「塩すっぱい」に関する考察
テレビを付けると、若い女子アナウンサーが近頃新しくできたラーメン屋で醤油ラーメンを食べていた。
感想は「美味しいですね〜」というのは当たり前で、その他には「懐かしいのに新しい」だの「斬新」だのよくわからないことを言っていた。
別に私はアナウンサーでも無ければグルメブロガーでもないので、料理の味に対して精緻な感想を述べる必要は無い。特に一人で食べる場合には美味ければまた訪れればよいし、不味ければ次には行かなければよいだけである。
実際、本当に美味しいものを食べた時の感想というものはありきたりではあるが、「美味い」で十分である。詩的な表現は、あくまで食べ終わったあとに、その時の感覚を思い出しながら、情景を再現するという事後的な行為であって、それを実際に食事をしている場で披露するような奴は、本当には味わっていないのである。
しかし、私も他人が作った料理を食べる機会というものは少なくない。
今回話題にしたいことは、「酸っぱくてしょっぱい」である。
酸っぱくてしょっぱい料理はたくさんあるだろう。例えば中華料理の酸辣湯。これは味付けに酢や唐辛子、胡椒をふんだんに使用しているため、完成品は酸味の奥からしょっぱさや辛さがやって来る。正確に言えば「酸っぱくてしょっぱくて辛い」。
他には我々日本人にとって欠かせない梅干し。これはまさに酸っぱくてしょっぱいモノの代表、それ以上に元祖であるかもしれない。
その気になって探せば「酸っぱくてしょっぱい」食べ物はそこかしこにあり、そのような料理を食べた時に、もし感想を求められれば、多くの人は酸っぱくてしょっぱいと言う他はないだろう。
しかし、「酸っぱくてしょっぱい」という表現は、実にぎこちないとは思わないだろうか。
照り焼きソースを舐めた時、どんな味がするかと聞かれれば、多くの人は「あまじょっぱい」と答えるはずだ。なぜなら砂糖と醤油(その他にはみりんなど)が合わさったものが照り焼きソースであり、甘くてしょっぱい味付けになるためである。甘くてしょっぱいから、略してあまじょっぱい」。とても言いやすい。
世の中にはやや酸味が強いコーヒーかある。これは鮮度が落ちたことや劣化したことが原因となる場合もあるが、エチオピア産やタンザニア産のコーヒーには元から酸味が強いものがある。それらは酸味があることから、「フルーティー」と表現することもあるらしい。これらのコーヒーはコーヒーであるため苦味があり、そこに産地独特の酸味が加わる。その味を表現すると、「苦くてすっぱい」、転じて「苦酸っぱい」になるだろう。
これまで例に挙げたよう、二種類の味覚を持つ料理や飲料に対して、あまじょっぱいや苦酸っぱいという表現がある。しかし、「しょっぱくて酸っぱい」という概念に対してそのような小慣れた表現が無いことは問題ではないか。いちいち「酸っぱくてしょっぱい」という回りくどい表現をするのは、なんだか情けないような気がする。
「見える化」とか「ヒヤリハット」だの言ってる場合ではない。そんな言葉、日常でいつ使うのか。もっと生み出すべき言葉がある筈だ。
「しょっぱくて酸っぱい」。これを端的に表す表現を考えてみた。
・しょっぱ酸っぱい
・酸っぱしょっぱい
・から酸っぱい
・しょ酸っぱい
・塩酸っぱい
考えられるとしたらこんなところだろう。だが上2つに関しては、言葉を知らない幼児が使いそうなイメージがある。無理矢理二つの言葉を結びつけたような強引さがある。
では「から酸っぱい」はどうか。たしかにしょっぱいことを辛いと言い表すことはあるが、料理専門家ではない我々一般大衆は「からい」と聞くと、やはり唐辛子的なホットな辛さを連想するため、あまり適切では無いと感じる。
「しょ酸っぱい」は論外だ。そのように消去法的に考えていくと、唯一残った「塩酸っぱい」が一番答えに近い。そもそもしょっぱいの「しょ」は「塩」である。「塩っぱい」から「しょっぱい」であるため、元に戻して「しお」と言い表すことに問題はない筈だ。
「塩酸っぱい」。「しょっぱくて酸っぱい」よりはかなり小慣れている表現ではないだろうか。
しかし、この表現が一般的になるかと言われたら、そうはならないと思う。「塩酸っぱい」って言葉を聞いて、もしくは見て食欲がそそられるだろうか。私の個人的なイメージでは「塩酸っぱい」は字面のせいで、色んなものを溶かしていそうだ。
最後に残った一つもダメであった。やはり、我々は「酸っぱくてしょっぱい」などというダサい表現を使い続けるしかないのだろう。
ここまで話を書いてきて、少し疲れてきた。そういえば冷蔵庫に昨日買った、梅干しがあったな。一粒食べておこう。
うめぇ。
えんど。