
146. 私は母親になったことを後悔したことはないけど
母親になって後悔している
eccoさんのnoteで出会い、ずっと気になっていた一冊を手にした。
衝撃的な題名かもしれないが、私はこの本の題名を読んだとき、正直ほっとした。
私だけじゃないんだ。
こう思う人達がこんなにもいる。
そしてそのことを本にして出版した勇気ある人がいる。
今まで、世界にたった一人で孤立していると思っていた自分に、大勢の仲間がいたこと。
自分は非常識で、とんでもない母親であると思っていたのだが、なんだ、私と同じこと思っていた人がこんなにいたんだ。
黙ってただけだったんだ。
そう思って安心した。
もし、私が母親になることを選ばなかったら、私は心理学をもっと深く勉強し、専門的知識を深めて、思いっきり仕事が出来ただろう。
行きたいところへ行って、見たい景色を見て、自分の世界を広げることが出来ただろう。
自分の時間を自由に使って、24時間「私」でいることが出来ただろう。
心も軽くフットワークも軽く、かっこよく生きることが出来ただろう。
でも、私には、時間は巻き戻せないし、障害のある子もいる。
そして、不自由を抱えながら、シングルゆえの極貧の生活を続けている。
毎日の生活や、子供に障害があることはしっかり事実として認めているが、困難きわまりない生活を送っている。
子どものことは愛している。それでも――。世界中で大反響を呼んだ一冊。
もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか?
この質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、女性が母親になることで経験する多様な感情を明らかにする。
女性は母親になるべきであり、母親は幸せなものであるという社会常識の中で見過ごされてきた切実な想いに丁寧に寄り添った画期的な書。
私は後悔したことはないけど、たまたまそう思えるだけなのかもしれない
私は今まで、母になったことを後悔したことは一度もない。
もし時間を巻き戻せたとしても、私は再び母になりたいと思う。
でも、それはたまたま
私が私という状況の中で生きてきたからに過ぎないのかもしれない。
eccoさんのnoteを読ませていただいたときも、
この本で23人の女性の声に触れたときも、そう思った。
もし、私がeccoさんだとしたら、
本の中の女性だとしたら、
同じように感じるかもしれない。
イスラエルは出生率が高く、「母になるべきである」という社会的圧力が強い
著者は、イスラエルの社会学者・社会活動家であり、「子どもを持たない」ことを決意している。
イスラエルの合計特殊出生率は3.0人であり、経済協力会開発機構(OECD)の加盟国の平均の1.75より高い。
イスラエルでは、親になるのを嫌がるほぼ全員に「あなたはきっと子どもがいないことを後悔する!」という運命の予言めいた言葉が、何度も投げかけられるのだという。
イスラエルの女性たちは「母になるべきである」という社会的圧力を強く受けているのだ。
著者の研究は、すべての女性が母親になりたいはずだという社会的期待と、母になることを価値ある経験とする評価に疑問を呈している。
「母になったこと」を後悔するのはなぜか
母になるまでの道筋、母親業の要求の多さ、
人を育てるという責任感、
私の自由は永遠に失われたという感覚、
子どもの特性など、複数の要因がからまっていた。
たとえば、こんな告白があった。
私にとって何が難しいかというと、人を育てるという責任感です。
私の自由は永遠に失われたという感覚です。
母になる以前は、自分にだけ責任を持てばよかったし、
パートナーは大人なので責任をもつ必要はありません。
つながりがあるだけです。
でも、母になると、もはやひとりにはなれない。
決してひとりにはなれず、頭の中に自由がないのです。
私は「母になりたい」というよりも、自分たちの子どもに会いたかった。
高度不妊治療を経て、ようやく子どもを授かり、母になることができた。
母になってからは、私も、子育ての責任の重さや不自由さを感じてきた。
でも、私の場合は、それらを上回る幸せを実感しているので、
「母になったこと」を後悔したことはない。
後悔は「母親になったこと」であり、「子ども」ではない。
著者がインタビューした女性の大多数が、後悔は「母親になったこと」であり、「子ども」ではないことを強調していた。
私は母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔していません。その存在も、性格も。あの子たちを愛しています。
あんな愚かな人と結婚したけれど、後悔していません。
なぜなら、ほかの誰かと結婚しても、別の子どもを産んで愛していたでしょうから、本当にややこしい話です。
(中略)
もしも私が後悔するなら、あの子たちがいなければいいという話になります。でも、あの子たちがいないことは望みません。
私はただ、母でいたくないだけです。
私ははじめ、この点が理解できなかった。
私の中では、「母になったこと」と「子ども」はきつく結ばれていて分離できないと思っていた。
「子ども」が生まれてきてくれたから、「母になれた」のだから、と。
「子ども」に必要なのは「母」なのだから、と。
でも、次の記述を見た時、私は理解できるような気がした。
「母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔してません。……得られた子どもたちは愛しています」という告白をうけて著者が解説しているように、彼女たちは、子どもを、生きる権利を持つ独立した別の人間だと位置づけているのだ。
そして母親たちもまた、独立したひとりの人間である。自由に選択し、自由な感情を持ってよいはずなのだ。
彼女たちが「母になったこと」を後悔している一番の原因が
母であることの「不自由さ」だと気づいたからである。
自分の子どもたちのことは愛おしい。
でも……「不自由さ」が大きければ大きいほど、
「母でいたくない」と思う気持ちは理解できる。
私だって、そう思うかもしれない。
この本は論文調で、理解がむずかしかった。
でも、女性たちの告白を読み進めていくたびに、
心が動き、多様な感情がわいてきた。
多様な感情を整理することがむずかしかった。
でも、それでも、どうしても書きたかった。
何を書きたいのか、自問自答しながら書いた。
私が書きたかったのは、以下の2点だったと気づいた。
・母になったことを後悔する人の気持ちも理解できる
・母であることの不自由さをどうにかしていきたい
最後に
・著者が、これまで声に出せなかった気持ちをすくいあげ、
居場所をつくろうとしたこと。
・著者が、社会の中で感じてきた違和感を追究し、疑問を呈し、
社会を変えようとしていること。
本書を読みながら、この2点に大きな意味を感じました。
さて、私には何ができるだろう。
母でも妻でもない私だけの喜びも
大切に生きていくことかな、と思っています。
もし本書に興味をもってくださった人がいたら、
女性たちの告白の部分だけでも読んでみてもらえたら嬉しいです。
本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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