もやもやがやってきた
また来ましたか。はいはい。こんばんは。
大分慣れてるのでね。
人の記憶とは厄介なものだとしみじみ感じる。
記憶を消せば楽になれる。
だがそれだと人の痛みのわからない人間に戻ってしまい
また同じ過ちを繰り返すのだと考えると
これでいいのだろう。
自業自得なのだから。
納得はしている。
だが苦しい。
これを毎日何十年もしていくのか。
生きてきたくないなあ
イライラはカルシウムなどと言っているが
効いたためしがない。
いりこで治るのなら苦労せんわな。
体調崩してマクロビだのローフードだのを少しかじったが
物理的なものだけでは健康にはなれなかった。
『病は気から』これに尽きる。
メンタルが高ければ、多少ジャンクなものを摂る位
何てことないさ。
好きなものを美味しく食べて幸せと感じられる=健康
今の私はなにかが欠けている。
穴が開いてなかなか修復できずにいるんだね。
涙の出ない時期。
無表情。
ただこれは今に始まったことではなく
幼少期の沢山ある写真は全部無表情だった。
生まれてもともとという事か。
世界には生きたい人が沢山いる。
日本には死にたい人が沢山いる。
どういうことなん。
環境が違うのはあるが
国民性もあると思うんだ。
コロナの時イタリアかどこかの国、歌ってたね。
こういう時こそ上を向くって感じで。
日本は…
良くも悪くも真面目。固い。
テレビのあおりの影響かな。
なんくるないさ~精神の宿る沖縄の人はどうなんだろう。
同じ日本でも少し違うのかな。
ブータン等の機械じみていない国の方が
幸せだったのかな。
シンプルに、採取して食べて寝る。
こういう国は精神病だの自殺だのの印象がない。
原始に帰った方が楽なのか。
今更どうするのと思ったが
やろうと思えばそれに近いことは
出来なくもない、と一瞬だけ。
日本でそれをやるには車があった方がいいだろう。
私はどうしてもそれが厳しい。
厳しくなくともどのみち気力体力がないので。
今は半分死んだように生きているから
先の、将来のことは半分どうでもいい、
もう半分は仕事探し。食べるため。
仕事もやれるか微妙。考えただけでしんどい。
内臓捧げるので安楽死させてくれませんかね。
安楽死…
希望者多いと思うんだが
安楽死の道が用意できているというだけで
随分精神的に楽になると思うんだよね。
1つのルートしかないと思うより
これがだめなら別のルートがあるからま、いっか。
という保険感覚。
あると安心する、みたいな。
自殺の恐怖があるからそれにしがみついてないといけない。
でも苦しい 死にたい 死にきれない
ってより
良い気がするけどな。
で、安楽死でいつでも死ねるからってなると
意外と死ななかったりして。
生きる=苦しいと思っている。
どこが苦しい⇒働くこと。体だるい人間疲れる。
しかし
辞めても結局だるい身体元気ない。
其れはなぜか。
嫌な記憶に支配されていて未来に希望が持てない
何がしたいとかもない。
只記憶を無くして楽になりたい。
真っさらに記憶を無くした私はどんな表情をするのだろう。
と思ったが
幼少期の無表情に戻るだけだと気が付くと
別に面白くはなさそうだという考えに結びついて
結局このままでいいのだろうという結論に至った。