現代思想(主にニューアカ)の数学的なおかしさについて その1 柄谷行人の「ゲーデル理論」
1980年代初期に発表された柄谷行人氏の『内省と遡行』、『隠喩としての建築』、『柄谷行人対話篇1 1970-83 』、『柄谷行人蓮實重彦全対話』を読んだ感想。
柄谷行人の本は、浅田彰氏や中沢新一氏に代表されるニューアカに大きな影響を与えた。
数学基礎論(数理論理学)とフランス&ドイツ流行思想をミックスした内容で、ラッセルの自己言及パラドックスがテーマになっている。
ラッセルの自己言及パラドックスは、ゲーデルの不完全性定理のアイデアの元になっている。
注意すべきなのは、不完全性定理は算術の定理であり、パラドックスではない。
(不完全性定理はラッセルの自己言及パラドックスにアイデアを借りているけれど、不動点の有無によってパラドックスを免れている。)
しかし柄谷行人の本にはラッセルの自己言及パラドックスと不完全性定理との関係についての深刻な誤解がある
柄谷氏の本を読むと、不完全性定理をパラドックス、あるいは「ラッセルの自己言及パラドックスは必然であることの証明」のように書いてあるように読める。
しかしラッセルの自己言及パラドックスは公理的集合論でも防げる。
ZF公理的集合論は、その目的で作られて成功している例。
また「タルスキの真理の定義定理」やラッセルの型理論でも防げる。
注: 「タルスキの真理の定義定理は古典二値論理でしか効果がない」というのが、クリプキのタルスキ批判(1975年))。
しかし普通の数学を表現するには古典二値論理で足りる。
不完全性定理は算術の定理なので、文学とは無縁である。
柄谷氏は文学を厳密化すれば数学になると信じているみたいだけど、それは妄想である。
小説を厳密化しても全て数学になるわけではない。
しかしコンピュータの発展によって、AIによって小説を書くことはできるだろう。
不完全性定理は数学全般に該当する定理ではなく、「自然数の足し算と掛け算ができて無矛盾な公理体系」にのみ該当する定理である。
だから自然数の掛け算ができないプレスバーガー算術には該当しない。
ちなみにユークリッド幾何学にも該当しない
(理由を説明するのは難しい、実閉体が完全だから・・・なのだけれど)。
不完全性定理は数学の全てに通じる定理ではないし、文学や私達の日常使っている言語には該当しない場合が多い。
だから柄谷行人の言う「ゲーデル問題」は深刻な問題ではない。
追記
柄谷行人は、トポロジーについても深刻な勘違いをしている。
トポロジーはフランスの精神科医ジャック・ラカンが多用する比喩でもあるので、現代フランス思想ではあるあるネタな気がする。
参考
『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』 (岩波現代文庫)
アラン・ソーカル&ジャン・ブリクモン
『ラッセルのパラドクス 世界を読み換える哲学』(岩波新書)
三浦俊彦
『論理学』(東京大学出版会)
野矢茂樹