シャンバラはどこにある?(3)
前回のヤルツァンポ大渓谷はちょっとがっかり。でも、そこはシャンバラの境界━━つまり国境であって、シャンバラの中心ではないのだ。ヤルツァンポ大渓谷より先がシャンバラの領域というに過ぎない。
300年くらい前の『シャンバラの道』という書物がある。
「シャンバラはラサの西側の谷にある。その近くにスメル山があり、都市社会ができている」
「シャンバラの反対側には、神聖な湖で囲まれている」
「その湖には神聖な山の影が映る」
「シャンバラは、聖なる山の麓の洞窟にある」
ラサから西に向かってヤルツァンポ川が流れる谷がある。
スメル山とは須弥山のことだろうか。カイラス(カンクリンポチェ)山は仏教の須弥山や阿耨多山に比定されている。
カイラス山の近くにマナサロワル(マパムユンツォ)湖があり、チベットでは聖湖としてあがめられている。
カイラス山の近くにシャンバラがあるということなのだろうか。
ところでチベット地域にはその昔シャンシュン王国という国があったらしい。このシャンシュンは音が似ていることからシャンバラのことではないかという説がある。
伝承によれば3000年前からあるとか、12000年前からあるとか。始まりはともかく643年までは独立した国だったらしい。東のほうからチベット王国にだんだんと侵食され、やがて完全に併合された。
シャンシュンの言語はチベット・ビルマ語に属するというが、よくわかっていない。シャンシュンが滅びてからその国の住人はチベットに同化して、言葉も失われた。
シャンシュン王国の領土は伝承によれば「西はギルギットから東はナムツォ湖。北はコータンから南はムスタンまで」という。ギルギットはパキスタン北部のカラコルム山脈のあたり。ナムツォ湖はラサの北にある。コータンは巨旦、和田(ホータン)。ムスタンはネパールだ。
下図はシャンシュン王国の領土を表す。ピンクの部分だ。
現在のチベット自治区よりもはるかに広い。青海省や、四川省。ネパール、ブータン、インドのカシミール地方、パキスタンの北部、タジキスタン、キルギスの西部、アフガニスタンの一部など。本当にこんな大国があったのだろうか。
ピンクの中に薄い緑の部分があるが、紀元前4世紀ごろのシャンシュン王国の範囲ということだ。「西はギルギットから……」の記述に近い範囲。こちらだと、ヤルツァンポ大渓谷は入っていない。
首都のキュンルン・ンゥルカは銀の宮殿または白銀城という意味で、カイラス山の南西に位置する。キュンルン・ンゥルカは1985年に発掘され、実在が確認された。(下に遺跡の映像があるよ)
これは、『シャンバラの道』に書かれた、聖なる山の近くの都市と思われる。遺跡は洞窟なので、これも合致する。
ボン教の開祖トンパ・シェンラプが生まれたところはタジク・オルモルンリンといい、タジクの王族の出だという。伝説ではゴータマ・ブッダ(シャカ)より1万2千年前に生まれたとか。(氷期が終わったころか~(笑))
トンパ・シェンラプはタジクからカイラス山のふもとに近いシャンシュン王国にたどり着き、教えを広めた。ボン教もカイラス山を聖山としている。
現在のボン教のチベット語の経典は、もともとはシャンシュン語で書かれていたのを翻訳したものだという。シャンシュン語は失われた言語で詳しいことはわかっていないそうだ。
『隋書』に出てくる女国とは、シャンシュン王国のことだという。
女国は葱嶺(パミール高原)の南にあり、その国代々女をもって王と為す。
政治は女が行い、男は軍事面だけ。城は山上にあり、九層の楼閣がある。5日に1回朝政をおこなった。女王のほかに小女王という補佐がいた。
男より女のほうが地位が高いという。
男女とも顔面に彩色をほどこし、生業は狩猟で、鉱石、朱砂、麝香、牛、馬、岩塩を産し、インドと交易をしていた。
隋の開皇六年[586]に、朝貢したが以後途絶えた。
女王国のことはインドの文献にもあり、カシミールの王が、ストリーラージャ(女王国)に攻め込んだが、女王と女軍はこれを色仕掛けで撃退した。(いつ頃の話か不明)
また『山海経』に「弱水に二源あり。ともに女国の北、阿耨多山より出ず。南流して女国に合す」とある。阿耨多山とはカイラス山のことだ。
さて、このシャンシュンがシャンバラのことなのだろうか。もしそうならチベット人が「シャンバラはある。でも、目には見えない」という意味が分かる気がする。何しろ、チベット(吐蕃王国)にのみ込まれ、すっかり同化してしまったのだから。つまり、チベットがそもそもシャンバラ(シャンシュン)なのだから。
こちらでキュンルン・ンゥルカの遺跡の映像が見れます。↓
1988年にチューギェル・ナムカイ ・ノルブ・リンポチェが弟子70名とともに、巡礼した時の映像だそうだ。
最初にカイラス山が映り、その後川を渡るシーンがあって、映像の後半に遺跡が出てくる。
この映像を見ると、宮殿といっても山肌をくりぬいて作られた岩窟宮殿て感じだね。内部にはたくさんの壺やら経文らしきものが散乱しているし、本当にどこまで考古調査がされているのだろうか。
もっと西にあるグゲ遺跡と比べると、全然知られていないし。(グーグルマップで、位置を探そうとしたがダメだった)
ただ、この映像も古いものなので、今はもう少し研究が進んでいるのかもしれないが。
映像で感じるのは、まったく不毛の土地に見えることで、本当にここに王国があったのだろうか。それとも昔は今ほど乾燥化が進んでいなかったのかもしれない。チベット高原は大昔は大きな湖だったらしいから、この辺りも水が豊富で緑があふれていたのかもしれないね。
参考資料
謎のチベット文明 徐朝龍・霍巍 PHP研究所
チベットの地底王国 シャンバラの謎 秋月菜央 二見書房
理想郷シャンバラ 田中真知 学研
驚異の地底王国シャンバラ 高橋良典監修・日本探検協会 廣済堂
古代チベット文明の謎 立石巌 大陸書房