。チベット語で神の山の意。
スリランカ━━インドの東南にある島。
崑崙山━━中国の仙女、西王母の国。
ベロボディエ━━ロシアの伝説の理想郷<白い湖の国>。中央アジアにあるという。
ダウラギリ━━ネパール側のヒマラヤ最高峰の麓にあるといわれる楽園。
ゴビ砂漠━━ロシアの探検家オッセンドウスキーやレーリッヒは、ここで不思議な体験をした。
随分と範囲が広い。スリランカなんてインド洋だし。どの説も特にこれといった遺構が発見されたとか、シャンバラにまつわる伝説が残っているとかいう場所はないようだ。
やはり、想像上の王国なのだろうか。
崑崙山は崑崙山脈のことと思いがちだが、崑崙山脈は19世紀に名付けられた。一方、西王母の崑崙山の場所は特定できない。中国から見て西方にある山であり、『山海経』巻十三 海内東経によると、崑崙山は西胡の西にあるという。
……で、西胡ってどこ?
つづく