石上で鳴く閑古鳥
〜現在〜
私は生まれつき目が見えない。
瞼を開けても一粒の光すら見通せない完全なる暗闇。
閉ざされた視覚を補うかのように残りの四感は常人以上に敏感だった。お前は目の見えない役立たずだ。大人たちからの迫害が皮膚だけでなく心にも深く突き刺さるように痛めつけられる。
いつも四方八方を硬い石造りでできた部屋に折檻されて片隅にある硬いマットレスの敷かれたベッドの上で体育座りをしている。
朝昼晩にドアの隙間から食器と共に食事が提供される以外は外部との接触はほとんどなかった、外の世界なんていつ出たのか全然覚えていない。
格子窓から差し込む日の明かりが唯一の時間を明確に判断できる光源だった。日に当たり、日光が弱まり、月明かりに変わることには眠りにつく。
だが、そんな辛い日常は脆い壁に振り子についた鉄球をぶつけるかのように容易く崩れ去った。
怖がらなくていい、大丈夫。
生まれて初めて差し伸ばされた手は温かく、昏きに沈む眼に差す陽光のようにも感じられた。
ー。
久しぶりに外に出てみて違和感はすぐにわかった。街の中にいるはずなのに外側の世界は私の息遣いと彼女が立てる衣擦れや靴音、風が起こす空気の流れ、照りつける日差しなどと言った自然物以外何もなかった。まだ意地悪な大人たちがいたはずなのに、この人以外の匂いが全くしない。
「他の人たちは?」
「ん〜、そうだね。違う場所へ移住したみたいだね」
〜十数時間前〜
荒れ果てた岩だらけの荒野、乾いた風に背中を押されたダンブルウィードが転がっていく。
風塵防止用に全身に纏ったダボダボの服にフードがわりの布で頭部を覆っている。
周辺の国々を回っていたのだが、どうやらどこの国にも属さない緩衝地帯に入ってしまったようだ。
周囲を見渡しても建物すら見当たらない。
「さて困ったものだね」
私は右手を顎に当ててどうしようか考え込んだ。
周囲を探してみると、考古学者らしい初老の男たちが岩を椅子代わりにして座っているのが目に飛び込んだ。
照りつける日差しにうんざりしながらタオルで額の汗をぬぐい、脱水対策で水分補給を怠らない。
「こんにちは、皆さん」
「ああ、こんにちは珍しいなこんなところに旅人なんて」
「少し迷子です」
「迷子ね、まあこんな荒野だらけの土地を歩いてたら誰だって迷子にはなるわな」
「どこか町はありませんかね?食料とかがそこをつきそうでして」
「そうだな」
「ええっと、町はあるハズだけど、紹介していいものか」
何やらうんうんと唸りながら仲間内で話し合っている。
「何かあったのですか?」
「そうだな、ここから北東に向かうと帰らずの街ってとこがあるんだ。」
あまり言いたくないと言いたげな風体だった。
「帰らずの街?」
「そうだな、旅人たちがそこに行ったきり帰ってこないんだと、まあ風の噂で聞いた眉唾物だがな」
帰らずの街、旅糸が帰ってこない。何だロマンがあるじゃないか。
心の中でうずうずと鎌首擡げようとしている好奇心が土の中から芽生える。
「そうなんですね、俄然興味が湧いてきました」
興奮気味でそう話す私に奇妙なものでも見るような視線を向ける。
「て、まさか、あんたそこにいく気じゃ…」
「そうですよ?だからこそ確かにいくのです、帰らずの秘密を」
「はぁ、あんたも変わり者だな、そんじゃ気をつけてな」
「はい、行ってきますね」
〜数時間前〜
町の門を潜ると。人でごった返しており、大層な賑わいを見せているのが目に飛び込んだ。
帰らずの街と聞いていたけど、付けた人は予想以上に目が節穴なのだろうかと考えてしまう。
「あなた旅人さん?」
「そうですが、何か?」
「それはよかった!どうぞ召し上がってはいかがでしょうか?」
串に刺さった分厚い肉が炭火に焼かれて脂が炎の中へと流れ落ちる。なるほど、かなりうまそうだ。
「ではいただきましょう」
口に頬張ると噛んだ瞬間から肉汁が口の中へと香ばしい肉の旨みと共に広がる。数日何も食べていなかったようなものなので空腹のスパイスが俄然旨みを引き立てる。
「う〜ん、美味しいですね」
「はははっ、それはよかった。おっと…お〜い!皆!旅のお方だ!手厚く歓迎してやってくれ!」
店主が大勢に向かってそう呼びかけると全員がこっちに気づいたようにくるりとこっちをみる様子が不気味に映る。
ようこそ!どこからきたんですか?いいお召し物をお持ちで。顔はなぜ隠しているのですか?いや〜お若いですね〜。
一気に質問されるものだから思わず閉口してしまう。情報の洪水で脳みそが外気温並みに沸騰しそうだ。
領主様だ!と聞こえたのでそちらを見てみると剣や銃を腰に佩いた兵士たちを携えて豪奢な着物に身を包み、立派な髭を生やした横幅がある男がやってきた。
ニコニコと笑いかけている様子からみるに私を快く歓迎しているのだろう、民からも愛されていそうなお方だった。
「しかし、この街に住んでいるのは大人ばかりなんですね、子供達は一体どこにいるんでしょうか?」
一瞬だが領主の男の表情が引きつった。
「それはですね、我が街では優秀な子供達を国に授けることで国から半永続的に貢物や報酬をいただいているのです。おかげでこの街はこんな僻地にありながらもこんなに豊かになれたのでいや〜、有難いことです」
出汁にした子供で甘い汁を吸ってご満悦にするなと言いそうになったが口を閉ざして飲み込んだ。
「お〜!そうなんですね〜いや〜素晴らしい!国のために優秀な人材を派遣するだなんて、なんて尊い事業なんでしょう!」
目から涙を流すふりをしてわざとらしく瞼を布で擦る。
「はっはっはっ、お褒めにいただけて光栄です、さあ、屋敷へ案内させていただきます。どうぞこちらへ。」
兵士に指示を仰ぐと両脇を兵士に固められた状態で歩みを進める。
辿りついた屋敷は街の中でも随一の豪華絢爛さを醸し出していた。中に入り、彼の私室へと通される。
フードを取りますか?と言われたがいや昔から光に弱いのでと拒否する。少しばかり訝しがられたもののそういうものなんだと納得してもらえた。
召使いの女性が持ってきた茶とお菓子を食べながら領主と雑談をかわす。
他愛のない会話だが、背後からの冷たい視線が首筋に刺さるのが少し気になった。チラリと後ろをみると人物画やら風景画が飾られている。領主の趣味なのだろうと思い話題を振ってみることにする。
友人から貰い受けた品だと、いい絵ですよねと自慢げに語った。
目の部分に不自然な雰囲気を感じて凝視すると刺さるような気配はスッと消えていった。
正面に向き直り、再び談笑する。その後もその嫌な視線が消えることはなかった。
お菓子と茶を飲み終え、客間へと案内される。
「ごゆっくりお寛ぎください」
と一声かけられて扉を閉められる。金属製の扉が重厚感ある迫力を放っていた。
通されたのは殺風景な一室、ベッドの他に換気扇があるくらいか、収容所のような死の空気を醸し出す雰囲気があった。
客人を招くには少々胡散臭すぎるな、これは何かある。
ドアノブを捻っても開かなかった、外から鍵をかけられたみたいだ。
「普通客間に鍵なんてかけますかね…」
部屋の周囲を確認してみると、天井近くに換気扇…あの程度の広さなら 私なら通れそうだ。高く飛び跳ねて換気扇のヘリに手をかけると腕の力だけで難なく通気口へと侵入することができた。
匍匐前進でとにかく前に進む。出口の鉄板を蹴り抜くと、小さな部屋に出ることができた、そこには一人の少女が体育座りをしている。
「どうしたのですか?」
「聞いたことない声…あなたは誰?」
「私は旅人ですよ、あなたは?」
「私に名前なんてない」
「名前がないというのはなんとも嫌ですね、まあ私にも名はなかったようなものですからね」
「ずっと瞼を閉じていますが」
「私は目が見えないから」
耳を澄ましてみると、部屋の外からドタドタと慌ただしく、私を探している様子だ。まああんなどこにも行けないような密室から安に抜け出して見せたのだから、驚嘆に値するだろう。
今既に領主が怒髪天になりながら兵士やら召使いやらを手足の如く右往左往させていることだろうと想像して思わず笑いが込み上げてくる。
「そうですか、ならば好都合ですね。」
「では、この姿は見えますか?」
ざわざわと周囲の空気が一変する。ジメジメした湿気が一気に砂のように乾燥したようになった。試してみるつもりというより、本当に確信に迫るようなものだった。
「見えない、けど蛇さんがいる…」
子供が擦り寄ってくる蛇に戯れつかれながら笑みを浮かべている。襲ってこないと分かったのだろう、最初は警戒心で満ち満ちていたが、蛇が安心感を与えるように身をくねらせているうちに溶けるように解けていった。
「さて一緒に逃げましょうと言いたいところですが、もう少し待っててもらっていいですか?」
まずは帰らずの秘密を探らなくてはいけない。まあ、あの待遇からして自分を殺す気だったのは明白で間違いない。
問題は自分を殺した後どうするつもりだったのかを知りたかった。再び通気口に身を捩らせて奥へと進んでいくと、資料室のようなところへとたどり着いた。
棚へと補完されているファイルの一つを捲る。どうせ私を探すために色々と嗅ぎ回っているみたいだから流石に機密事項を隠していそうな場所に入り込んだとは思うまい。
紙に書かれていたのは、人物リストだった。でもただのリストじゃない。どこに何を売っただの、どのくらいで売れたかなど明確に表記されている。
売ったものとしては衣服、装飾品、臓器、骨、肉…。吐き気を催す内容だ。思わず張られていた生々しい写真を見てしまい、口を手で覆う。
臓器売買ね、なるほど金目になりそうなものは全部売っぱらっおうって魂胆か。
身につけていたもののみならず骨の髄までしゃぶり尽くされた上で碌な永遠の眠りにつくこともできない人たちは一体何を想うだろう。
次に子供のラベルが張られたファイルを手に取り、調べてみる。
この街に子供がいない理由が分かりそうだ。
子供は生まれて4、5歳くらいの頃から英才教育と称してスパルタな指導に打ち込まれる。
街への見返りを送るための収入源として育てられるのだ。
ある程度育って国に一度送って多大な成果を叩き出したら、街へとトラックで物資と報酬が送り込まれる。
役立たずな子供は臓器売買の商品としてブラックマーケット行きとなるらしい。
臓腑が煮えたぎりそうな内容に心の底から冷えていくのが分かる。
私のこの力は一般の人に使うのは躊躇しているのだが、これはその許容範囲を既に超えていた。
「やれやれ…思った以上に下衆が多そうで安心しました。」
これで思うままに力を行使できる。
一方その頃、兵士や召使いやらを手足としてこき使いながら捜索に当てていた領主は怒り狂いながらカーペットの引かれた渡り廊下を歩いていた。
廊下を支える円柱の間から差し込む日差しが暑い。
早く客人を見つけ出して水風呂にでも入りたいとイライラした気持ちを駆け込んだまま焦燥感に駆られる体を突き動かしている。
「客人はどこへ消えた!?」
「恐らく通気口から脱走したのかと思われます!」
「探せ!久々の上物だ!必ず見つけ出せ!」
「探さなくてもここにいますよ、ご領主様?」
唐突に声が聞こえたので怖気が走った。声の方向へと降り向けばフードを目深に被った客人が柱に背もたれに腕を組んでこちらを見ている。
「おおっお客人、こんなところにいらっしゃったのですか」
「ええ、ついさっきね」
客人の口元が大袈裟なほどに歪む。
「どうなさいましたかな?」
「先ほどは収容所のような部屋に最初通されましたが、あれはどういったお部屋で?お客人に寛ぎさせるようには一切見えませんでしたが?」
「いや、その…」
「あと、抜けた先に目の見えない子供が幽閉されていたのですが、これはどういうことでしょうか?」
一斉に銃を突きつけられ、緊張の糸がピンと張ったように空気が緊迫して神経が過敏にさせられる毛虫がそこら中を這い回る嫌な感じ。
「動くな」
「抵抗したら殺す、今なら猶予を与えてやろう。両手を後頭部に回せ」
小さな子供がこちらを仰ぎ見るが、大丈夫というように軽くその子の頭を撫でてやる。
ゆっくりと両手を後ろへと回す。その瞬間、今まで顔を覆い隠していた防塵用の外套をはらりと外した。
頭部が顕になり、街の領主と兵士たちは一気に怖気付いた。
若葉色の腰まで伸びた長い巻き毛が徐々に変質していく、川の流れのように滑らかな絹のような髪が束を作り、硬い鱗を纏う。それぞれが自立して動き、完全に意思を持った生物へと変貌した。
そしてその瞳は蛇の瞳孔をはめ込んだ紫紺の瞳。
「罪は罰を、咎人には裁きを、然るべき処置をせねばなりませんね」
「ー!」
「なのでここで死んでください…ね?」
彼らからすれば人に向けるべきではない醜悪な笑顔に見えるだろう、至って私は平然な笑顔を浮かべているつもりだ。外道に足を踏み入れたままズルズルと引きずり続けたもの達に制裁を加えるのだから。
領主や兵士たちは体の異変に気がついて悲鳴をあげる。手や足から段々と体の性質が石へと変化しているのだ。
誰か助けてくれと聞きたくもない断末魔をあげることもなく石像と化す。
彼女は神話に登場する髪が蛇に変化するゴルゴーンにそっくりだった。
〜現在②〜
完全に石化した領主や兵士たちを置き去りにして屋敷を出ていく。
屋敷のものたちの見送りもなしに出てきた彼女の姿を見て訝しんだが、彼女を見て徐々に青ざめていく。
道行くものたちはこちらを見て固まっている。この紫紺の邪眼を見たものは全て石に変わる。異変に気づいて逃げようとしたものも、好奇心に負けたのか、こちらを向いて硬直しているものも多い。
今まで見てきた中でも本当に悪趣味な街だった。
隣で手を繋いで歩く少女が質問する。
「他の人たちは?どうなったの?」
「さあ、どこか遠くへ行ってしまったみたいです」
私はまるで子供がするようなイタズラっぽい笑みを浮かべた。
〜数時間後〜
「おおっ、あんたか。どうだった帰らずの街は」
「そうですね、誰もいませんでしたよ、この子以外。よかったらどうですか?いい歴史が見つかるかもしれませんよ?」
私はさっきまで辿ってきた轍を指差して興味あるならお好きにと促した。
「あんたがそういうなら…おい、行ってみるか?」
「ああ」
その後、街に行った考古学者や冒険者たちは口々にこう言う「人はいなかった、ただ建物と石像があるだけだ」
真相を知るものは最早彼女しかいなかった。
今でも賑わいを失った街では人が来ない限り閑古鳥の鳴き声しか聞こえていない。
了