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多忙療法?

「がん告知」から1か月、とにかく忙しい。入院の前に、前倒しできる仕事は前倒し、お付き合いして下さる同僚には頭を下げまくり、合間には年末大掃除をやや端折りつつも何とか片付け、という具合で、普段の1.5倍のペースで動いている。いきおい食事や睡眠は不規則になり、胃の不快感が消えない。痛み、胸やけ、吐き気。どれも激しくはないがその全部が入り混じったような嫌な気分。が、これくらいの症状はないと病気休暇をとるにも気が引けるだろうな、と変に安心したりもしている。
(昔よく、「「上司にタイプミスを叱られた」といったことにはいつまでもくよくよと落ち込むくせに、人生の一大事には平気な顔をしている」と言われたが、「一大事」のときというのは次から次へやらねばならないことが舞い込んできて悩むヒマがないのである…)

病院関係のほうは、個人クリニックから急転直下で市の医療センターへ移ったが、週に1回の通院で2、3種ずつの検査がある程度で、入院手術にはあと10日くらいかかりそうである。クリニックの医師は「とにかく早く」と急かしたが、案外ゆっくりしたペースで事が進んでいるところを見ると、がん細胞君の分裂速度は思ったほど速くはないらしい。

とはいえ、センターへの紹介状が内科を経ずにいきなり外科、で担当医と顔合わせたとたんに「ステージⅠの後半、いやⅡに入ってるかな。いずれにせよ出口を含めて3分の2は取ります。リンパ腺も取っときましょう。」とこともなげに宣われたには驚いた。まあ胃がんなんてものは、当節ありふれた病気で、治療方法もある程度確定しているのだから、向こうにすれば毎日のようにやっている作業である。こちらはただ進行の程度に合わせてお任せする以外にない。苦痛が耐えがたいとか、余命宣告されたとかいう事態にはまだなっていないし、多分5年生存率は60%くらいはあるだろう(と勝手に考えている)。

この医療センターには、「がん告知」を受けた患者のためのカウンセリングコーナーも設けられている。私も一応カウンセラーと面会したが、「なぜ自分がこんな目に」といった悩みはありませんか、といった問に関してどう答えたらいいか分からない。「職場で病休の申請相談をする際にまず誰から」といったまるで20代の若者がするような質問でお茶を濁した。

「お悩みのことは何でも」と言って頂いても、まさかこういうことは言えない。「老母は私ががんと聞くとあれこれ勝手な思惑で動き出してセカンドオピニオンだの怪しげな民間療法だのを持ち出して治療を遅らせるだろう。適当な病名でごまかしているが、それはそれで(恐るべき老女口コミネットワーク!)、あの病院なら何先生がいいの、同じ手術をあの人も受けたが退院後の食事制限はなかったのと、色々突っ込まれて困っている」とは。

産み育ててくれた親に文句を言うのは申し訳ないが、昭和1ケタ世代で、数10年間専業主婦で過ごしてきた彼女は、自分の人生が持てず、家族の人生をコントロールすることが自分の役割と信じている。不運なことに、彼女の夫(私の父)も、我々子供たちも、私の子供たち(彼女の孫)も、おおむね手はかからず、家族の結束より個の世界の充実を重んじるタイプである。で、彼女はいつも退屈で、何か彼女がキーパーソンになれる「家族のイベント」を探し求めている。

情けないですよ。自分が既に孫がいておかしくない年になって、(一応)病中の第1の悩みが親、しかも介護でなくて、「過干渉」だというのは。確かに今私が死んでも、老母以外に困る人間はいない。彼女としては、やはり死ぬまで面倒を見てもらえる存在が欲しい(ただ、内向きとはいえそのエネルギーを見ると、「もしかしてこの世代でまだ生き残っている人々は永遠に生きるのではないか」と恐ろしくなる)。その私が病気だといえば、「では自分が」と前に出たくなるのは分からないでもない。が、こちらから見ればそれは「邪魔」でしかない。

同僚も子供たちも、私が死んで1週間くらいは困るであろうが、それは事務手続きの問題である。突然降りかかった迷惑な事態に腹を立てるにしても、職場の役割分担なり相続なりが済めば、何事もなかったように日常生活を続けるであろう。これはこれで寂しくないこともないが、自分が彼らの立場になってみれば同じようにする。


ところで、私は今回生まれて初めて「外科」の医師と会話した。だいたい同年配の男性であったが、やたらにテンションの高い御仁である。内視鏡検査の際にも同席してくれたようだ(と視界の隅で見た)が、検査の医師(若い小柄な女性)との指導のやりとりも高調子な感じがする。単純に陽気、というのでも、福祉関係の施設で時に感じる「とってつけたような明るさ」でもない。例えてみれば、弦楽器の2重奏を聴いていて、音程が予想より1オクターヴ高い、といったところ。このテンションの高さが「外科」(内臓系)の特徴なのか?

私は今まであまり多彩な病気にはかかってこなかったので、病院の全部の科については言えないが、経験則で「●科」ごとに患者対応に違いはあるな、と感じた。内科の医師はおおむね穏やかで慎重、「インフルエンザキットで陽性」といった明らかな検査結果を見るまで軽症でも明確な病名を告げない。患者の質問は、「疑いのレベルではそういうことも。今はまず○○の症状があるから××の薬を」ではぐらかす。怪我を扱う整形外科は緊急が多いせいか、無駄口を利かずテキパキ動く。患者の質問は聞いていないし、痛みに同情的な対応はしない。第1患者も(自分の場合は肩の骨折で駆け込んだが)、痛みでろくに口がきけない。

案外なのは、小児科にオラオラ系が多いことである。親にも子にもはっきりきっぱりした態度で接する。予防接種は下手になだめて泣かれるより有無を言わさず抑えて素早く、というところ。長期の付き合いになればまた変わるかもしれないが、いかにも優しくて子供大好きそう、に見せるとかえってわがままが出るから意識的に威圧的にしているのかもしれない。

3年前に同じ市の医療センターで副鼻腔炎(昔風に言えば蓄膿症)の手術をしたが、自宅近辺のクリニック→入院時の担当医→退院後のアフターケア、と3人のリレーでお世話になったのは、いずれも女性。しかも若く(多分30代初め)、メタルフレームのメガネにセミロングで美人であった。患者への態度はもの柔らかく丁寧。美人の医学生が耳鼻科を好む傾向があるわけでもないだろうが、結婚・出産というライフサイクルを考えれば、夜中に呼び出される心配のない科のほうが選ばれやすいのかも。


さて、吐き気と止まらない涎をこらえて(百年の恋も冷める姿である)、内視鏡検査を終えた後、有休の午後の常、映画鑑賞である。山田風太郎のダイジェスト版を映像化した「八犬伝」はどうしても見たかった。作者の馬琴の「実」生活と「虚」である八犬伝の世界が時系列で交互に展開していくこの作品はもちろん愛読している。映画でもそれを踏襲しているが、「実」の世界が奥深く描かれていて素晴らしかった(以下多少ネタバレ)。馬琴と葛飾北斎の芸術談議を中心に馬琴の家族関係や他の「芸術家」との交流が絡む。初老の頑固オヤジの馬琴が「八犬伝」を書き進むに従い、老いさらばえてなお創作意欲だけで身を支える鬼に化していく姿、またそれをからかっているように見せてひそかにバックアップする北斎の融通無碍、それを演じきった役所広司と内野聖陽に拍手!(この配役、逆にしても効果的だったかも、と思う。別ヴァージョンでだれかやってくれないかなあ…)

「虚」のほうは、「実」との乖離を強調してRGP的アニメにしてもよいように思う。アクション部分はどのみちCGでないと描けないし。またダイジェストが強引で、個々のエピソードの登場人物が違ったりする。時間の制約(全体をつないで1時間強)のため、と考えれば納得はできるけれど。キャスティングも「八犬士」はそれぞれの特色をよくつかんでいる(「犬坂毛野」はやはり板垣李光人以外にはありませんよね!)が、伏姫の土屋太鳳はちょっと健康的過ぎ。むしろ浜路にしたほうが。原作では一見可愛らしいがどうしようもない悪女の船虫も、ただの腹黒いオバサンになっている。ストーリー展開の上でたいして意味があるようにも見えないので、この役は消去してもよいように思った。


また意味のない写真薔薇園

などと考えつつ帰宅。PCを開いてみたら、案の定、進行中の案件に関して、「こういう資料が入った」という連絡がある。休日前だし週明けでも、と留保はつけてあったが、こういうのはやはりひととおり見ておかないと、で結局夜中まで断続的に質疑応答が続く羽目になった。同僚諸氏を疲れさせてしまって申し訳ない、とは感じているが、こちらは「多忙は悩みの良薬」で実にスッキリと眠りにつけた。めでたし。

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