146. 私は母親になったことを後悔したことはないけど
母親になって後悔している
eccoさんのnoteで出会い、ずっと気になっていた一冊を手にした。
私は後悔したことはないけど、たまたまそう思えるだけなのかもしれない
私は今まで、母になったことを後悔したことは一度もない。
もし時間を巻き戻せたとしても、私は再び母になりたいと思う。
でも、それはたまたま
私が私という状況の中で生きてきたからに過ぎないのかもしれない。
eccoさんのnoteを読ませていただいたときも、
この本で23人の女性の声に触れたときも、そう思った。
もし、私がeccoさんだとしたら、
本の中の女性だとしたら、
同じように感じるかもしれない。
イスラエルは出生率が高く、「母になるべきである」という社会的圧力が強い
著者は、イスラエルの社会学者・社会活動家であり、「子どもを持たない」ことを決意している。
イスラエルの合計特殊出生率は3.0人であり、経済協力会開発機構(OECD)の加盟国の平均の1.75より高い。
イスラエルでは、親になるのを嫌がるほぼ全員に「あなたはきっと子どもがいないことを後悔する!」という運命の予言めいた言葉が、何度も投げかけられるのだという。
イスラエルの女性たちは「母になるべきである」という社会的圧力を強く受けているのだ。
著者の研究は、すべての女性が母親になりたいはずだという社会的期待と、母になることを価値ある経験とする評価に疑問を呈している。
「母になったこと」を後悔するのはなぜか
母になるまでの道筋、母親業の要求の多さ、
人を育てるという責任感、
私の自由は永遠に失われたという感覚、
子どもの特性など、複数の要因がからまっていた。
たとえば、こんな告白があった。
私は「母になりたい」というよりも、自分たちの子どもに会いたかった。
高度不妊治療を経て、ようやく子どもを授かり、母になることができた。
母になってからは、私も、子育ての責任の重さや不自由さを感じてきた。
でも、私の場合は、それらを上回る幸せを実感しているので、
「母になったこと」を後悔したことはない。
後悔は「母親になったこと」であり、「子ども」ではない。
著者がインタビューした女性の大多数が、後悔は「母親になったこと」であり、「子ども」ではないことを強調していた。
私ははじめ、この点が理解できなかった。
私の中では、「母になったこと」と「子ども」はきつく結ばれていて分離できないと思っていた。
「子ども」が生まれてきてくれたから、「母になれた」のだから、と。
「子ども」に必要なのは「母」なのだから、と。
でも、次の記述を見た時、私は理解できるような気がした。
彼女たちが「母になったこと」を後悔している一番の原因が
母であることの「不自由さ」だと気づいたからである。
自分の子どもたちのことは愛おしい。
でも……「不自由さ」が大きければ大きいほど、
「母でいたくない」と思う気持ちは理解できる。
私だって、そう思うかもしれない。
この本は論文調で、理解がむずかしかった。
でも、女性たちの告白を読み進めていくたびに、
心が動き、多様な感情がわいてきた。
多様な感情を整理することがむずかしかった。
でも、それでも、どうしても書きたかった。
何を書きたいのか、自問自答しながら書いた。
私が書きたかったのは、以下の2点だったと気づいた。
・母になったことを後悔する人の気持ちも理解できる
・母であることの不自由さをどうにかしていきたい
最後に
・著者が、これまで声に出せなかった気持ちをすくいあげ、
居場所をつくろうとしたこと。
・著者が、社会の中で感じてきた違和感を追究し、疑問を呈し、
社会を変えようとしていること。
本書を読みながら、この2点に大きな意味を感じました。
さて、私には何ができるだろう。
母でも妻でもない私だけの喜びも
大切に生きていくことかな、と思っています。
もし本書に興味をもってくださった人がいたら、
女性たちの告白の部分だけでも読んでみてもらえたら嬉しいです。
本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。