
【歌詞考察】22/7「理解者」物語論的視点から見た楽曲のメッセージ性、【音楽】
22/7(ナナニジ)は、自分に悩み語りを繰り返す歌詞が数多い。その中で取り上げられるだろう一曲となるのが、3rdシングル「理解者」だと言える。
「理解者」の歌詞の中に出て来ると想定されるキャラクターとなるのが、自分、もう一人の自分、「理解者」となる人物の存在となるのだろう。
ナラトロジー(物語論)的な「理解者」の見解
対立構造
外向的に多くの人々にありながらも自分は他の人々を受け入れ、愛することができない。逆に拒否してしまう。また、内向的に自分そのもの受け入れられない。孤独でいることを望んでしまう。
このように、1番が外向的、2番が内向的な視点となるような対立構造の歌詞がつくりあげられている。
理解者の立ち位置
そのような自分でさえも、気付いていない「理解者」がいるのであると歌っている。ただ、歌詞だけでは、誰が一体「理解者」なのかよく読みとけない、不思議な一曲となっていると思う。
視点(パースペクティブ)
焦点となるのは、多くの人々の中にいる「僕」、孤独を求める「僕」の存在が出て来る。ミュージックビデオでは教室・多くの人々の中いながらも孤独でいる「僕」を想起させるものから始まり、孤独をもとめている「僕」自身へとなる。
1番では外方向にあった外的焦点化されているものが、2番で内的焦点化されパースペクティブが移動している。また、1番では可視的な現実へ向けられた視点が、2番になると「僕」の心へと不可視的な架空の描写へと視点が移っているのである。
語り手
多くのアイドルグループによる楽曲による歌詞はディエゲーシス的なものとなっている。しかし、22/7(ナナニジ)は、台詞を数多く入れるポエトリーリーディングとなることによって、ミメーシス的な性格ももつという他のアイドルグループにはない特徴的な楽曲になっている。
基本楽曲は、「語られた言説」と言えるものとなっているが、西條和・河瀬詩をの台詞によって「直接話法」を取り入れた22/7特有の楽曲がパフォーマンスされている。
語りの演出
語り手となるのは、「僕」が中心となる。しかし、西條和の台詞が重要な「語りの演出」となるのだろう。
「君をこんなに傷つけているのに
なぜ僕を拒絶しないんだろう
だから僕は自己嫌悪に陥る」
と「僕」の存在と「君」がこの歌の中に登場してくる。この台詞は自分に問いかける対自モノローグとなる。
2Aメロは「僕」が語り手となっている。しかし、この曲は2サビから、語り手がだれになるのかはっきりしなくなるような歌詞が構成されているのである。
2サビの言葉を「僕」から「君」へと語っているのか、「君」が「僕」へと語っているのか、はっきりしない。受け手によって、自由に解釈せよと言わんばかりの歌詞となっているのだろうか?
「それならここから出て行けばいい
自分が少しだけわかって来るだろう
恥ずかしいくら僕は無知だ」
河瀬詩の台詞は、「理解者」の楽曲にある「語りの演出」と言える。語り手となるのは、もう1人の「僕」が「僕」へと伝えられるメッセージとなる、対自モノローグとなる。
どこへ行くつもりだ?
まだ帰らないのか?
(この場所へ)
誰が涙を拭ってくれる?
誰が僕の理解者だ?
後に続く、歌詞では「僕」、もう1人の「僕」、「君」の存在があるのかもしれない。
受け手によって、人物設定が動くように主語をあえて入れず、誰がその言葉を語り、歌詞を歌っているのか解釈が自由に変えられるように作り上げているのかもしれない。
伏線
「扉を閉めないで」という言葉が伏線となっている。部屋の中にいる孤独を求める、帰り道を求めている、部屋から出ることなどのという言葉へつながるキーワードなっている。
語り手は物語を放置
最後に、「いつの日にか気づくだろう、背中向けたのが、唯一の理解者」という歌詞は、「理解者」の存在を語っているようにありながら、歌詞全体から読み解くとその答えは、「君」なのか、もう1人の「僕」なのか、(あるいは「僕」自身が誰かの「理解者」となるのか)、または別のひとなのかはっきり示されていない。つまり、語り手は物語を放置したと言えるような歌詞となっているのである。
曲について
「理解者」は不安感に誘われながら、答えをもとめようとする人々への応援歌のようにも感じる曲です。
イントロ→1メロ→1サビ
イントロは、
Fm→B♭m→E♭→A♭→D♭ →Csus4→C
と2回繰り返し、音を少しずつ下向させながら、曲の緊張感を高めながら、1Aメロへと移っていく。Aメロはソロパートとなり西條和→花川芽衣→白沢かなえ→帆風千春→天城サリー→海乃るり→宮瀬玲奈→倉岡水巴へと移っている。
(2024年現在では、西條和→河瀬詩→相川奈央→望月りの→天城サリー→月城咲舞→四条月→椎名桜月となっている。)
Bメロは数人で歌割となり少しづつ緊張感を高めながら1サビへとなる。
サビでは音数と言葉が多くなりアップテンポで緊迫感をもったメロディーとなっている。その中で突然歌声がなくなり、西條和の台詞が入る。
「君をこんなに傷つけているのに
なぜ僕を拒絶しないんだろう
だから僕は自己嫌悪に陥る」
突然の彼女の台詞の意外性、西條和特有の言葉のトーンとに不安感を高め、台詞におけるメッセージ性を強くしている。
2メロ→2サビ→ブリッジ→大サビ
2Aメロになると、2人パートになり、少しずつ力強く歌われている傾向がある。あとに続く盛り上がるサビへと自然につなげていくためだろうか?
2サビでは花川芽衣(今では河瀬詩が担当)の台詞がはいる。花川芽衣は静かに語るようなトーンの台詞だったが、河瀬詩は心からの叫びのように語っているの印象的である。
ブリッジでは、それぞれの歌詞に答えるように、メンバーが歌割されており、気持ちを高ぶらせるものがあるようにつくられている。
大サビは、アップテンポとなり、歌詞のメッセージ性からその思い高ぶるものを与える部分となっている。
河瀬詩の台詞
河瀬詩はストーカー被害から活動休止せざるを得なかった時期に、河瀬詩のソロパートと台詞は天城サリーと白沢かなえが歌っていた。
22/7「理解者」ナナニジ夏祭り2023
2023 ナナニジ夏祭りでは白沢かなえが、
ANNIVERSARY LIVE 2023では天城サリーが代わっていた。二人が語っていた台詞は、まさに心からの強い叫び声、河瀬詩へのメッセージのような歌声だったことは印象的だった。
22/7「理解者」ANNIVERSARY LIVE 2023
歌詞の言葉からみえる物語性
1メロ→1サビ
1Aメロ(ソロパート)
誰かが近くにいるだけで
なぜか息苦しくなってしまう
一人きりでは生きられないって
わかっているのに憂鬱なんだ
話しかけては来なくても
どこか気を遣われてるような
優しさとか温もりとか
愛に疲れて来る
1Bメロ(歌割)
そんな自分の苛立ち(苛立ち)
何をもとめてるのか?
何を拒否しているのだろう?
僕は出て行くしかない
多くの人々の中でいながらも、自分は息苦しくありながら、人と生きていくことができない。人の優しさや温もりを受け入れて生活することができない「僕」の気持ちをあらわしたものとなるのだろう。
1サビ(ユニゾン)
扉を閉めないで バタンと閉めないで
1センチだけ開けておいて
微かな光が隙間から漏れてるほど
帰り道を残して欲しい
「扉を閉めないで・・」とは、誰に語っているんだろうか。「理解者」に対し訴えかけているのだろうか?
主役となる「僕」は、「何を拒否しているのだろう?僕は出て行くしかない」と歌っている。つまり、「僕」はある場所から出て行こうとしている。
しかし、(1サビ)で(ある場所の入口となる)扉をしめないで願い、帰り道を示して欲しいと誰かに望んで歌っている。
(台詞)(西條和)
「君をこんなに傷つけているのに
なぜ僕を拒絶しないんだろう
だから僕は自己嫌悪に陥る」
(ユニゾン)
いつの日か僕は気づく
ずっとそばにいた
唯一の理解者
西條和による台詞は、見えてこない歌詞の意味を答えの一つを示す重要な言葉となるのだろう。人を拒絶しながらも、自分自身そのものも「自己嫌悪に陥」てしまっている。
「僕」と「君」という2人のキャラクターがこの歌詞の中で歌われている

2メロ→2サビ
2Aメロ(歌割)
僕は誰も愛せないと
ずっと思い込んでいたんだ
自分のこと殺してまで
他人を求めていない
心のカーテン開いて
(開いて)
目を細め生きるより
暗闇で息を潜める
僕は孤独が好きだ
1Aメロではそばにいる人達に対し拒絶している「僕」のことを多くの人々がいる街中にありながらも、孤独な自分んでありたいと願っているような歌詞となっている。
一方で、2Aメロでは「僕」は誰も愛せない、そして自分のことすら愛せないのだろうか。「僕」は暗闇で息をひそめ、孤独が好きだと歌っている。
これは、1Aメロでは、外向的な世界にいる「僕」の存在を歌いながら、2Aメロでは内向的な個人の気持ちや望みを語っているものとなっている。
2サビ
扉を閉めないで 鍵を掛けないで
この部屋だけは自分になれる
カッコ悪くても認めざるを得ないよ
ドアノブ引けば許してくれるだろう
1サビでは、扉を開けて帰り道を残して欲しい求めていたことから「僕」は部屋の外にい部屋に戻る通り道を教えて欲しいと望んでいる。
一方で、2サビでは、「僕」は部屋中にいるようだ。「この部屋だけは自分になれる」と、孤独になりたいと語っている「僕」の存在をはじめて自覚できる空間となっているのだろうか?
そんな自分に対し「カッコ悪くても認めざるを得ないよ、ドアノブ引けば許してくれるだろう」と改めて認識せざるを得ない状況ということなのだろうか。
(台詞)(河瀬詩)
「それならここから出て行けばいい
自分が少しだけわかって来るだろう
恥ずかしいくら僕は無知だ」
(ユニゾン)
本当は気づいていたんだ
たった一人だけ
僕の理解者
河瀬詩(かつては花川芽衣)よる力強い台詞で、「それならここから出て行けばいい」という言葉は、誰からの言葉なのだろうか?「僕」本人ではなく、もう一人の自分が語りかけているのか、それとも「理解者」からの言葉なのだろうか。
しかし、「自分が少しだけわかって来るだろう、恥ずかしいくら僕は無知だ」との言葉から「僕」またはもう一人の自分が語っていたのかもしれない。

後に続く、本当は気づいていた、「たった一人だけの僕の理解者」とは、どこにいるんだろうか?自分の内にいるもう1人の自分のことなのであろうか、それとも自分のそばにいる他者が「理解者」だと改めて気づき、再認識されたのだろうか?
ブリッジ(Bridge)→大サビ
(歌割)
どこへ行くつもりだ?
まだ帰らないのか?
(この場所へ)
誰が涙を
拭ってくれる?
誰が僕の理解者だ?
(間奏)
(歌割)
扉を閉めないで バタンと閉めないで
1センチだけ開けておいて
思い出とかじゃなくて
未来はここにある
どこにもなかった欲しいもの
後に続く、歌詞では「僕」、もう1人の「僕」、「君」の存在があるのかもしれない。受け手によって、人物設定が動くように主語をあえて入れず、誰がその言葉を語り、歌詞を歌っているのか解釈が自由に変えられるように作り上げているのかもしれない。
その後に、誰が「僕」の「理解者」だ?と自分に訴えかけている。歌詞でも、「誰」が僕の理解者だ?とでてきている。
大サビ(ユニゾン)
扉を閉めないで バタンと閉めないで
1センチだけ開けておいて
微かな光が隙間から漏れるほど
帰り道を教えてくれ
いつの日にか気づくだろう
背中向けたのが
唯一の理解者
「扉を閉めないで・・」とは、誰に語っているんだろうか。「理解者」に対し訴えかけているのだろう?主役となる「僕」は、1サビと同じように、「僕」はある場所から出ているが、扉をしめないで願い、帰り道を示して欲しいと誰かに望んで歌っている
最後に、「いつの日にか気づくだろう、背中向けたのが唯一の理解者」との歌詞となる。「理解者」の歌詞から、実際「僕」の「理解者」とは一体誰だというのか、読み解くことは大変難しい。「僕」の内にいるもう1人の自分を指しているのか、あるいは自分の傍にいる誰か?だったのかだろうか。
唯一の理解者がどこにいるのかは22/7「理解者」は答えていない。「いつの日か気づくだろう」という言葉は楽曲を聴いてわかるというのではなく、これから先、生きていく上でいつの日か「気づくだろう」と22/7が歌っているのだろうか?
「理解者」を聴いている各々の受け手のもつ人間関係によってその解釈が自由に描かれるようになっているのだろうか?
ミュージックビデオ
22/7 3rd single「理解者」
ミュージックビデオは、アニメによりつくられている。ここでは8人体制だったので、参加メンバーは8人で行われていた。舞台は、教室(学校)と渋谷となっている。
歌詞の内容とアニメによるストーリーが対応するようなミュージックビデオになっており、ソロパート、歌割の部分がそれぞれのキャラクターが自分の持つ孤独感を表したようなビデオになっています。そして、サビの部分は、ナナニジメンバーが集まって激しいダンスを披露しています。
おわりに
この曲のポイントとなるものには、ダンスフォーメーションがあげられるのだろう。曲と歌詞にマッチするように形作られている。
22/7(ナナニジ)は、自分に悩み語りを繰り返す歌詞が数多いが、その中で取り上げられる一曲となるのが、「理解者」なのだろう。歌詞は人と馴染めないと苦しみながら自分そのものに嫌悪感をもつ自分に対する理解者を求めるものとなっている。人間関係の中における自分の位置づけを求める、自分探しのような曲ともいえるのかもしれない。
「理解者」の歌詞の中に出て来ると想定されるキャラクターとなるのが、自分、もう一人の自分、「理解者」となる人物の存在となるのだろう。その歌詞のストーリー性が簡単には読み解けないものがあるが、逆にそれが、22/7へと引き付ける魅力となっているのかもしれない。
追記)渋谷という街中について
「理解者」のミュージックビデは、渋谷の街中を舞台にしている。22/7の歌で渋谷を舞台には「曇り空の向こうは晴れている」のアニメによるミュージックビデオ、「後でわかること」の歌詞に表れている。
若者の象徴となる、渋谷の街中は22/7のキーポイントの一つとなっているのかもしれない。
22/7 9th single 「曇り空の向こうは晴れている」