散れ
3年ほど前、表紙とタイトルに一目惚れして買った文庫本。京極夏彦の「ヒトごろし」。舞台は幕末。主人公は土方歳三。
この本のどこが印象的って、独特の、殺伐とした雰囲気。
からりとしていて、触れたら切れてしまいそうな空気を纏った土方。
彼は、時代の動きも近藤を含めた周りの人間も、すべてを冷静に見透かしていて。冷たく、淡々と、目の前を見ている。
けれど、血の流れる場面は艶かしいほどに鮮やか。朱に染まる人も、噴き上がる血も、色鮮やかで美しい。それは、土方の目には、それほどに美しく映っているのだ、ということ。
殺伐としているけれど、そこには美しさが、「ヒトごろし」である土方の美学がある。だからこそ、鮮やかな赤も、痛みも、美しいものに変わっていくのでしょう。
桜の散る場面も、この物語の中では無常の美しさなどなくて。
咲いたら散らしてやる、だったか…。
どうせ散る花が、はらはらと。生き恥を晒すようなものだ、と言いたいのか。
俺が散らす、そのために咲け、と。
殺伐としていて、暴力的ですらあるのに、美しい。
冷たい目線と、彼の纏うひりついた空気。
腹の底にある、殺伐とした美しさを求める熱。
その温度差。
それが、どうしようもないほどに魅力的で。
抗う人間ほど、美しく散る。散らされる。
何かを悟った人間は、泥臭く生きることになる。
「死にたい」と言う人間を殺すなんて、美しくない。
熱がこもっているのに、鋼のように冷たい。
その切っ先に捉えられたら、最期。
…この人なら、美しく散らしてくれるのでしょうか。