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【祝】大学合格💮
また野球から離れてしまいますが、自分の進路が決まりました。公募推薦での不合格を経て一般入試という形でしたがなんとか大学に合格することができました!今回のnoteではこの1年間どんな感じだったか、いわば合格体験記みたいなものになります!今年受験生だよ!という方も見ていただけると幸いです。
やっと終わった…
2月6日、合格の2文字を見た時正直に「やっと終わった」という感情でした。。ほんとに長かった。合格までの道のりは自分の想像してたよりも何倍もキツかったです。自分は3年生になるまで受験勉強というものを一切していませんでした。一切していないということは基礎知識がなにもない状態。それは勉強だけでなく志望校に関する入試制度や過去問なども一切調べたりしていませんでした。いやよく合格できたな……
①始まり
何の勉強をしていいかわからない
自分は小学生の時からこんな感じの生徒。出された課題はやるけどやらされている、自分からすすんで予習や復習は全くやらないタイプ。そのせいで「受験勉強って言っても何の勉強をすればいいかわからない…」ここからが僕の受験のスタート地点でした。そのおかげで自分は部活などもやっていないのに他人よりかなり遅れをとって本格的な受験勉強は始まったんじゃないかと思います。
文系?理系?
話は高校1年生に戻る。1年生の最後にあるイベントといえば「文理選択」。今までなにも考えて勉強しなかった自分だけど、文理選択はなにも迷うことはなかった。高校に入学した時から、文系一択。中学の時から、社会系の科目が好きで特に中学時代は幼少期から好きな鉄道の影響もあり地理がめちゃ好きで得意な人。この時点でなんとなく社会学部がある大学に行きたい…!と考えていました。
転機到来…?
2年生、受験なんて何それ?的な感覚で野球観戦ばっか行ってました。(おい) いやぁ甲子園で勝ったのは爽快だったなぁ、、大学生になったら遠征しまくるぞ!!(まだ志望校すら決めてないし勉強すら全然してない)なんて浅はかな考えなまま、2年生が通り過ぎ勝負の3年生になりました。ちなみに2年生の秋からnoteを書き始めましたね。
3年生、仲のいい友達はみんな別のクラスになりぼっち生活スタート。そして転機が訪れます。その転機というのは「日本史」との出会い。今こうして振り返ってみたら、意外とここが転機なのかも…って思いました。先ほど述べた通り、社会系の科目は好きだったものの「歴史」はあんまり好きではなく実際模試でもいい点数を取れなかった記憶。
高校になってから歴史は「日本史」と名前を変え、より詳しく学ぶようになりました。2年生から日本史はあったものの定期テストの最高点は73点。苦手ではないが得意とは大声で言えない点数。言い換えれば中途半端で見栄えのない点数。それが3年生になって変わりました。
日本史の先生が変わった
これです。その先生は2年生の時にも日本史を教えていたが、自分のクラスは担任の先生が教科担当でした。囲みに友達がその先生に日本史を教えてもらっていて、「毎授業小テストやる」「定期テストが鬼むずい」とマイナスなことしか聞いていなかったので今年の日本史の先生がこの先生っていう事実を知ると軽く絶望しました。しかし、一回授業を受けてみるとめちゃわかりやすいし教科書に載っていないようなことも知っていてめちゃくちゃすごい先生だ!と気づきました。それを境に自分の進路も変わりました。
社会学部から歴史文化学部へ
夏、どこの大学にオープンキャンパスに行くか、どこの大学を受けるか迷っていたとき
歴史文化学部というのを見つけた。これだ……!!と自分の中でビビッと来た。この時の僕はそこまで得意じゃなかった日本史がめっちゃ好きになって定期テストでクラス1位まで獲っちゃってた。「もっと日本史を学びたい」と志望学部を夏にシフトチェンジ。
②受験校確定
英語と日本史の勉強しかやらなかった夏休みも終わり、担任と相談しいよいよ受験校確定。最初は受けるつもりのなかった公募制推薦での受験。2校を受験するという選択で1校は記念受験に等しかった。高校入学した当時志望していた某大学は偏差値はとても高く自分の学力では合格可能性が極めて低い。実際過去問も合格点に一度も届かず受験の日。当日のテストはめちゃくちゃ難しかった。(特に英語)結果は当然の如く不合格。
いざ本命の大学。
1校目の受験が終わると即座に本命の大学の対策スタート。国語はなんとかできるが英語がやばいという絵に描いたような展開。ただ1校目と違うのは、受験日が2日間あるということ。要するに2日間受験。2日間もあれば合格できる!という感触。当日の試験も順調にこなして自信あり。入試当日の裏側に関してはまた次のnoteで!
しかし、結果は合格最低点より20点も下回り不合格。大学受験の厳しさを実感した瞬間。ただまだ「一般入試がある!」と切り替えるしかなかった。
③日本史猛勉強
不合格とわかった次の日から日本史の猛勉強スタート。公募推薦では国語と英語のみだったので日本史を使うことはなかった。自分の弱点は明確だったので、教科書の最初から自分なりにノートでまとめるというのをスタート。これがめちゃくちゃ効果あった。
自分の知らないことがどんどん頭に入ってきて、過去問の点数爆上がり。いろんな大学の過去問をやっても受験直前の1月には安定して70点以上が取れるようになった。
ちなみに過去問やるにはこれが一番おすすめです!これから受験って方には是非!
ノートでまとめる&一問一答&過去問やるの組み合わせで直前まで勉強していたらめちゃ自信つきました。
④どこ受ける?
勉強していく中でどこ受けるというのも喫緊の問題。自分の中では仲のいい友達が行ったとこにしようと考えた。調べてみると経済学部にかなり興味をそそられ、過去問の相性、家からの距離も含めてこの大学を受けようと決めた。さすがに一個だけじゃ不安で心もとなさすぎるのでもう一個は公募推薦で落ちた大学を受けると落ちた瞬間から自分の中で決めていました。
経済学部に興味をそそられた大学は、2日間受けることにしましたが、実は行ったことないんです。そう、一度も行ったことない大学を受けるという結構冒険した行為。試験前にある程度下見に行ったぐらいでオープンキャンパスには行ったことないんです。
公募推薦で落ちた大学は文系の3科目で勝負する3科目型と日本史重視型というまさに僕のためにあるような神制度。ただ経済学部にそそられた大学と受験日が近く、自分の集中力と体力を考え、3科目型は2日間受験するという選択をしませんでした。
試験後…
全ての試験後、自分は肩の荷が降りた感じが凄くしましたが、日本史重視型は全く手応えがなかったです。これやばいぞという気持ちでした。
⑤合格発表
合格発表日は、2月6日と17日。6日は朝からめちゃくちゃ緊張していました。そして10時、UCAROで合否確認…
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合格していました!この瞬間は頑張ってよかったととにかく安堵感でいっぱい。それにしても人間、次の進路が決まっていると、こんなに安心するんだと実感。形はどうであれ大学生になれるというのがめちゃくちゃ嬉しい。自分1人だけでは絶対にここまで辿りつけなかったので先生たちに感謝しかないです。。
そしてこの記事を書いてる今日2月17日、第一志望の合格発表でした。結果は3点足らず不合格。あと1問…合っていたら合格が濃厚だったと考えると正直めっちゃ悔しい。
でも、全力を出しての不合格だったので、最後は縁がなかったのかなと割り切るしかできないですね…
⑥最後に
長かったnoteもいよいよ最後。正直この1年間は凄く苦しかった。野球観戦を自粛して勉強するって野球オタクの自分にとってはこんなにきついことなのかと実感。
受験勉強をしている上で、苦しいことや辛いことは何度もありました。でも自分の受験を応援してくれる両親や学校の先生や友達、Instagramを通じて出会った大切な友達がいたからこそやり遂げることができたと思います。この場を借りて言わせてください。
応援してくれてありがとうございました。
これから受験を迎える人たちへ。必ず辛いことやわからないことがあったりすると思います。こんなサボり癖のある自分でも合格できたのでみんなも絶対合格できます!
自分も大学で未来への扉をこじ開け前だけを見据え新たなステージへと向かっていきます。早いもので大学生になりますが、僕と仲良くしてくれてる人たち、これからも末長くよろしくお願いします。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。拙い記事でしたがいいなと思ったらスキしてください!これにて僕の受験は終わりです!それではまた次の記事でお会いしましょう👋