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生けるものすべてシュレディンガーの猫
変なタイトルですが、解題は後ほど。
「がん告知」*を受けてほぼ一週間が経過したが、気にしていないはずなのに段々病人じみた気分になってきたのが可笑しい。「言霊効果」というやつか?だいたいがんという病態は初期には自覚症状がなく、不調を自覚したときには相当ステージが上がっている、というケースが多いらしい。
私も医師に「自覚症状ないでしょう」と言われた。実際は軽微ながら不快感があって、だから健康診断書の「一年以内に内視鏡」という指示に従ったわけだが、不快感は併発の胃炎と胃潰瘍のせいで、自分の段階では検診以外に見つかるケースは少ないという。
私には20代から、胃もたれとかみぞおちのつかえとか、消化器一般の不調が周期的にあったのだが、これまでの検診では異常が見つからなかったため、「また来た」で済ませていた。正直言って現在の不調は今までの中では軽微なほうで、むしろ食欲が増すという妙な効果もある。食後気分が悪くなるので、無意識に量をセーブ、味付けも薄いものしか、という癖がついていたのだが、「禁欲してても悪い結果が出る時は出る」と思ったら、妙にこれまで避けていた脂肪分の多いものや刺激の強いものに手を出したくなった(麻婆豆腐はさすがにまずいかなあ…)。
それはさておき。ヒトに限らず生物が「病気」になるとき、「健康」との境目は何処で決まるのだろう?組織の破壊度がどこまで進めば「病気」と診断されるのか?同じように「生」と「死」の境は?例えば病院では、脳波とか心臓の鼓動とか、個体外の機器で測れる信号が出なくなった時に「死」と判断される。が、その瞬間の個体にはまだ機能している細胞がある(髪や爪は「死後」にもしばらく伸びる、とか)。身体の細胞がすべて機能しなくなれば「死」と言えるにしても、健康な個体の中にも死んだ細胞は幾らもある。とすれば、「生物」の存在は生と死のハイブリッドであると言えなくもない。
(リルケの「マルテの手記」に、妊婦が死を胎内で育んでいる、といった節があった。こういう詩的な表現ができるのはリルケだから、なのでしょうね。自分流に言えば、「次世代に「生」を受け渡す行為といわれる生殖は、裏返せば「死(すべき運命)」の受け渡しである」)。
で、「シュレディンガーの猫」。これは量子力学の初期の功績者の一人シュレディンガーによる思考実験で、「量子が特定の場所に存在するかどうかは、ニュートン力学の法則で決定できない、「ここに量子がある」という力学上の予測は観測で確かめられるまでは確率的なものに過ぎない、という解釈への反論として使われた。(ここで私が「量子力学」を理解しているなどと買いかぶられては困る。高2で物理8点の実績?をナメるな、である。実際、幾つか解説書は読んだが、数式が出た時点でお手上げである**)。
箱の中に猫を入れ、その中のある装置に猫が触れると致死性のガスが出て猫は死ぬ。猫の生死は箱を開けるまで分からない。「量子の確率論」を支持する立場で言えば、「箱を開けるまで猫の生死が不明である以上、箱を開ける(観測する)まで猫の状態は「生死がともに確率50%」の状態にとどまる、というであろうが、実際は猫の生死は観測しなくても定まっているではないか、というのがその主旨である。
私はこのくだりをある解説書で読んだとき、「細胞のレベルで言えば、個体の生と死の間には無限の段階があるのだから、必ずしも二分法では割り切れない。猫が「死んだ」としても、いつ装置に触れたかによって「死」の段階は異なるのではないか。この解釈なら、「箱の中の生と死の重ね合わせ」という確率論者の主張も理解できなくはない、と妙に納得してしまった。
この地球が箱で、我々が猫、病気とか事故と言う「死因」が致死装置として、我々は皆「重ね合わせ」状態にある、と考えると、何だか楽しくなります。「吾輩は猫である」の語り手は餅にからまってもがくのを、飼主の娘に「踊っている」と評されるが、「生死の間を目まぐるしく行き来する細胞たち」の踊りが「生物」の活動と呼ばれるものなのだろうな、と。
*前回の記事「きのふけふとは」参照。風邪で近所の内科に行ったついでに職場の健診で勧められた胃の内視鏡検査を受けてみたら、初期のがん異変らしきものが発見された。結果はクロで、どうもタチの悪いタイプのようだ。
**先日元素周期表の解説を読み直してみて、各元素の電子軌道の電子の配置の規則に恐れをなした(高校でこれ習ったっけ?)。配置については表を見れば分かるが、覚えられる自信はない。ナニコレ?何年やっても覚えられないラテン語の格変化表(高校大学で4年続けたが、これがないと一行も読めない)?そういえば、元素の名前が「um」で終わるの、ラテン語の中性名詞ですね。動植物の学名のラテン語は、原語に従うから男性名詞も女性名詞もあるけど、新語は中性名詞に放り込むってこと?(ちなみに、男性名詞と女性名詞しかない仏語では、新語や外来語は明らかに女性に関係する語でなければ一律に男性名詞)。何も変化しない状態では中性で、陽イオンになると語尾が男性の「us」、陰イオンになると女性の「a」になったりすると分かりやすいように思うけど?